2019/11/4投稿
僕の新しく住む『下宿島村』は、JR鍋島駅から歩いて5分だった。もともとそんなに荷物はないが、さすがに風呂敷で荷物を運んで来たあの若さはなく、宅急便という便利な制度を活用した。18歳の頃は宅配便なんて頼んだ事も、使う事もなかった。まして引っ越し屋に頼むなんて贅沢は出来ない。
佐賀に来た頃は桜が満開に咲く季節だ。嘉瀬川という人工の川があり、『神野公園』が桜の名所だ。でも「じんのこうえん」なのか「かみのこうえん」なのか……「こうのこうえん」が正解の読み方だ。佐賀は地名から大変で『小城』(おぎ)『厳木』(きゅうらぎ)『相知』(おうち)『多久』(たく)と、唐津沿線だけでも、読むのに一苦労だ。
僕が降りた鍋島駅から歩いて5分、『下宿島村』に夕方到着した。もう辺りはすっかり暗い。島村のお婆ちゃんと奥さんの美紀子さんからテーブルに案内された。最初に、前金と敷金で10万円払いました。親から毎月10万円、仕送りをもらうようになったが、無駄遣いは出来ない。『下宿島村』朝と夕のご飯付き。水道とお風呂は共同で、6畳1部屋だった。各部屋に電気メーターがついていて、各自でお金を払うようになっていたが、鍵は特についてなかった。美紀子さんからは「女の子だけは連れこまないで下さいね。」とだけ、注意されました。人生に彼女がいた事がないのに、そんな日が来るのか(意外と早く来ましたが)複雑な気持ちを抱きながら、「わかりました!」と答えた。
入学式は4月8日、入学式まではまだ数日あったので、まずは自転車を買った。足がないと何処にもいけない。バイクの免許は有ったが、買うお金はバイトして貯めるしかありません。新聞屋のカブ号が懐かしい。
同じ『下宿島村』は、北の棟と南の棟がありました。基本は学生さんだけなんですが、社会人の方も2人、南の棟にいました。2千円程高く、ちょっとだけ設備がいいみたいです。仲良くなれそうな人はいなかったので、最後まで行く事がありませんでしたが、佐賀医大の女性が住んでいると聞くだけでたぎるものが…、男だね。僕は2階1番右側の角部屋でした。ちょうど5万円で、同じ短大の人も3人いると教えて貰いました。
僕より先に入居していた、独さん(ひとりと読みます)。独さんは今度入学する佐賀短期大学の頭のいい生活福祉学科の新入生で、介護福祉士が取れるコースに通うという話だ。エレキギターとか楽器が沢山あり、レッドチェッペリンやオアシスが好きな人だった。日本人では、吉田拓郎が好きで、話をする時も必ずギターを触っていた。時々、拓郎の『洛陽』なんかを歌ってくれた。
しぼったばかりの夕陽の赤が 水平線からもれている 苫小牧発・仙台行きフェリー あのじいさんときたら わざわざ見送ってくれたよ おまけにテープをひろってね 女の子みたいにさ みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく
僕が入って何日か後に、違う短大の梅ちゃんと唐津から来た寿司屋の息子、どこか憎めない茂木くんが入ってきた。みんな初めて会った時はぎこちなかっが、なんせドアを開けたら1部屋しかないから、全てが見渡せる。隣の部屋とも10センチの壁を挟んだ、ホントにフレンドリーな感じが、年も近いからみんな家族ぼい気がした。もうすぐ、入学式があるので新しい生活が始まるのを楽しみに待ちわびるのであった。
『感想』
プレイバックブログを始めて200回を迎えました。満を持して小説第3章を10話までプレイバックします。短大時代の思い出をフィクションを交えながら小説にしました。第1話は下宿島村からです。入学から新しいアパートを決めるまで2週間しかありませんでしたが、短大時代を2年間過ごしたアパートを、小説を書くに当たり、25年振りに訪れました。もう下宿は辞めたとは聞いていましたが、まだ建物は残っています。アパートの周りもずいぶん変わってました。この小説を書くに当たり、昔の場所を沢山訪ねました。しっかり準備して書き始めた第3章を楽しんで頂けたら幸いです。