2023/4/25~4/27投稿


『京橋川オープンカフェ』と書かれた看板がありました。\(^o^)/


Rcc文化センター1階。会議後はもちろん、京橋川沿いのお散歩や、ウォーキングの途中に気軽に立ち寄れるカジュアルカフェです。


涼風に吹かれながら季節を感じるランチ&ティータイムにぜひどうぞ。(*^^*)


オシャレな水辺のカフェで、季節の移り変わりを感じながら、ゆったりとしたひとときを過ごせるように開発が進められているようです。


こちらの橋を渡るともう広島駅まで近くです。


広島を離れ、高松方面を目指しますよ。



広島駅が近づいてくると、高層ビルが目立ちます。新しく出来たのかな?


広島駅に入りました。なんで高松を目指したかと言うと、あのゲストハウスが格安だったんです。\(^o^)/


四国の旅でお世話になった、『トラベル&ブックホテル フラトンキャビン高松』が2000円以下で出ていました。(*^^*)


宿泊先が決まれば、旅のルートも自然と決まってくるもの。\(^o^)/



糸崎駅で乗り換えか、西条駅で乗り換えでも、高松に着く時間は変わらなかったので、西条駅を目指しました。(*^^*)


JR西条駅に着きました。懐かしいですね。
 


JR松永駅に停めた電気自動車ミーブを取りに、青春18切符で西条駅を目指しましたが、酔い潰れてしまい、2駅先の終電白市駅で下車。


JR白市駅から西条駅近くの『快活CLUB 東広島西条店』までタクシーで行ったのを思い出しました。(*^^*)


西条駅にいれるのは30分、降りてすぐに『西条酒蔵通り』を見つけました。\(^o^)/


江戸時代に陛路の中継地として栄えた西条酒蔵通り。(^o^)


その後、酒造りに適した気候と地下水の恩恵で、「酒都西条」と呼ばれる一大銘醸地となりました。\(^o^)/


今でもここには7つの蔵元が並び、伝統の技で酒造りが続けられています。(^^)


赤レンガの煙突、なまこ壁、西条格子、といった独特の風情を醸す街並み。 (^o^)


西条酒蔵通りを歩さ、その風情と文化を思い思いに楽しむことが出来ます。



駅の東側に多くの酒造施設が密集し、レトロな洋館社屋を前に構える。\(^o^)/


赤い煉瓦煙突を看板代わりにした西条独特の酒造会社スタイルの醸造元や、白い漆喰と黒い海鼠壁とのコントラストが美しい土蔵造りの酒蔵群。(*^^*)


千本格子の町家造りも残るバラエティに富んだ町並みを散策しながら、カフェやレストランなどを巡るのもお勧めです。\(^o^)/


『延宝蔵の由来』と書かれた案内板がありました。(*^^*)


延宝3年(1675年)に創業した場所に建つ延宝蔵です。(*^^*)


古書によると「慶長五年九月 関ガ原の戦いに、島左近勝猛、西軍の謀士の長たりしも、戦に破れ、長男新吉戦死す。次男彦太郎忠正 母と共に京都に在りしが、関ガ原の悲報を聞き、西走して安芸国西条に足を止む。彦太郎忠正の孫、六郎兵衛晴正、延宝三年酒造業を創む」とあるそいです。(^^)


延宝蔵から西条酒蔵通りを挟んだ向かいにも江戸期に建てられた母屋が残ります。


2つの大きな酒蔵が西条を訪れる人を出迎えてくれます。\(^o^)/


1675年の創業から300年以上、この地で酒造りを続けている歴史を感じますね。(*^^*)


徳川家康により、江戸時代初めから各地で整備された街道制度。ここ西条も古くから陸路の中継地として栄えました。(^^)


さらに酒造りに適した気候と地下水の恩恵で、「酒都西条」と呼ばれる一大名醸地となったと言われます。(*^^*)


伝統の技で酒造りが続けられる、独特の風情を醸す西条酒蔵通り。楽しいですね。



西条酒蔵通り(さいじょうさかぐらどおり)は、広島県東広島市西条地区にある通りの通称で、東広島市道西条本通線を構成する。 


安土桃山時代から江戸時代初期に西国街道(近世山陽道)として整備された道であり、宿場「四日市宿」の目抜き通りであった。


JR西条駅の南の商業集積地群の中を通り、地元住民の生活道路の一つ。(*^^*)


明治時代から盛んになった西条酒の生産拠点を東西に貫く通りで、イコモス国内委員会の日本の20世紀遺産「西条の酒造施設群」に選定された文化遺産群を構成する。


「酒蔵のあるまち並み」として1989年建設省手づくり郷土賞、2011年国土交通省手づくり郷土賞大賞受賞。 


いつ頃から呼ばれだしたかは不明だが、1997年東広島市観光協会が“酒蔵通り活性化事業”を始めている。


東広島市教育文化振興事業団の2002年資料には“四日市の西国街道は現在も西条本通と呼ばれ”と記載され酒蔵通りの名は無いそうだ。 


2017年選定された日本の20世紀遺産「西条の酒造施設群」の構成資産は、西条酒蔵通りと、(五十音順で)賀茂泉酒造・賀茂鶴酒造・亀齢酒造・西條鶴醸造・山陽鶴酒造・白牡丹酒造・福美人酒造の7社の酒造施設・家屋・庭園などの文化財からなる。


宿場時代からの歴史的な町並は大半が失われ地区の空洞化が進んでいった中、旧西国街道沿いの町並みや酒蔵群が密集する「酒蔵のあるまち」が内外で評価されるようになる。


きっかけは、広島大学統合移転を期に“賀茂学園都市建設計画”が作成されることになり、その計画作成チームが酒蔵のあるまちに注目し、計画作成にむけた基礎調査の一環としてデザインサーベイの第一人者であった神代雄一郎およびその明治大学神代研究室が調査を行ったことが始まりである。


こうした状況下で、商工会・商店街としては街の顔というべき駅前の活性化、それに加えて酒造協会・酒造メーカーとしては日本酒の人気回復策として、「酒都」を観光資源として活用していくことになる。


今度は改めて西条酒蔵通りをゆっくり見てまわりたいと思います。……続く


『感想』

この時にタクシーを使いました。皮肉にもタクシー運転手になると知りましたが、夜間て運賃2割増しなんですね。みんな知らずに高いなあ~って思いながら乗ってたのかも知れませんが、これからは横浜に来たら僕を使って下さい。(^∇^)