神埼市にある九年庵は佐賀の実業家・伊丹弥太郎が、1900年、明治33年から9年の歳月をかけて庭園を完成させたことからその名が付けられました。


伊丹 弥太郎(伊丹 彌太郎、いたみ やたろう、慶応2年12月12日(1867年1月17日) - 1933年(昭和8年)10月3日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の実業家です。


現在の佐賀県佐賀市出身。\(^o^)/


父の事業を継いで佐賀の栄銀行(佐賀銀行の前身の一つ)頭取を務め、同行を中心に多数の企業に関係して「佐賀財閥」と呼ばれる地方財閥を築いた。


また佐賀県下有数の地主でもあり、佐賀県多額納税者として貴族院議員を1期7年務めている。 


佐賀県外では電気事業や鉄道事業にかかわり、九州電灯鉄道・東邦電力社長、九州鉄道(現・西日本鉄道)初代社長を歴任した。


伊丹が関連した会社のうち広滝水力電気は、佐賀県で最初の電力会社であった。


同社は佐賀県出身の実業家牟田万次郎が主導した水力発電計画が起源で、伊丹は佐賀百六銀行頭取中野致明、大川運輸社長深川文十ら佐賀の有力財界人とともに会社の発起人に加わり、1906年(明治39年)の会社設立とともに取締役に就任した。


さらに広滝水力電気が規模を拡大して1910年(明治43年)に九州電気へと改組すると伊丹は専務取締役に昇格している。


1912年(明治45年)6月、伊丹が専務を務める佐賀の九州電気と、福岡市を中心に電気事業と路面電車事業を営む博多電灯軌道(旧博多電灯・福博電気軌道)が合併し、九州電灯鉄道(本社福岡市)が発足する。


合併に際して筆頭株主で博多電灯軌道相談役の福澤桃介が新社長の候補であったが、福澤が社長就任を辞退したため、伊丹がこの九州電灯鉄道の社長に就任した。


以後、九州電灯鉄道は相次ぐ合併・買収により供給区域を福岡・佐賀両県のみならず長崎県・熊本県・山口県へと拡大し、資本金5,000万円という有力な電気事業者へと発展していく。


もうすぐ別邸のかやぶき屋根が見えてきますよ。……続く