2023/1/6~1/8投稿
太宰府天満宮の境内図がありました。(*^^*)
太宰府天満宮よりもどちらかと言えば『だざいふ遊園地』が目的地です。理由は後で分かります。(*^^*)
九州国立博物館って太宰府天満宮からエスカレーターで行けるんですね。(^^)
『だざいふ遊園地』は“かしいかえん”と同じ西鉄グループの遊園地です。(^o^)
心字池を右回りでだざいふ遊園地に向かいます。(*^^*)
類まれなる才能の持ち主であり、人々から厚い信頼を得ていた菅原道真公。
そのご生涯は、政略による左遷など波乱万丈のものでした。(^^)
道真公は、幼少の頃より学問の才能を発揮され、わずか5歳で和歌を詠まれるなど、神童と称されました。
道真公は、さらに勉学に励み、学者としての最高位であった 文章博士(もんじょうはかせ)となり、栄進を続けられました。
学問だけでなく、弓にて百発百中の腕前を披露されるなど、文武両面に傑出した人物として、その名を馳せていました。
京都から讃岐国の長官として赴任された際、疲弊していた国を建てなおすなど善政を行い、住民に大変慕われました。
その実績が宇多天皇に認められ京都に戻り、厚い信任を受け、ますます政治の中心でご活躍されました。
菅原家は、天穂日命(あめのほひのみこと)※に起源をもち、曾祖父古人公の時代に、学問をもって朝廷に仕える家柄となりました。
寛平6年(894)、唐の国情不安と衰退を理由に遣唐使停止を建議され、後の国風文化の開花に大きな影響を与えました。
その後、右大臣に任じられ、国家の発展に尽くされていましたが、左大臣 藤原時平の政略により、身に覚えのない罪によって大宰府に突如左遷されることとなりました。
大宰府では、衣食もままならぬ厳しい生活を強いられながらも、皇室のご安泰と国家の平安、またご自身の潔白をひたすら天にお祈りされ、誠を尽くされました。
延喜3年(903)2月25日、道真公はその清らかなご生涯を閉じられました。
その後、朝廷でも無実が証明され、人から神様の御位に昇られた道真公は、太宰府天満宮に永遠に鎮まり、「学問の神様」・「至誠の神様」として現代に至るまで永く人々の信仰を集めています。
そんな道真公に思いを馳せながら、そろそろ『だざいふ遊園地』に向かいます。(*^^*)
ここが国立九州博物館まで行ける、長いエスカレーター入り口です。\(^o^)/
ゆっくり見ていけば1日では全然足りませんね。なんせ駐車料金が気になりますから!!
目的地の『だざいふ遊園地』に到着しました。
覚えてますか?かしいかえんにいた、やぎの『かりん』と『ゆず』を……。閉園して2ヶ月、引っ越しした2匹に会いに来ました。(^o^)
まだ使えたかしいかえんの年間パスポートを見せたら、『半額』でした。
太宰府天満宮の境内にある小さなお子様から楽しめる遊園地 (*^^*)
太宰府天満宮の敷地内にあり、子供向けのアトラクションが約20機種揃っています。
小さなお子さまからお楽しみいただけるので、幼稚園、保育園の遠足などでも多くご利用いただいています。
太宰府天満宮から境内東側約3万平方メートルの敷地の無償貸与を受けて建設された遊園地でゴーカート、コーヒーカップ、メリーゴーランド、水上コースターなど子供向けの遊具約20種類を設置している。
なお、ジェットコースターを西日本で初めて導入している。
2011年(平成23年)4月に観覧車から幼児が転落する事故があり、その後観覧車は撤去された。
1957年(昭和32年)9月17日に資本金2500万円(西鉄・太宰府天満宮各1000万円、その他500万円)で運営会社の太宰府園が設立され、同年10月13日に「だざいふえん」の名で開園した。
開園以来、大規模な設備投資を実施することなく推移し、1974年(昭和49年)のピーク時には年間64万人の入場者を記録したが、その後、少子化やレジャーの多様化が進み、2004年(平成16年)には年間13万人まで減少していた。
2005年(平成17年)にだざいふえんの近隣に九州国立博物館が開館するのを機に、同年7月から遊具の新規導入および塗り替えを行った。
また、梅をイメージした淡紅色の正面ゲートの新設などの改装工事を約1億円をかけて実施し、同年10月13日に新装開園した。
これにあわせて名称も「だざいふえん」から「だざいふ遊園地」に改められた。
かしいかえんのヤギたちは引っ越しに時間をかけて、慣らし期間を設けているらしく、来月中に来る予定との事でした。残念ですね。……続く
『感想』
ヤギのカリンともう一匹が、今はなき"かしいかえん"から転園して来たんですけど、あれから全然いけてないですね。今度はぜひ会いに行きたいと思います。