横浜に帰着したばかりの氷川丸は海軍に徴用されて特設病院船に改装されることになります。 


1941(昭和16)年11月21日改装工事のため、横須賀海軍工廠造船部岸壁に係留され、12月下旬に艤装を終えました。 (*^o^)/\(^-^*)


氷川丸は海軍特設病院船として国際条約に則り、船体と煙突は白色塗装、船体側面には緑色の1本の帯が施され、両舷の中央と煙突に赤十字マークが描かれました。(^^)


船内は一、二等社交室や一等特別室、中央階段など模様替えを行わずそのまま残った場所もありますが、客室や船倉など大部分は改装されて病院設備や病室が設けられました。(^∇^)


ちょっと外に出ると、椅子がいっぱいありました。( ̄^ ̄)


なかなかいい眺めです。(*^o^)/\(^-^*)


おじさんの頭、ボサボサでんなあ。\(^_^)/


向かい側には、『GUNDAM FACTORY YOKOHAMA』がばっちり見えますね。(^∇^)



病院船の任務は戦地の海軍病院と日本を結び、戦傷病者を収容して日本に帰国させることです。加えて治療、衛生検査、防疫、戦地や軍艦への医薬品補給など多岐にわたりました。 


氷川丸は終戦までの3年半にトラック、ラバウル、バリクパパン、ジャカルタ、サイパン、マニラなどへ赴き、計24回の航海で3万人にのぼる戦傷病兵を収容し内地へ輸送しました。 


任務中は3度にわたり触雷に遭遇しますが、他の船と比べて厚い鋼板で頑丈に造られていたことから、大破沈没を免れました。........続く