昭和40年代以降、海上輸送のコンテナ化が急速に進み、大型コンテナ船に対応した深水型の長い岸壁、ガントリークレーン、広大なコンテナヤードを備えた新しいふ頭が整備される中で、1976年には取扱貨物量が激減しました。( ̄^ ̄)


倉庫としての役割が低下し、用途廃止や建物の解体も想定される中、横浜市の都市再生計画において赤レンガ倉庫の保存が検討され始めました。 


横浜市は、横浜駅周辺と関内、伊勢佐木町という2つに分断された都心部を一体化させ都市機能を充実させるために1983年(昭和58年)に「みなとみらい21」事業に着手しました。(^∇^)


また、中央地区(みなとみらい駅周辺)にはランドマークタワーをはじめとする近未来的な街が作られた一方で、新港地区は港のシンボルである赤レンガ倉庫を中心として歴史と景観を活かした街づくりが進められることとなりました。


赤レンガ倉庫の取扱貨物量はその後も減り続け、1986年には年間2,000t、輸入は塩蔵野菜や竹ほうき、輸出はコピー機械が中心でした。


そして1989年(平成元年)、倉庫としての用途は廃止され、赤レンガ倉庫は80年の歴史に一旦幕を下ろすことになります。( >д<)、;'.・



横浜市は、国との交渉の末、赤レンガ倉庫の土地と建物を取得し、「保存・活用検討委員会」を設置、保存活用に向け大きく前進した。


現在はこんな感じです。\(゜ロ\)(/ロ゜)/


赤レンガ倉庫は関東大震災以降、大規模な修繕が行われていなかったために本格的な改修工事が必要な状態でした。 ( >д<)、;'.・


屋根の改修や窓やひさしの復元、落書きの除去、鉄骨のよる構造補強など改修工事は1999年まで続きました。\(^_^)/



ガス、電気、水道などのインフラや文化施設・商業施設として必要な設備を整えるための内部改修工事が行われました。(^∇^)


新たな機能を備えながらも、歴史的建造物としての記憶を留めるために、コルゲート天井、防火戸、吊戸車、階段室など創建当時の部材を残す工夫が随所に込められています。(^∇^)


喉が渇いたので、アイスコーヒーを買いました。見てるだけて楽しいですね。......続く