下に何か見えます。お寺のようですよ。(*^^*)
『叡興山 光明寺』です。開創は天平年間729-749。聖武天皇の勅願による行基菩薩の開基と伝えられ、筑後市内で最も古い寺院である。
仁王門の仁王像は鎌倉期の仏師運慶の子湛慶作と伝わる。 江戸期に二度再建された。
境内の案内板[1]によれば、 本堂内には木造十王坐像・ 木造葬頭河婆坐像が安置されているという。 (*^^*)
仁王像と併せて筑後市の指定文化財となっているそうです。(⌒▽⌒)
当寺は、1200年以上の長い歴史の中で盛衰を繰り返した。 南北朝時代の貞和年間1345-1350に足利尊氏が修復した記録も残るという。
戦国末期1600年代初頭に筑後太守の田中吉政公が寺領を没収、その後の54年間は無住となる。
江戸初期の延宝3年1675に柳川藩主の立花公が諸堂を再建、快音和尚を中興開山として迎え、現在まで300年以上、19代の住職が当寺を守っている。
天保7年1836建立という現本堂には、秘仏の本尊千手観音像のほか、元庚申堂本尊の青面金剛像、閻魔堂の閻魔十三像などが一緒に祀られている。
本尊千手観音像は33年に一度開扉(近年のご開帳は2017年10月)の秘仏だそうです。
境内には石造九重塔が2基あり、1基は江戸期のもの(西塔)、 もう1基(東塔)は安元元年1175、平重盛建立と伝えられているが、 少し後の鎌倉中期頃の作と考えられているという(福岡県文化財)。
『光明寺石像九重塔』と書いています。(*^^*)
とても落ち着く、いい場所ですね。(⌒▽⌒)
『西社宮』が光明寺内にありました。(*^^*)
西社宮の拝殿だそうです。(⌒▽⌒)
また桜並木の土手沿いに戻ります。(*^^*)
新船小屋駅まで桜並木は続いておりました。
ごろ寝したいです。まだ言うか!!
筑後広域公園の多目的広場に来ました。(*^^*)
近隣の地図でございます。(⌒▽⌒)
JRの線路の高架下です。船小屋駅から南瀬高駅方面に歩いておりますよ。\(^_^)/
ひたすら矢部川に向かって歩きます。(⌒▽⌒)
みやま市との境目、『やべ川』に来ました。
\(^o^)/
筑後市からみやま市に向けて、線路が川を横断しています。(⌒▽⌒)
やべ川沿いは白い花が咲いていました。(*^^*)
菜の花もいいですが、白い花もいいですね。
そろそろ川伝いに、車まで戻ります。(⌒▽⌒)
下の道まで降りました。筑後広域公園体育館まで続く道です。
明日からは、『桜で綴る、福岡県みやま市の物語』をお送りします。