2023/5/21~5/23投稿


石壁(赤壁)の隣に滝が見えました。(*´∀`*)

香川県高松市、国の特別名勝である栗林公園(りつりんこうえん)に落ちる唯一の滝が桶樋滝(おけどいのたき)。(*^^*)


大名庭園だった南庭、庭園の借景としても機能する紫雲山の赤壁に懸かる落差8mの滝で、もともと藩主が鑑賞するために築かれたものを平成9年5月に復元した人工の滝だそうです。


藩主が見るための滝まで作るなんて、『あっぱれ!』です。(*´∀`*)


ちょっとお勧め赤い点線ルートを外れて、左上を目指しました。(*^^*)


とにかく手入れが行き届いてますよね。(^^)


この池みたいな場所が見えて来ました。(*^^*)


栗林公園南庭最大の池『涵翠池(かんすいち)』に来ました。(*´∀`*)


香川県高松市、国の特別名勝に指定される栗林公園(りつりんこうえん)で、大名庭園(栗林園)の面影を今に伝えるのが南庭。


南庭最大の池、南湖の西にあるのが涵翠池(かんすいち)。翠(みどり)を涵(ひた)すというのが名の由来で、背景に緑滴る紫雲山を眺めるビュースポットになっています。


瑶島(ようとう)と呼ばれる中島があり、怪石の石組みで蓬莱仙島(不老不死の仙人が住むとされる島)を表現しています。


涵翠池では夏になると淡いピンクや赤色のスイレンが花を咲かせて、見事なんだそう。(*^^*)


ソテツが沢山並んでいました。(*´∀`*)


薩摩藩主島津公より高松藩に寄付された琉球産の蘇鉄が植えられている築山が鳳尾塢だそうですよ。


涵翠池には瑶島(ようとう)と呼ばれる中島があり、怪石の石組みで蓬莱仙島(不老不死の仙人が住むとされる島)を表現しています。


涵翠池では夏になると淡いピンクや赤色のスイレンが花を咲かせて、見事。


涵翠池を南側に小普陀(しょうふだ)と呼ばれる場所がありますが、実は、この一帯が、栗林公園で最初に作庭が始まった場所だと推測されています。


室町時代、生駒氏の家臣、佐藤志摩介(さとうしまのすけ)が隠居した時代、栗林公園南西部に位置する小普陀の辺りに屋敷を構え、仏教的な庭を築いたという大名庭園以前の庭園です。


発掘調査などで、室町時代の築山枯山水風の手法を有しており、その南側に江戸時代の観音堂の跡があるので、もともと仏教寺院だったのかもしれません。(^o^)


掬月亭(きくげつてい)に着きました。(^^)


江戸時代初期の大名庭園の姿を今に伝える南庭にある掬月亭(きくげつてい)は、江戸初期の17世紀に建てられた数寄屋風書院造りの建物です。


大茶屋とも呼ばれ、歴代の藩主が茶会や舞を楽しんだ場所です。\(^o^)/


床を低くし壁を少なくした開放的な造りで、あたかも湖面に浮かぶ船のよう。(^o^)


数寄屋風の建物で月の眺めがいいということから、唐の詩人・于良史(うりょうし) の漢詩『春山夜月』の一文、「掬水月在手、 弄花香満衣」 から命名されたものです。(^^)


「水を掬(すく)えば月手にあり」、つまり、水を両手で掬い取ってみると、その水面に必ず月は姿を映し、キラキラ輝くはず。


つまり、美しい月を見ているだけでは、それに気づくことができないが、水を手で掬うことで、美しさがわかるという、月は悟りの象徴になっているそうですよ。




少し北側の見ていない場所を見ました。(^o^)


西湖の南端にあたる池泉は睡竜潭といい、中島は慈航嶼と呼ばれる。


島には2つの橋がかけられていて、手前の橋が津筏梁、奥の橋が到岸梁と呼ばれる。


5月には津筏梁の脇にはカキツバタが見られるそうな。(*^^*)


16世紀後半に豪族佐藤氏によって、佐藤家の別邸のあった小普陀付近に築庭されたのに始まるとされている。


1625年頃に、讃岐国領主の生駒高俊公によって南湖一帯が造園され、現在の公園の原型が形作られる。


松平時代になり、5代松平頼恭公の時代に園内六十景命名をもって完成し、以降明治維新に至るまでの228年間、松平家11代の下屋敷として使用された。 


園内は北庭と南庭に分かれ、6つの池と13の丘があり、紫雲山を借景にした大変美しい庭園となっている。


そんな栗林公園の始まりの少普陀(しょうふだ)。


見事な石組が施されている小高い築山で、室町時代の手法を取り入れたこの石の据え方は、本園の築庭においても古い。


小普陀(しょうふだ)の名は”中国観音の座”ともいうべき霊場の中国の普陀山(ふださん)にならって名付けられた由緒深い場所である


そうとは知らずに眺めてました。……続く

『感想』
公園内に滝が流れてましたね。タッキ~(^_^)/
何の意味もありません。(;´д`)