2023/4/18~4/20投稿


ルート的には赤いルートを左上に見て上がりました。\(^o^)/


跨虹橋や清風館が向こうに見えます。(^o^)


風情のあるお手水鉢がありました。\(^o^)/


『萬歳手水鉢(ばんざいちょうずばち)』というそうです。(^o^)


縮景とは、各地の景勝を聚め縮めて表したことを意味し、あるいは中国の西湖周辺の風景を縮めて表したことによると言われる。


名付け親は林羅山とも言われている。(^o^)

縮景園とセット割で入園してますから、見ていきますよ。



これは何でしょうね?(*´ω`*)


『御前水井戸』だそうです。「お前、水井戸?」「ううん、上水道(*´ω`*)」そういう意味じゃない?


縮景園と繋がる入り口には、広島県と縮景園の歴史が書かれてました。(*^^*)


安土桃山時代、毛利輝元により広島城が築城され開かれた城下町は、関ヶ原の戦い以降入封した福島正則により更に整備されていく。


江戸時代に入り正則が転封すると、元和5年(1619年)この地は浅野長晟が治め以降浅野氏による藩制が続く。


長晟は入封翌年である元和6年(1620年)、家老で茶人でもあった上田宗箇に別邸建設を命じ造られたのがこの泉水屋敷である。つまり、1620年は竣工年ではなく着工年である。 当時は小さな庭園であったが、歴代浅野氏藩主の寵愛を受け、次第に拡大していく


細かく年表として描かれていました。(*^^*)


明治以降、最後の藩主であり大名華族となった浅野長勲の別邸として利用され、「泉邸」と呼ばれるようになった。


明治後期の日清戦争時、広島大本営が設置された際には「大本営副営」(明治天皇の宿泊所)となった。ただ記録によると、明治天皇は大本営にずっと篭もって指揮をとっており、泉邸に行幸したのは1894年(明治27年)11月6日の一度きりであった。この時に天覧試合が行われ浅野一摩や高橋赳太郎らが出場している。

それではいよいよ入場です。



当館は、広島市の中心部に位置し、緑豊かな国の名勝・縮景園に隣接した都市型美術館です。


広島県ゆかりの美術作品、日本とアジアの工芸作品、1920-30年代の美術作品をテーマに4,000点以上の美術作品を所蔵しています。 


これは撮影OKみたいです。(*´ω`*)


作庭当時の縮景園の模型が飾られていました。


ここから2階に上がると常設展が見られるみたいです。(*^^*)


撮影NGが多かったですが、素敵な絵画に心が満たされました。\(^o^)/


飲食は出来ませんが、縮景園を上から眺められて癒やされます。(*^^*)


牧野富太郎先生なら1日いてもあきなさそうですね。(*^^*)


NHK4月からの朝ドラは『らんまん』。日本の植物学者、牧野富太郎先生がモデルです。(^^)


美術館の1階にはポルシェが飾られてました。


日本画を学んだこともある菅井の作品は、東洋的なエキゾティシズムをたたえたものとして、パリの美術界で高い評価を与えられた。当初はアンフォルメルの影響を受けた、象形文字のような形態を描いていたが、1962年頃から作風は一変し、幾何学的な形態を明快な色彩で描いた「オートルート」のシリーズを制作するようになる。

菅井は無類のスピード狂であり、愛車のポルシェで高速走行している時に浮かぶビジョンが制作のモチーフになっているという。

広島県立美術館をあとにし、次の場所へ向いました。……続く


『感想』

植物に話しかけるあの牧野先生の出てくる朝ドラは、植物好きをさらに増やしましたね。忙しい街中を歩いていると、ふいに美しい花に出会います。「おまん、名前はなんちゅうんじゃか?」と言いたくなりますね。(^^)ρ(^^)ノ