1950(昭和25)年、日本郵船はシアトル定期航路の再開許可をGHQに申請、翌年に月1回の定期配船が許可され、10月より貨物船4隻をもって同航路の配船が実施されました。 (~o~)


一方、氷川丸は1951(昭和26)年3月より約2ヶ月半をかけて大改装を行って戦前の貨客船時代の姿を取り戻し、ニューヨーク航路、欧州航路に配船され、のちにシアトル定期航路に復活を果たすことになります。


シアトル航路に就航した氷川丸は年間7航海、往航は神戸・名古屋・清水・横浜/シアトル・バンクーバー間、復航はシアトル/横浜・神戸(ホノルルは臨時寄港)間を運航し、フルブライト留学生をはじめ、AFS留学生や私費留学生など多くの若者が海を渡りました。 (^∇^)


乗船したフルブライト留学生は1953(昭和28)年から7年間で2,500人に及びました。(^^)


シアトル航路に復帰した氷川丸は再び貨客船として活躍しますが、船齢30年という老朽化に加えて飛行機の普及や、積荷の激減から、1960(昭和35)年にはとうとう引退が決定しました。


旅客輸送は飛行機へ、貨物輸送は専用船へと時代が移りゆく中、日本郵船は客船事業から撤退します。


1896(明治29)年に開設した日本郵船のシアトル定期客船サービスは、氷川丸の引退によって歴史の幕を閉じました。


船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、大変活躍しました。(*^o^)/\(^-^*)



横浜港外に係船されていた氷川丸に、神奈川県と横浜市から横浜のシンボルとして山下公園前に係留の上、海事・海洋思想普及のための海の教室と宿泊施設を兼ねた観光船にしたいという要望がありました。 (^∇^)


1961(昭和36)年5月17日、改装を終えた氷川丸は桟橋に横付けされ、横浜開港記念日の6月2日に海の教室ユースホステルとして開業しました。(*^o^)/\(^-^*)


その後、観光船として、水族館やレストラン、ビアガーデンなどの事業を展開。(^^)


修学旅行生を主とした宿泊業務は1973(昭和48)年まで続きました。......続く