日本二十六聖人記念館を訪ねて 何が一番大切か | 中原慎介オフィシャルブログ「船橋家族のために働く」Powered by Ameba

日本二十六聖人記念館を訪ねて 何が一番大切か

こんばんは、船橋市議の中原しんすけです。


みんなの党会派で7月に対馬長崎へ視察に行ってきました。長崎で少し時間ができたので解散して自由時間になりました。私は日本二十六聖人記念館へ行きました。なぜ1ヶ月近くたって今更これについて書くのかと言うと、誤解をされてしまうかもしれないと思っていたからです。日本二十六聖人に関しては、宗教に殉じた敬虔な聖人であり、処刑した秀吉は残虐な殿様という受け止められ方が一般的ですが、特にヨーロッパではそうですが少し私は違うな、と思っていました。歴史認識もそうですが、何を最重要とするかの価値観にかんしてもそうです。


そもそも宣教師はなんのために日本に来たのか、その時代他の有色人種国家ではどういったことが起こっていたのかを考えると秀吉の選択肢は他になかったのでは、と思ったりします。他国を侵略するには当然その国について調べなくてはいけない、その斥候として宣教師は日本を含め世界中に行ったわけです。よく言われるように、「まず宣教師が入り、次に軍隊が入り、最後にコカコーラが入る」と。特に日本はその当時から教育レベルも有色人種国家の中では圧倒的に高く、戦闘力も高く、なによりも山と川が複雑に入り組んだ地形のため簡単に奥まで攻め入ることができない国です。北アメリカや中央アジアのように平原が延々と続く国であれば武力と数にものを言わせて攻め入ることができますが、日本の場合はそう簡単に制圧することができませんでした。だからこそ宣教師の情報は重要だったのですが、秀吉と家康が徹底的にキリスト教を排除したために日本で布教することができませんでした。それどころか家康は、出島を作り海外との取引を通して物や情報を交換する仕組みまで作ってしまった。当時これほどまでに侵略を警戒し、その可能性を排除した有色人種国家があったでしょうか?それができなかったから、世界中の日本以外の有色人種国家が植民地化されていったわけです。


それに二十六聖人といってもそのうち20人は日本人なので本国からすればそれほどの痛手ではないわけです。


もし秀吉家康がそれをやらなければ日本も奴隷国家にされていたでしょう。軍隊が来る前に宣教師の段階でStopをかけていたからその後の300年間の徳川の太平時代があったわけですし、元禄文化と呼ばれる世界でもまれに見る豊かな社会がつくられたのです。


そしてそれ以上に私が強く違和感を感じたのは、トマス小崎氏(14歳)の母への手紙です。少し長いですが引用します。


「神の御助けにより、この手紙をしたためます。パードレ以下われわれ二十四名は、列の先頭を行く制札に書かれた判決文のように、長崎で磔刑を受けるため、ここまでまいりました。私のこと、またミゲル父上のこと、ご心配くださいませんように。パライソですぐお会いしましょう。お待ちしております。たとえパードレがいなくても、臨終には熱心に罪を痛悔し、イエズス・キリストの幾多の御恵みを感謝なされば、救われます。この世ははかないものですからパライソの全き幸福を失わぬよう、努力なさいますように。人からどんなに迷惑をかけられても耐え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように。私のふたりの弟マンシオとフェリペを、どうか異教徒の手に渡さぬよう、ご尽力下さい。私は母上のことをわれらの主にお願いいたしましょう。母上から私の知っている人々によろしく申し上げて下さい。あなたの罪を悔い改める事を忘れぬよう、再び重ねて申し上げます。なぜなら唯一の重大なことなのですから。アダムは神にそむき、罪を犯しましたが、痛悔とあがないによって救われました。」


とあり、一般的には可愛そうな話とされていますが、死ぬ間際に自分を産み育ててくれた母親に対し一言の感謝もなく、「罪を悔い改めなさい」と言い放ってしまう人格になってしまったことこそが悲劇なのではないか、と感じます。


もちろん、キリストの教えはある程度理解しています。だからトマス小崎氏の手紙も母が天国に行けるようにという意味で書いたのだと思うのですが。ただ、母親からすれば息子が死ぬだけでも悲しいのに、その最愛の息子から「悔い改めなさい」としか言われないというのはどれほどの苦痛かというと、一神教の恐ろしさというか理不尽さを感じます。死ぬ間際に母親に感謝の一言を伝えるくらいの人間性は残せなかったのでしょうか・・・?


そしてもう一つ残念なのが、そうした戦略やメンタリティの違いを理解していれば、300年後に泥沼の戦争に引きずり込まれることを避けられた可能性もゼロではないのではないか、とも考えたりします。


それはあくまでも仮定であり、私の妄想ですが、親子の間の愛情をも崩すほどの人格矯正にはいつの時代であっても抵抗したいと思います。


中原しんすけ