高さ43.1メートルの粗石モルタル製の重力式コンクリートダム[2]。
官営八幡製鉄所の土木課長だった沼田尚徳が中心となり、設計・施工に当たった。
堰堤は高さ43.1m、幅189mで、石造りの立派な造りであり、着工当時は東洋一の規模と言われた。
ほとんど人力で工事は進められ、延べ90万人が動員されたが、一人も殉職者は出なかったという[2]。
高さ43.1メートルの粗石モルタル製の重力式コンクリートダム[2]。
官営八幡製鉄所の土木課長だった沼田尚徳が中心となり、設計・施工に当たった。
堰堤は高さ43.1m、幅189mで、石造りの立派な造りであり、着工当時は東洋一の規模と言われた。
ほとんど人力で工事は進められ、延べ90万人が動員されたが、一人も殉職者は出なかったという[2]。