地名の由来は、稲穂を重ねたように見えるためだと言われている。古来良質な砂鉄が採取できることで知られ、古代にはこの地で製鉄がおこなわれていたと考えられるそうな。(^_^)/
『稲村ヶ崎温泉』がありました。かなりのお値段でございました。(^_^)/
稲村ヶ崎が特に有名になったのは、鎌倉の戦い。
鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)5月に上野国(群馬県)新田荘を本拠とする新田義貞が挙兵し、分倍河原の戦いと関戸の戦いで北条氏の軍に勝利して鎌倉に迫った。(^^)ρ(^^)ノ
5月18日、新田軍は極楽寺口より攻撃を加え、21日には義貞自ら稲村ヶ崎の海岸を渡ろうとしたが、当時の波打ち際は切り立った崖となっており、石が高く、道が狭小なため軍勢が稲村ヶ崎を越えられなかった。
そこで、義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると、その後潮が引いて干潟となったので岬の南から鎌倉に攻め入ったという伝説が『太平記』に記されている。\(^_^)/
ただし、近年において天文計算により、稲村ヶ崎の潮が引いたのは18日のことであったことが明らかになり、『太平記』の日付には誤りがあると考えられている。(^_^)/
眺めのいい展望台まで登ってきました。( ̄^ ̄)
こんな所に石碑がありました。( >д<)、;'.・
当時は細菌学の第一人者とされ、ルイ・パスツールとともに、「近代細菌学の開祖(細菌学の父)」とされる人だそうですよ。......続く