さようなら、ありがとう | アナウンサー中込真理子/西川真理子オフィシャルブログ「マリコロび8起き」Powered by Ameba

さようなら、ありがとう



坊っちゃんが産まれる

1ヶ月前のこと





私のおばあちゃんが

亡くなりました





96歳でした





でも

実は私

おばあちゃんが亡くなった事を

知らなかったんです





私だけ知らなかったんです





お葬式にも行けなかったんです





それは家族みんなで

私のためについてくれた

優しい嘘のためでした






私は幼い頃から

おばあちゃんが大好きで

お裁縫や

小物作り

お料理






本当に色んなことを

祖母に教わりました





綺麗で

何でもできて

頭が良くて

丈夫で





戦時中の厳しさを知っている

とても強い人でした





今は

やりたい事が

できる時代なのだから

やろうと決めたら

一生懸命やりなさいと

いつも

そう言っていました





幼い頃の写真を見返すと

いつもおばあちゃんに

抱っこしてもらっている

私がいます





小学生のとき

具合いが悪いからと

学校を休もうとしたとき

祖母に起こされ

登校したこともありました





きゃらぶき

煮豆

漬け物

なます

おばあちゃんが作ってくれると

絶品でした





私がアナウンサーになってからも

出演番組は

できるだけ

見ようとしてくれました





おばあちゃんとの思い出は

書ききれません





そんな私は

周りから見ても

1番のおばあちゃんっ子





だから

妊娠して

ほどなくして

おばあちゃんが

入院したって聞いた時は

どうしようかと思って





つわりの中でも

何度かお見舞いに行き

元気になって

赤ちゃんを抱っこしてほしい

そう

お願いしました





その後

回復してると聞いていたので

無事出産したあと

坊っちゃんの顔

見せに行かなきゃって

そう思っていたんです





そしたら

出産後

母から

突然聞くことになりました





『おばあちゃんね、

先月亡くなったのよ』と。





その日は

泣きに泣きました






信じられなかった





もう

会えないなんて






おばあちゃんの事を言ったら

私が動揺し

お腹の赤ん坊に影響すると危惧して

みんなで

無事産まれるまでは黙っていようと

決めてくれたんだそうです





みんな悲しいのは一緒なのに

そんな家族の思いやりに

さらに泣けました





確かにその時

私は安静状態だったので

黙っていてくれて

良かったのかもしれません





もし

訃報を聞いていたら

取り乱していたかもしれない

お葬式でも

泣きじゃくっていたかもしれない

ふさぎ込んでいたかもしれない






坊っちゃんは

おばあちゃんの

産まれ代わりのような

気がします




近くで

出産を見守っていてくれたような

気がします






さよならが言えなくて

ずっと心残りでした





ありがとうが言えなくて

ずっとずっと心残りでした





でも今日

坊っちゃんと一緒に

お墓参りに行き

やっと

気持ちが落ち着いたような

気がします





おばあちゃん





本当に今まで

たくさんたくさん

ありがとう





無事

赤ちゃん産まれたよ





おばあちゃんに教えてもらった

愛情と厳しさ

平和の重さを

息子にも伝えていくからね





そして

長い間

本当にお疲れさまでした





おばあちゃんが

ずっと会いたがっていた

天国のおじいちゃんと一緒に

穏やかに過ごしてね





さようなら、

そして

ありがとう。





でもやっぱり

また会いたいな、、、