2022/11/24~11/26投稿


展望舞台の椅子に座って、宝満竈門神社のパンフレットを見ました。(*^^*)


遠くは太宰府天満宮から登って来られたみたいですね。俺には無理やな〜。(^o^)


そして近年、大ブームになっている人気漫画「鬼滅の刃」。宝満宮竈門神社(福岡県太宰府市)は、そのファン達から発祥の地・聖地などと呼ばれ、急激に注目を集めています。


宝満宮竈門神社が「鬼滅の刃」発祥の地・聖地といわれる理由は、いくつかあります。


一つは、炭次郎や禰豆子の苗字と同じ「竈門」が神社名であること。


また宝満宮竈門神社は、大宰府政庁の鬼門除けとしてお祀りされたと言われています。これは、鬼滅の刃の鬼退治と方向性が似ています。


なんと!どの絵馬も「鬼滅の刃」のイラストだらけ。\(^o^)/


しかもどのイラストも上手で、見ているだけで癒されます。 (^o^)


絵馬は、学業成就や健康祈願、コロナ撲滅祈願など、様々なメッセージが…。ここには多く人の思いが散りばめられています。(*^^*)


まるで苦難の時代に生きる現代人に勇気を与えてくれるかのような場所。\(^o^)/


鬼滅の刃ファンの方もそうでない方も、宝満宮竈門神社へ訪れたら、ぜひ絵馬掛所を覗いてみてください。


最後に、こちらの場所を目指しました。(^o^)


『末社 夢想権之助神社』です。(*^^*)


杖道の祖と称えられる夢想権之助は、江戸時代初期に活躍した剣客で、宝満山中で修業中に開眼し「神道夢想流杖術」を大成しました。


現在でも杖道愛好家の方々が御神徳を仰ぎ、毎月の神前稽古で技と心を磨いています。


『須佐神社』がこの上にあるみたいです。(^o^)


記紀神話によると、出雲国に至った須佐之男命は櫛稲田姫を守るためヤマタノオロチを勇猛果敢に退治した。


「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」という日本で最初の和歌を詠まれ、愛を育み永遠の契を結んでたくさんの子宝にも恵まれました。


須佐之男命の勇気ある行動と深い愛情は、良縁成就、家庭円満の象徴として尊ばれています。


竈門神社は天智天皇の御代、九州一円を統治する大宰府政庁が置かれた際、鬼門にあたる竈門山(宝満山)では大宰府また国家鎮護のための祭祀がはじまりました。


頂上の上宮が建つ巨岩の下からは和同開珎をはじめ皇朝十二銭や奈良三彩など、奈良時代から平安初期に国家的な祭祀が行われていたことを示す数々の出土品が確認されています。


江戸時代の博多の禅僧で著名な仙厓和尚も宝満山に魅了された一人で、頂上下の竈門岩の伝承に深く感銘し「仙竈」の文字を大書して「仙厓敬書」の銘を刻みました。


竈門神社は、承和二十二年(803)に従五位上が授けられ、その後徐々に位階を進め、嘉承元年(1106)には正一位を贈られ、『延喜式』には名神大社にも列せられました。


そして明治二十八年(1895)、竈門神社は官幣小社に列せられました。


竈門神社駐車場からチャリで『宝満通り』を少し走ります。(*^^*)


太宰府天満宮から宝満宮竈門神社まで続く『宝満通り』\(^o^)/


太宰府天満宮からのウォーミングコースとしても整備されています。(*^^*)


下までなだらかな下りですね。\(^o^)/


道沿いにはかわいい食事場所もありました。


通り沿いに目立つ石碑が立ってました。(^o^)


ちゃんと『宝満通り』って書いてましたね。(^^)


あんまり降りると帰りがきついのでこの辺で引き返します。(^o^)


見上げると『竈門神社』入口があります。左に曲がると『宝満山登山口』があります。(^^)


大宰府の北東にそびえる標高829mの山で、古くは御笠山と呼ばれ、美しい山容を誇ります。


奈良時代より山中で国家的国境祭祀が行われました。最澄は入唐の際にここで薬師仏を彫り航海安全を祈願したと記録され、帰朝後は日本六所宝塔を発願し、ここに安西塔が建立されました。


中世には寺院や大宰府守護の館がおかれ海外交易なども行っていました。現在は竈門神社の社地となり、古代祭祀の山の風情を伝えています。……続く

『感想』
やっぱり竈門神社と言えば"鬼滅の刃"。竈門炭次郎と関わりがなんかあるのでは・・・と言われてますね。また新シリーズも始まりますし、ファンとしては楽しみであります。ちなみに全巻読破いたしました。\(^_^)/