2023/6/30~7/2投稿


江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として築かれた平山城(標高50m)である。


山は「金亀山(こんきやま)」の異名を持つため、金亀城(こんきじょう)とも呼ばれた。


多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。 


明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。(*^^*)


天守と附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。


中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。(^o^)


一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建物が保存されることとなったのだという。 


また、天守が国宝指定された5城の一つに数えられる。


姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたものの、近年の世界遺産登録の厳格化の下、20年以上推薦は見送られている。 


滋賀県は明治の廃城令で解体された城が多く彦根城は唯一の保存例である。(^^)


なんか向こう側が見渡せそうですね。(*^^*)


『着見台』と書いていました。



着見台は江戸時代、2階建着見櫓が建っていたそうです。着見櫓の石垣は上部と下部で異なる築き方だが、滋賀彦根新聞が市教委文化財課に依頼した調査で、上部の石垣が修理された際に築かれたことがわかり、築城当時から櫓が建っていたことも確認されたそうな。(^o^)


冬は、空気が澄んで遠くまでくっきりと景色が見えます。


天守や着見台、西の丸からは、雪を被った伊吹山や湖北の山々、琵琶湖の対岸の比良山系がきれいに見渡せますよ。\(^o^)/


さっき寄ったスーパートライアルも見えます。


太鼓門櫓の中が見れるみたいなので、入る事にしました。(*^^*)


太鼓門櫓も、天秤櫓・西の丸三重櫓、そして天守などと同様に、築城時にほかの場所から移築された建物です。


長い間、太鼓門櫓は、彦根城築城以前に彦根山の山上にあった、彦根寺の山門を移築したものと考えられてきました。


彦根寺は観音信仰の寺として広く知られていました。


彦根山に向かって西に伸びた「巡礼街道」は、かつて、彦根寺へ多くの都人が参詣したため付けられた名称ですが、こうした観音霊場では納札を寺の建物などに打ち付ける習わしが古くからあります。


太鼓門櫓には門の柱に古い釘穴がたくさん残っており、これらの釘穴を納札を打ちつけた痕跡と考えて、彦根寺山門の移築説が生まれ、広く流布していたようですよ。


それでは、そろそろ次の場所に向かいます。


彦根城天守閣から自転車に戻り、『玄宮園』に向いました。



彦根城は保存状態が良いことでも定評があり、およそ400年前に築城されたその当時と、ほぼ同じ状態で保存されています。 


実は、終戦日である1945年(昭和20年)8月15日、連合国軍は彦根を襲撃する予定だったそうです。


当日の午後に日本がポツダム宣言を受け入れて降伏したため、彦根は襲撃を免れ、彦根城も被害を受けずに済みました。 


もしあと1日、数時間でも終戦が遅ければ、400年前当時の姿は残っていなかったかもしれませんね。(*^^*)


あちらに屋形船の乗り場があるみたいです。


屋形船に乗っての彦根城の観光は、堀端を歩いて散策するのとはまた違った魅力を発見していただけます。(^^)


屋形の中へのご乗船なので雨天や雪の日でも城内をめぐることができます。(大人1300円。)


『玄宮園』に着きました。\(^o^)/


玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。(^o^)


隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に指定されています。


現在は、庭園部分を玄宮園、御殿部分を楽々園と称しています。………続く


『感想』

姫路城か仙台城跡を見に行きたくなりました。行けてなかったからですね。(^^)ρ(^^)ノ