信濃國一之宮 諏訪大社 下社春宮 | ありがとうブログ

信濃國一之宮 諏訪大社 下社春宮


全国一之宮神社巡りの旅✨

全国で106社ある一之宮神社✨


現在27社目!


信濃國一之宮 

諏訪大社(すわたいしゃ) 下社春宮(しもしゃはるみや)に行ってきました😄


主祭神

建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、下社ではさらに建御名方神の御兄神である八重事代主(やえことしろぬし)もお祀りしています


建御名方神は「諏訪明神」「お諏訪さま」「諏訪大明神」として親しまれ、古くは風・水を司る五穀豊穣を祈る神として、中世には武勇の神、軍神として坂上田村麻呂や源頼朝、武田信玄、徳川家康などの武将から崇拝されてきました。現在は生命の根源・生活の源を守る神として崇敬されており、その御神徳には限りがないといわれています。

諏訪大社が歴史に現れる最古の記録は692年に持統天皇が勅使を派遣したという日本書紀のものです。その鎮座のあらましですが、日本最古の伝承集「古事記」によると、大国主命が天照大神へ国を献上するのに反対した建御名方神が、天照大神が差し向けた建御雷神と力比べをして敗れ、この地にとどまったのが始まりと伝えられています。

また、古くに創建された神社の多くがそうであるように、諏訪大社には本殿がありません。代わりに春宮ではスギの古木を、秋宮はイチイの古木をご神木としていますが、これは、自然物・自然現象を敬い神格化する古代の信仰「自然崇拝」の形をとどめているためです。

ここ下諏訪には下社の2宮(春宮・秋宮)がありますが、最初に鎮座したのは春宮とされています。その後建て替えが計画された際、高島藩より両社に同じ図面が与えられたため、ほぼ同時期にほぼ同じ構造を持つ社殿が諏訪地方の2つの異なる流派の宮大工集団によって建てられ、両宮は彫刻で技が競われたとされています。また、半年に一度、8月1日に春宮から秋宮へ、2月1日には秋宮から春宮へ神様を遷す神事、遷座祭が行われますが、これは全国的にもとても珍しいことです。特に8月の遷座祭の前夜には宵祭りが行われ、長持ちや神輿などのパレードが華やかに行われるほか、遷座祭当日には、柴舟とよばれる長さ約10メートル、重さ約5トンもの巨大な舟を曳行する「お舟祭り」が開催され、町中が熱気に包まれます。

 

※一般には古くから上社に男神様(建御名方神)、下社に女神様(八坂刀売神)をお祀りしているといわれていますが、これはかの有名な御神渡(湖に張った氷に亀裂が入り、巨大な氷の筋が山脈上に湖面を走る現象)は上社の男神様が下社の女神様のもとへ通う道だとする伝説とも関係しているのかもしれません。

下諏訪観光協会抜粋