2023/3/27〜3/29投稿


平清盛は社殿の造営以外にも、京都や大阪の文化を伝えたり、美術・工芸品などを奉納しました。 (^o^)


中でもよく知られているのが、国宝 平家納経。 


平家納経は、なんと清盛自筆の第1巻願文からはじまり、平家一門の写経が収められています。


平家の栄華は厳島神社のご加護あってこそと、喜びと感謝の意を示して奉納されました。


平家納経は通常非公開ですが、年に2回特別公開しています。 


平清盛から代々篤く厳島神社を信仰してきた、平家と厳島神社のつながりが感じ取れる一品。


ご覧になりたい方は事前に公開日を調べておきましょう。 


またレプリカは常時宝物館に展示されているので、公開日にご都合が付かない方も見ることができますよ。


今度は厳島神社の真正面から大鳥居を見ました。(*^^*)



今日は潮が引くまで待てませんので、しっかり目に焼きつけていきます。(^o^)


せっかくですから、参拝していきます。



古くは「伊都岐島神社」とも記された。(^^)


全国に約500社ある厳島神社の総本社である。 


平成8年(1996年)12月にユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。


社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされる。


「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとする説がある。 厳島神社の鎮座する厳島(宮島)は「神に斎く(いつく = 仕える)島」という語源のように、古代から島そのものが神として信仰されたと考えられている。


厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったとされる。


文献での初出は、弘仁2年(811年)に名神に預かったという記事である。


平安時代中期の『延喜式神名帳』では「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載されて名神大社に列したほか、安芸国一宮とされた。その頃には神職は佐伯氏が掌握した。


お賽銭を入れました。いくら入れたかは、アップして見ないでね。(・・;)


この社格が昇っていく過程で祭神が整備されていったと考えられており、祭神の市杵島姫命が明記されるのは『一宮記』以降になる。


本殿を参拝したので、順路通り右に抜けていきます。(^^)


うちの家の廊下とはえらい違いです。



平安時代末期、神主・佐伯景弘と当時の安芸守・平清盛の結びつきを契機に平家一族から崇敬を受けた。(^o^)


仁安3年(1168年)頃、平清盛が社殿を造営し現在と同程度の大規模な社殿が整えられた。


平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となった。(*^^*)


平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けるが、建永2年(1207年)と貞応2年(1223年)の2度の火災で建物の全てを焼失している。(^^)


そのため、現在残る社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に造営されたものである。


厳島は神の住む島として禁足地とされ、鎌倉時代頃までは地御前神社(外宮)において主な祭祀が行われていた。(^o^)


鎌倉時代末期から南北朝時代以降、社人・僧侶が禁を破って住むようになったとされる。 (^^)


こちらは『能舞台』だそうです。\(^o^)/


常設の能舞台は、江戸時代の初め、慶長10年(1605年)、安芸広島と備後鞆49万8000石の大名となった福島正則が建築しています。


福島正則が建てた能舞台は、周囲の松を伐採しての急造のものだったため、延宝8年(1680年)、広島藩主・浅野綱長が改築しています。


ここは『大国神社』というそうです。(^^)


縁結びの神様を祀ってあるそうですよ。……続く


『感想』

前回1人で厳島に来た時は、厳島神社をじっくり見なかったので、今回はじっくり見させて貰いました。厳島神社に前回来た時は委託組合の旅行で、周りに仲間が何人かいたからゆっくり見れなかったのを思い出しました。(*^^*)