タバコと体罰に見るファシズム度 2 | 中原慎介オフィシャルブログ「船橋家族のために働く」Powered by Ameba

タバコと体罰に見るファシズム度 2

昨日の続きです。

長くなりそうなので一言でいうと、禁煙をファシズムというなら今の体罰を否定するメディアの騒ぎもそのファシズムに近いんじゃないかな、という気がしています。

昨今の反対罰でよく言われるのは、桜宮高校の事件となぜかフィンランドの教育制度。

そもそも桜宮高校の暴行は体罰ですらなく、自殺するまで追い込むのは傷害致死じゃないの、という気もしますが検察もそこまではしないでしょう。でも、あれを体罰と一緒にするべきではないとは思います。

確かに体罰を肯定する理屈を言うのは非常に難しいです。

あえて根拠をあげるとすれば、自分が受けた体罰のなかで肯定的な影響を及ぼしてくれたと思えるものが多数ある、ということでしょうか。でもそれは普遍的なものではないし、反体罰論者からすれば簡単に反論できるでしょう。

私は、幼い頃父親に何度か殴られたし先生には中学校の頃によく殴られました。それは、大人達の愛情だと思っているし、そのおかげで今社会人として社会で機能する人間に育ち、家庭を維持することができているのだと思います。

でも、反体罰論者からすると「それがなければもっと優秀な大人になっていたはず。」とか言うんだろうなあ~(笑)

もちろん私が受けた体罰を全て肯定的に受け止めているわけではなく、例えば高校の時の吹奏楽部の顧問から受けた体罰は明らかに暴行であり単なる大人の憂さ晴らしだから許せない気持ちは未だにあります。

私の経験がどうこうという事ではなく、禁煙と共に反体罰に関しても、自論が絶対正義で反論を許さない風潮が非常に怖いな、と感じるこの頃です。

またまた長くなったので続きは明日書きます。

中原しんすけ