2023/5/11~5/13投稿


なかなかいいサービスですね。\(^o^)/


確かに、昭和生まれがZ世代の格好のネタですからね。(*^^*)


讃岐民芸館を出発し、取り敢えず道沿いに進みました。(^o^)


ちょうど見学通路の真ん中に『商工奨励館』があります。\(^o^)/


このまま道なりに歩きました。( ´∀`)


江戸時代には歴代高松藩主が藩の文化を生み育て、発信する場でもあった栗林公園。 


明治32(1899)年に園内に建てられた「商工奨励館」は、香川県の文化・芸術・産業の発信地として、今もその役割を担い続けています。


素晴らしい景色ですね。広いです。(*^^*)


盆栽がデカくなったような風景です。(*^^*)


『商工奨励館』に着きました。(^o^)


明治の面影を残し、園内でもひときわ大きな存在感を放つ「商工奨励館」。 


商工奨励館の一部施設を貸し室として貸し出していて、ちょうど卒業式が貸し切りで行われていていました。



商工奨励館は、明治32(1899)年に建てられた延床面積1,262平方メートルの建物で、当時は「香川県博物館」として使用されていました。


なんじゃ、右のデカい人形は……(^o^)


俺より顔がデカいぞ。( ´∀`)


『奉公さん』っていうそうです。(^o^)


おかっぱ頭に真っ赤な着物を来た姿が特徴的な奉公さん。 


病気のお姫様の病を身にうけたおまきさんは離れ小島に流され身代わりとなりお姫様は全快したという話もあります。


この話から魔除けや病除けの縁起ものとしてありがたがれるようになりました。 


高松市の鍛冶屋町では、昔からデコ(人形)作りが盛んでした。


その一つ、粘土や木の型に和紙を貼り重ねて作ったものが張子と呼ばれ、江戸時代、松平頼重が讃岐高松藩に入る際に製法が伝えられたとされています。


他にも『栗林図』や……( ´∀`)


香川の伝統的工芸品が飾られてました。(^o^)


『丸亀うちわ』が紹介されてますね。



昭和13(1938)年には現在の「商工奨励館」と名を改めました。( ´∀`)


平成27(2015)年からは外観や名称はそのままに耐震補強やバリアフリー化工事が竣工し、内装を一新しています。\(^o^)/


本館1階には公園の見どころや歴史などを紹介するガイダンス機能を持たせてます。


『栗林公園』ゆかりの人物が紹介されてました。(^o^)


江戸時代の奇才・平賀源内は、享保13年(1728)高松藩の御蔵番の子として現在のさぬき市志度(旧志度町)で生まれた。発明の才に富み、酒脱の気風があった源内は、エレキテル(日本で初めて復元された電気機器)の復元、燃えない布・火浣布、量程器(万歩計)、磁針器等多くの発明をした。


ちょっと『西館』に行ってみましょう。(^o^)


西イタリアンカフェ「ガーデンカフェ栗林」が讃岐三畜や瀬戸内海産の魚介、旬のフルーツ、希少糖など県産食材にこだわったメニューを提供しています。まだオープン前みたいですね。


その奥には讃岐うどんの歴史が展示してありました。( ´∀`)


讃岐うどんは、讃岐が生んだ弘法大師空海が、遠く中国から持ち帰ったのが始まりと伝えられています。(^o^)


空海は延暦804年31歳の時入唐。1年あまり長安に滞在して806年帰国しました。そのとき、持ち帰ったのが「うどん製法」「小麦」「唐菓子」のいずれかであったと言われています。


以来、讃岐ではうどん作りが盛んになり約300年前からの江戸の元禄時代の頃、狩野休円清信が「金毘羅祭礼図」(屏風一双)に3軒のうどん屋が描かれており、早くも金毘羅さんで「うどん屋」が現れたことを証明されます。

 
今度は本館2階に行ってみましょう。……続く

『感想』
とても落ち着く場所で、2階からの眺めは最高でした。1時間ちょいの制約があったので、さくっとしか回れませんでしたが、今度はゆっくり見て回りたいと思います。(^^)ρ(^^)ノ