昨日は八年ほど前に前立腺癌中期という診断を受けて治療を受けた後の経過観察のため、朝から泌尿器科に行ってきました。採血採尿の後、二時間ほど待ってから診察を受けましたが、全く問題がないという診断を受けてホッとしました。四時から孫を迎えに行って勉強させて、この日は終わりました。

 

  春寒の京都バスツアー2「梅小路公園」

 

 先述のように賑やかな大通りに面した京漬物店の前では、大型バスは客の乗降以外そこに停車しておくことができないため、客を降ろしたバスは移動して他の場所で時間待ちするのだ。

 

この日は好天に恵まれていたがそよ吹く風はとても冷たく、バスがやって来るまで店の外でしばらく待たねばならなかった。私自身は早々と店を出て、界隈の様子を見ながら少し歩いてみた。

 

 やがてやって来たバスの中では、次の訪問地が「梅小路公園」という説明があった。バスは古都の市街地を抜けていく間何処をどう辿ったのかよく分からなかったが、同行の士たちと会話を楽しむ傍ら様々な思いが脳裏をよぎっていた。

 

景観を保つために制約を受けていると思われる近代的な集合住宅などの建物はせいぜい十階ほどの高さしかないことや、定年まで住んでいた東京の自宅を整理して京都に移り住んだというブログ友伊和七種氏はどの辺りに住んでいるのだろうかなどと思ったりしていた。

 バスは十数分ほどで目的地に着いたところ、すぐ目の前に在る鉄道博物館が目に入り、かつてそこを訪れていたことに気づいた。それは既に七、八年ほども過ぎただろうか。地元に住む孫HとKが小学校に入る前だったと記憶しているが、彼らを連れてここを見学させていたのだ。

妻とそんな思い出話をしながら周りを見渡していると、そこにはその時に車を停めた駐車場なども蘇ってきた。懐かしさを覚えながら添乗員の先導でしばらく歩くと、「梅小路公園」と表示されたJR山陽本線と思われる高架下をくぐった。

その前方には芝生の広場が広がり、更にその左手前方には京都水族館が見えた。広場手前から細い通路を抜けて進むと左手に梅林があったが、これらは既に開花の時期を過ぎており、添乗員も言っていたように梅樹の種類によって開花の時期にはかなり幅があるのだ。

やがて色とりどりの梅花が咲き誇る開けた所に辿り着いた。右手のフェンス越しには鉄路が伸びており、そこに煙を吐きながら機関車が通り過ぎて行ったが、これは博物館が運営している観光用の物だろう。

 まず、この日のツアーの二割を占める私たち四組の夫婦は、添乗員に頼んで梅林の前で写真撮影を行った。その後三三五五にそれほど広くもない梅林の奥まで花の香を楽しんだが、それらのそれぞれに樹木名の札が掛かっていた。

梅花は桜花のような華やかさと異なり、何とも表現し難い趣がある。好みは人それぞれだろうが、古来私たち日本人の美観を培ってきた日本庭園には梅花の方が映えるように思われ、往時「梅里」と号した水戸藩二代藩主水戸光圀が脳裏に浮かんだ。

 

 ここで三十分足らずのひと時を楽しみ、再び添乗員の後に続いて駐車場の方へ戻ることになった。広場では子供連れの家族が戯れており、左手線路沿いの水辺では小さな透明な小箱と網を持った小学低学年と思われる二人の少年が遊んでいたので声をかけたところ、彼らはちらっと顔を向けただけだった。

 

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