船体沈没の進行は予想よりも早かった。(;´д`)


やむなくボートには女性と幼い子供が優先的に乗せられ、多くの男性は強制的に排除されたが、クルーも救助活動に不慣れな者が多く、定員に満たないまま出発するボートもあった。


結果的に多数の乗客乗員が船に取り残された。


タイタニックは1,000人以上を乗せたまま沈んだ。


海に浸かった人のほとんどが数分後に低体温症により死亡した。


救助にあたった客船「カルパチア」が4月15日の9時15分に最後の1人を救い上げた時は、既に船の沈没から7時間、衝突から実に約9時間半が経っていた。


この災害は、救命ボートの数、緩い規則、旅客の等級によって異なる避難時の対応など、ずさんな危機管理体制が多くの人の義憤を引き起こした。


この事故をきっかけとして救助のあり方が見直され、1914年に海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS)が作られた。これは今も海の安全を守っている。


そんな映画『タイタニック』が、一番好きな映画なんですね。(^∇^)


氷川丸は引退までの30年間に合計127回太平洋を横断しました。 


日本とアメリカを結ぶ貨客船として活躍したのはもちろんのこと、戦争中は傷病兵を治癒し運ぶ病院船として活躍。


戦後は復員軍人や一般法人の引き揚げ輸送にも大きな役割を果たし、30年間を通して約9万人もの人々を運びました。......続く