昭和13(1938)年には現在の「商工奨励館」と名を改めました。( ´∀`)


平成27(2015)年からは外観や名称はそのままに耐震補強やバリアフリー化工事が竣工し、内装を一新しています。\(^o^)/


本館1階には公園の見どころや歴史などを紹介するガイダンス機能を持たせてます。


『栗林公園』ゆかりの人物が紹介されてました。(^o^)


江戸時代の奇才・平賀源内は、享保13年(1728)高松藩の御蔵番の子として現在のさぬき市志度(旧志度町)で生まれた。発明の才に富み、酒脱の気風があった源内は、エレキテル(日本で初めて復元された電気機器)の復元、燃えない布・火浣布、量程器(万歩計)、磁針器等多くの発明をした。


ちょっと『西館』に行ってみましょう。(^o^)


西イタリアンカフェ「ガーデンカフェ栗林」が讃岐三畜や瀬戸内海産の魚介、旬のフルーツ、希少糖など県産食材にこだわったメニューを提供しています。まだオープン前みたいですね。


その奥には讃岐うどんの歴史が展示してありました。( ´∀`)


讃岐うどんは、讃岐が生んだ弘法大師空海が、遠く中国から持ち帰ったのが始まりと伝えられています。(^o^)


空海は延暦804年31歳の時入唐。1年あまり長安に滞在して806年帰国しました。そのとき、持ち帰ったのが「うどん製法」「小麦」「唐菓子」のいずれかであったと言われています。


以来、讃岐ではうどん作りが盛んになり約300年前からの江戸の元禄時代の頃、狩野休円清信が「金毘羅祭礼図」(屏風一双)に3軒のうどん屋が描かれており、早くも金毘羅さんで「うどん屋」が現れたことを証明されます。

 
今度は本館2階に行ってみましょう。……続く