東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の最終報告書を読みましょう。 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の最終報告書を読みましょう。

秘書です。

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の最終報告書を読みましょう。
下記にいくつかのポイントをピックアップします。政治が追うべき結果責任如何?

http://icanps.go.jp/

事故発生後の政府等の事故対処に関する分析

・・・
次に、原災本部長の権限が現地対策本部長に委任されなかった問題について指
摘しておく。
原子力災害対策特別措置法(以下「原災法」という。)第20 条第8 項は、原災
本部長は、緊急事態応急対策を的確かつ迅速に実施するために、必要な指示を行
う権限の一部を現地対策本部長に委任できる旨規定している。この規定に基づき、
現行の原災マニュアルは、実用炉において事故が発生した場合、安全規制担当省
庁である保安院が権限の委任について原災本部長(内閣総理大臣)の決裁を受け、
委任が行われた旨を告示することとしている。また、国が毎年実施する原子力総
合防災訓練のシナリオも、原災本部長の権限の一部を現地対策本部長に委任する
手続を定めている。
3 月11 日15 時36 分頃、福島第一原発において原災法第15 条第1 項に規定す
る原子力緊急事態(以下「15 条事態」という。)が発生したことを受け、保安院
は、原子力緊急事態宣言の公示案等と併せて、原災本部長権限の現地対策本部長
への委任に関する告示案を作成した。しかし、同日17 時42 分頃、海江田万里経
済産業大臣(以下「海江田経産大臣」という。)が菅直人内閣総理大臣(以下「菅
総理」という。)に原子力緊急事態宣言の発出について了承を求めた際、同行した
保安院職員は、原災本部長権限の現地対策本部長への一部委任に関する前記告示
案を持参していながら、それについて菅総理の了承を求めるタイミングを失し、
その後もそのまま放置した。その後、保安院は、現地対策本部から複数回にわた
り政府内部でのこの委任手続の進捗状況の確認を受けたにもかかわらず、主体的
に動いて委任手続を完了させることはしなかった※。他方、保安院から当該告示案
を受け取っていた内閣官房及び内閣府の職員も、保安院に対して権限委任手続を
進めるよう注意喚起しなかった。そのような状況において、現地対策本部は、経
済産業省緊急時対応センター(ERC)に置かれた原災本部事務局とも協議の上、
必要な措置を漏れなく迅速に行うため、権限の委任手続が終了しているものとし
て避難措置の実施等について種々の決定を行い、かつ、実施した。
権限委任手続について、保安院が現地対策本部から再三にわたって確認を求め
られたにもかかわらず、権限委任手続の進捗状況を確認してその手続を進める対
応をせずに放置したことは、現地での対応に支障を生じさせるおそれもあり、重
大な問題であった。内閣官房及び内閣府においては、この委任手続が自らの所管
事項ではなかったにせよ、この手続の進捗状況を把握していたのであれば、保安
院に対して手続を進めるべきことを注意喚起すべきであったと思われる。

※手続を完了させようとしなかった理由は、調査によっても、必ずしも明らかにならなかったが、当時のERC の現状に照らすと、現場は混乱に近い状況にあったこと、この手続の重要性の認識や保安院自らが総理決裁を得なければならないという認識が希薄であったこと等が要因となったのでないかと考えられる。

3 月11 日15 時42 分頃の東京電力からの原災法第10 条に基づく通報を受け
て、同日16 時36 分頃、官邸危機管理センターに原子力災害対策に関する官邸
対策室が設置された。しかし、避難措置等の事故対応についての重要な意思決
定の多くは、この官邸危機管理センター(緊急参集チーム)から離れて、官邸
地下の中2 階の一室(以下「官邸地下中2 階」という。)又は官邸5 階におい
て、関係閣僚、原子力安全委員会(以下「安全委員会」という。)委員長、保
安院幹部、東京電力幹部らにより行われた。この協議には、緊急参集チームを
束ねる伊藤哲朗内閣危機管理監(以下「伊藤危機管理監」という。)もしばし
ば加わったが、緊急参集チームが地震・津波対応にも追われる中で伊藤危機管
理監がこの協議に常時加わることは現実的には困難であった。そのため、官邸
地下中2 階や官邸5 階での協議結果を緊急参集チームが十分に把握することは
できなかった※。また、避難措置等を決定するに当たり参考となるSPEEDI 等
を所管する文部科学省の幹部はこのメンバーに加わるよう指示されておらず、
その後の避難措置等の議論において、SPEEDI について言及されることはな
かった。さらに、このメンバーの議論が、関係省庁からの情報が集約される官
邸危機管理センターから離れた場所で行われていたことなどから、前記Ⅲ4
(2)aで詳述した東京電力の撤退問題に関する議論のように、福島第一原発
の最新の状況を踏まえていない議論となることもあった※2。
一般に、原子力災害が発生した場合、できる限り情報入手が容易で、現場の
動きを把握しやすい、現場に近い場所に対策の拠点が設置される必要がある。
この点から見ると、政府における福島第一原発の情報収集拠点であったERC
から離れた官邸内において意思決定が行われていたこと、また、官邸内におい
ても、その情報集約拠点である官邸危機管理センターとは離れた別の場所(官
邸5 階等)において意思決定が行われていたことなどから情報の不足と偏在が
生じ、十分な情報がないままに意思決定せざるを得ない場合も生じたという点
は、今回の一つの大きな教訓とすべきである。
なお、官邸における情報不足と偏在という弊害を解消するために、3 月15
日になって、東京電力本店に統合本部が設置された。これは、福島第一原発に
ついての情報アクセスの改善という面では積極的に評価をすることも可能で
あるが、政府の対応に必要な情報は必ずしも東京電力に係る情報のみではない
上、東京に本社本店のない他の電力会社の原子力発電所において同様の事故が
発生する場合もあり得ることから、今回の事例を普遍的な先例とするべきでは
ない。正確な情報を迅速に入手することは、いうまでもなく原子力災害対策の
基本である。電力事業者の本社本店に移動することなく、官邸等、政府施設内
にいながら、より情報に近接することのできる仕組みの構築が検討されるべき
である。

※ 官邸においては、官邸危機管理センターが中心となって情報集約を行うことが予定されていたが、官邸地下中2階や官邸5階で事故対応に当たったメンバーは、その場にいた東京電力幹部が同社本店又は福島第一原発の吉田昌郎所長から直接収集した情報をも判断材料としていた。

※2 この議論は、官邸5階において、3月15日未明頃から東京電力社長が官邸を訪れる同日4時頃まで続けられたが、2号機圧力容器内の圧力が同月14日夜から引き続き高く極めて危険な状態にあるという前提の下に行われていた。しかし、福島第一原発2号機の状況は、同月15日1時台から、原子炉圧力が継続的に注水可能な0.6MPa gage台を推移するようになり、依然として危険ではあるものの、注水の可能性が全くないという状態ではなくなっており、更に安定的注水が可能と考えられていた0.6MPagage以下に減圧するためSR弁の開操作が試みられていた。官邸5階にいたメンバーは、このような2号機の状況や対処状況を十分把握しないまま前記協議を行っていた。


菅総理は、3 月12 日18 時過ぎ頃、海江田経産大臣から、その直前の同日17
時55 分に同大臣が発した福島第一原発1 号機原子炉への海水注入命令につい
て報告を受けた際、炉内に海水を注入すると再臨界の可能性があるのではない
かとの疑問を発し、その場に同席した班目春樹原子力安全委員会委員長(以下
「班目委員長」という。)がその可能性を否定しなかったことから、更に海水
注入の是非を検討させることとした(詳しい事実経過は前記Ⅳ3(1)a及び
中間報告Ⅳ4(1)c参照)。その場に同席していた東京電力の武黒一郎フェ
ロー(以下「武黒フェロー」という。)は、同日19 時過ぎ頃、福島第一原発の
吉田所長に電話し、「今官邸で検討中だから、海水注入を待ってほしい。」と強
く要請した。その後の経緯は、中間報告Ⅳ4(1)cで記述したとおりである。
菅総理が海水注入による再臨界の可能性についての質問を発した際、その場
には、班目委員長のほか、平岡英治原子力安全・保安院次長、武黒フェロー等
の原子炉に関する専門的知見を有する関係者が複数いたが、その問いに対して、
直ちに再臨界の可能性を否定する応答を行った者はいなかった。また、海水注
入しないことによるリスクと海水注入による再臨界のリスクを比較衡量し前
者のリスクが明らかに大きいので直ちに海水注入すべきである、といった意見
を述べた者もいなかった。つまり、その場に同席した者のうち、誰一人として
専門家としての役割を果たしていなかった。また、菅総理がそのような疑問を
呈しただけで安易に海水注入を中止させようとした東京電力幹部の姿勢にも
問題があった。
この海水注入問題に関しては、淡水を注入するか海水を注入するかというよ
うな、すぐれて現場対処に関わる事柄について、そもそも官邸がどこまで関わ
るべきかについても検討する必要がある。このような事柄は、まず、現場の状
況を最も把握し、専門的・技術的知識も持ち合わせている事業者がその責任で
判断すべきものであり、政府・官邸は、その対応を把握し適否についても吟味
しつつも、事業者として適切な対応をとっているのであれば事業者に任せ、対
応が不適切・不十分と認められる場合に限って必要な措置を講じることを命ず
るべきである。当初から政府や官邸が陣頭指揮をとるような形で現場の対応に
介入することは適切ではないと言えよう。

SPEEDI が有効に活用されなかった大きな原因は、前記(a)のとおり、い
ずれの関係機関もERSS から放出源情報が得られない場合にはSPEEDI を避
難に活用することはできないという認識の下、これを避難の実施に役立てると
いう発想を持ち合わせていなかった点にあったと考えられる。しかし、放出源
情報が得られない状況でも、SPEEDI により単位量放出を仮定した予測結果を
得ることは可能であり、現に得ていたのであるから、仮に単位量放出予測の情
報が提供されていれば、各地方自治体及び住民は、より適切に避難のタイミン
グや避難の方向を選択できた可能性があったと言えよう。
実際に発せられた避難等の指示(福島第一原発に関して3 月12 日以降に発
せられたもの)とその前後のSPEEDI 情報(単位量放出予測)の関係は、前記
Ⅳ2(3)のとおりであるが、その各指示とSPEEDI 情報の関係及びSPEEDI
を利用したと仮定した場合の具体的避難方法等(避難のタイミング、避難方向
等)を整理すると、表Ⅵ-1 のとおりである。
3 月12 日以降の3 回にわたる避難等の指示のうち、同月15 日11 時の半径
20~30km圏内の屋内退避指示のケースでは、その直前の時間帯(同日8 時30
分~10 時15 分)には、福島第一原発正門付近で1 万μSv/h 前後の高線量が、
また、同日深夜の時間帯(同日23 時15 分~23 時55 分)にも約7,000~
8,000μSv/h の高線量が測定されており(前記Ⅳ2(3)dの図Ⅳ-6 参照)、そ
れ以前に比して多量の放射性物質が放出されたことが認められるので、この屋
内退避指示のケースを例にとって検討することが実際的で分かりやすいと思
われる。
すなわち、3 月15 日から16 日にかけてのSPEEDI の拡散予測は、専ら陸
方向(南西方向から北西方向)に拡散するというものであった。したがって、
仮に避難するとしても、SPEEDI 情報を注視しながら、当分の間は指示どおり
屋内退避するにとどめ、SPEEDI の拡散予測が安定的に避難経路と重ならなく
なる時間帯(例えば、拡散予測が海側方向になる3 月16 日7 時以降は、いず
れの地域から避難するとしても避難経路と重ならないこととなる。)に避難を
開始するという方法をとれば、屋外における被ばくを最小限にすることが可能
であったと思われる。実際には、前記Ⅳ2(3)dで詳述したとおり、例えば、
3 月15 日中に避難を開始した南相馬市や浪江町の住民のうち、同日夕刻(15
時頃)以降に避難を開始した住民は、その避難経路と放射性物質の飛散予測方
向が重なっていた可能性がある。その時点で、SPEEDI 情報に基づく避難経路
や避難のタイミングに関するアドバイスをきめ細かに広報しておけば、こうし
た事態に陥るのを避けることは可能であった。
このように、ERSS から放出源情報を得られない場合でも、SPEEDI を活用
する余地はあったと考えられる。


校舎・校庭等の利用基準

中間報告において、校舎・校庭等の利用基準に関して三つの問題点が残って
いる旨指摘をしたが(中間報告Ⅶ5(6)b参照)、これらの問題点の調査・検
証結果は以下のとおりである。
第1 は、「子どもの生活の場となる校庭の利用基準を定めるに当たって、計画
的避難区域を設定する際の基準(年間20mSv)と同一の数値をその目安とする
ことは適当であったのか」という点である。
前記Ⅳ5(2)aのとおり、文部科学省は、4 月19 日、学校等の校舎・校庭
等の利用判断基準について、3.8μSv/h(年間にするとICRP が定める「現存被
ばく状況」13における参考レベルの上限値である20mSv に相当14)以上の空間
線量率が測定された学校等については、校庭での活動を1 日1 時間程度に制限
し、3.8μSv/h 未満の空間線量率が測定された学校については、平常どおり利用
して差し支えないとする考え方を公表した(「福島県内の学校の校舎・校庭等の
利用判断における暫定的考え方について」)。これに対しては、あたかも20mSv/
年までの被ばくを許容するもので子どもへの配慮に欠ける、福島県民に対して
事前に十分な説明や広報がなされなかった、といった批判や懸念が寄せられた。
確かに、この暫定的考え方については、①校庭にいる時間を8 時間/日と仮定
しているが、実際にはそれよりもかなり少ないと考えられること、②屋内では
木造建物(屋外の0.4 倍の線量と仮定)内にいると仮定しているが、実際には
学校建物はコンクリート構造物であり、その内部の線量は屋外の0.1 倍程度で
あること、③休日における被ばく線量は、校庭のような高線量率の場所で過ご
さない限りより低くなること等から、仮に校庭の空間線量率が3.8μSv/h であっ
たとしても、実際の被ばく線量は相当程度低くなると思われるものの、その点
についての説明が十分になされていないという問題点があった。
このように20mSv/年は、校舎・校庭等の具体的な利用基準を算出するため
の数値であったが、文部科学省の当時の説明の仕方をみると、あたかもこの数
値を校舎・校庭等の利用の基準値にしたと理解されてもやむを得ない面があり、
放射線に対する強い不安を解消するものとは言い難く、かつ、リスクコミュニ
ケーションの観点から見ても適切ではなかった。また、一般に、大人よりも放
射線の影響が大きいと言われる子ども(ICRP Pub60)が利用する校舎・校庭
等について、「現存被ばく状況」の上限値を用いたことが適当であったかどうか
についても、なお議論の余地があろう。その後、文部科学省は、5 月12 日に、
より生活実態に合わせた再試算を行い、1 年間で10mSv 以下との数値を示した
が※、これは、屋外で過ごす時間を、通学日で6 時間(うち2 時間は校庭)、休
日で8 時間とする仮定に基づくなど、安全側に余裕を持って計算されたもので
あった。
第2 は、「個別の学校等をみると3.8μSv/h(年間にすると20mSv)以上が測
定されている学校等が集中している地域があり、そもそもその地域を計画的避
難区域にする必要があったのではないか」という点である。
4 月上旬に実施されたモニタリング結果では、福島市、二本松市、郡山市等
の特定地区に校庭線量が3.8μSv/h を超える学校が集中している傾向がみられ
た。文部科学省は、同月14 日、それらの学校全てについて再度モニタリング
を実施した。その結果、校庭線量が3.8μSv/h(50cm高での線量)を超えたと
ころがなお16 校存在したが、それらの学校敷地のコンクリート部分は全て
3.8μSv/h を下回っていた。また、同じ頃に実施された学校敷地外のモニタリン
グ結果によっても、3.8μSv/h を超えている地点はわずかであり、校庭線量が高
い場合であってもその線量の高さに面的な広がりはなかったと認められるの
で、計画的避難区域を設定する際に考慮した要素(高線量の面的広がり)を欠
いていたことになる。
第3 は、「3.8μSv/h 未満の学校等については無条件で使用できることとされ
たが、年間20mSv という数値は国際放射線防護委員会(ICRP)勧告の『現存
被ばく状況』の上限の数値であって、できる限り被ばく量を小さくする必要が
あるとされていることからすると不適切ではなかったか」という点である。
我が国においては、自然放射線による被ばく量だけでも約2.1mSv/年16に及
んでおり、今回のような原発事故が発生していない状態での「計画被ばく状況」
であれば、それに上乗せが許される線量限度は1mSv/年である(計画被ばく状
況における公衆被ばくの線量限度。中間報告Ⅴ4(1)b参照)のに比して、
この10mSv/年という数値は小さくない。低線量被ばくにおいては、被ばく線
量とがん等の発生率との間に関係があるのかどうかは不明で(中間報告Ⅴ4
(1)b参照)、仮に関係があるとしても有意な増加が観察できないほど小さ
いとは言われているが、そうだとしても、放射線が子どもに対して与える影響
は大人に対するそれよりも大きいとされていること(ICRP Pub60)17、ICRP
勧告が「現存被ばく状況」においても参考レベル1~20mSv/年の中でできる限
り被ばく線量を低減するよう求めていること(防護の最適化。中間報告Ⅴ4(1)
b参照)などを考慮すると、国としては10mSv/年という数値に安心すること
なく、被ばく線量をできる限り低くするような方策をとるべきであった18。し
たがって、3.8μSv/h 未満の学校等についても、校庭等での活動に基準を設ける
などして、被ばく線量をより低く抑えるよう配慮するのが適当であったと思わ
れる。

※通学日(200日)は、1日当たり、通学に1時間、校庭で2時間、校舎内で5時間、下校後、屋外で3時間、自宅で13時間過ごすこと、休日(131日)は、1日当たり、屋外で8時間、屋内で16時間過ごすこと、事故発生から4月14日までの34日間の積算線量が2.56mSvであること、4月14日以降は放射性物質が徐々に減衰すること等を前提として計算している(前記Ⅳ5(2)a参照)。

炉心溶融を積極的に否定した保安院の広報
前記(a)のとおり、保安院は、中村保安院審議官の「炉心溶融」発言を契
機として、プレス発表前に官邸の了解を得ることとした。その後、保安院広報
官の一部には、「炉心溶融」に言及するのを避けるため、前記Ⅳ8(2)に詳述
しているように、かなり無理のある広報をした形跡が認められる。すなわち、
3 月14 日の保安院のプレス発表において、西山英彦原子力安全・保安院付(以
下「西山保安院付」という。)が炉心溶融の可能性を肯定し、又は、炉心溶融の
可能性を否定しない発言を行った際、そのプレス発表に同席した保安院職員が、
その西山保安院付の発言の直後に同発言を取り消すかのように、「まだ溶融とか
そういう段階ではないと思っております。」などと炉心溶融の可能性を積極的に
否定する趣旨の発言を行った。しかし、当時、保安院内では、炉心が溶融して
いることはほぼ間違いないものと認識されていたか、又は少なくとも否定し難
い事実として捉えられていたと認められることに照らせば、この保安院職員の
発言は理解に苦しむ。
明らかではない事実を明らかではない旨述べることはやむを得ないとしても、
否定できない事実を否定することは、明らかに誤った広報と言うべきである。
前記の保安院職員の発言は、その主観的認識がどうであったかはともかく、炉
心溶融の可能性という否定し難い事実を積極的に否定する内容となっており、
中央及び現地の災害対策関係者や地域住民の切羽詰まった情報ニーズを誤った
方向へ導く極めて不適切なものであった。


放射線の影響に関する広報

福島第一原発事故による一般住民等の被ばく又は被ばくのおそれについての広報
の際、政府は、しばしば、「直ちに(人体に影響を及ぼすものでない。)」との表現
を用いた(前記Ⅳ8(8)参照)。例えば、政府の広報の中心であった枝野官房長官
は、住民等の低線量被ばくについて、当初、「健康に大きな被害はない。」(3月13
日午前8時頃)、「健康に影響を及ぼすような状況は生じないと考えております。」
(同日15 時30 分頃)、「心配に及ばない量である。」(同月14 日21 時頃)とい
う表現を用いていたが、その後の3月16日18時頃の記者会見においては、同日の福
島第一原発から約20km付近のモニタリング値について、「直ちに人体に影響を及ぼ
す数値ではないというのが概略的なご報告でございます。」と、同月19 日16 時頃
の記者会見においては、牛乳等から暫定規制値を超える放射性物質が検出されたこと
について、「(暫定規制値を超える放射性物質が検出された食品を一時的に摂取した
としても)直ちに、皆さんの健康に影響を及ぼす数値ではないということについては、
十分御理解を頂き、冷静な対応をお願いしたい。」と説明し、「直ちに(健康に影響
を及ぼすものではない。)」との表現を用いるようになった。なお、枝野官房長官は、
当委員会のヒアリングにおいて、この「直ちに・・・」との表現について、「低線量
被ばくが累積した場合の影響については不明であるけれども、少なくとも急性症状が
生ずるような値ではないとの意味で使用した」旨説明している。
このほかにも、例えば、前記Ⅳ8(8)のとおり、消費者庁のホームページ及び安
全委員会発出の文書においても、「直ちに(健康に影響を及ぼすものでない。)」と
の表現が使用されていた。
これらの「直ちに」との表現の背景には、低線量の放射線被ばくについては、被ば
くとがん等の発生との間に関係があるか否かが明らかではなく、かつ、仮にがん化す
るような場合でもそれまでには相当程度長い期間を要するといった科学的知見(中間
報告Ⅴ4(1)b参照)があり、枝野官房長官の前記説明もこの科学的知見に基づい
たものと考えられる。しかしながら、「直ちに人体に影響を及ぼすものではない。」
との表現については、「人体への影響を心配する必要はない。」という意味と、反対
に「直ちに人体に影響を及ぼすことはないが、長期的には人体への影響がある。」と
いう意味があり、いずれの意味で用いているのか必ずしも明らかではなかった。この
ようなどちらの意味にも受け取れる表現は、緊急時における広報の在り方として避け
るべきであり、リスクコミュニケーションの観点からも今後の重要な検討課題であ
る。


「不測事態シナリオの素描」の不公表問題

前記Ⅳ8(9)のとおり、3 月22 日、菅総理は、原子力委員会委員長である
近藤駿介氏(以下「近藤氏」という。)に対し、原発事故が更に進展したと仮
定した場合にどのような結果となるかを把握し、それに備えることを目的とし
て、福島第一原発事故の最悪事態の想定とその場合の対策を検討するよう依頼
した。この依頼を受けて、近藤氏は、個人名で、「福島第一原子力発電所の不
測事態シナリオの素描」(以下「素描」という。)を作成し、同月25 日、それ
を細野豪志内閣総理大臣補佐官(以下「細野補佐官」という。)へ提出した。
細野補佐官は、素描が示す対策についての検討を進めたが、素描自体を公表す
ることはしなかった。
起こった事柄を迅速・正確に公表することは、政府の重要な役割の一つであ
る。また、最悪の事態がどのようなものになるかについてのシミュレーション
を行うことも政府の重要な役割の一つである。この素描は、前提としている事
実が現実に生じた事実ではなく仮定的な事実にすぎないため、そのことを十分
に説明せずに公表するとあたかもその全体が現実に生じている事柄であるか
のように受け取られるおそれもあった。仮定的事実に基づくシミュレーション
結果は、仮定的事実に基づくものにすぎないがゆえに、必ずしも常に迅速な公
表が求められるというものではない。そうした内容のものを、必要性が高いと
して公表する以上は、誤解が生じないよう十分な説明をする必要がある。その
内容が現実に発生する可能性の低い仮定的事実に基づいたシミュレーション
であったことから、細野補佐官が素描を公表しなかったことが不適切であった
とまでは言えない。ただし、一般論として言えば、仮定の事実に基づくシミュ
レーション結果であっても、公表の必要性、シミュレーション結果に対する対
策の有無、公表のタイミングを考慮し、前提条件を丁寧に説明した上で、公表
するという選択肢もあり得ると考えられる。


危機対応能力の脆弱性

・・・
極めて過酷な事故対処が続いたがゆえに、その思考が鈍った側面も否定できな
いが、事故当初の対応(例えば、IC の作動状況に関する誤認識)や事故後相当時
間が経過してからの対応(例えば、CAMS 測定結果の取扱い)を見ると、自ら考
えて事態に臨むという姿勢が十分ではなく、危機対処に必要な柔軟かつ積極的な
思考に欠ける点があったと言わざるを得ない。そして、このことは、個々人の問
題というよりは、東京電力がそのような資質・能力の向上を図ることに主眼を置
いた教育・訓練を行ってこなかったことに問題があったと言うべきであろう。更
に問題を遡っていくと、東京電力を含む電力事業者も国も、我が国の原子力発電
所では炉心溶融のような深刻なシビアアクシデントは起こり得ないという安全神
話にとらわれていたがゆえに、危機を身近で起こり得る現実のものと捉えられな
くなっていたことに根源的な問題があると思われる。
当委員会は、中間報告Ⅶ4(1)において、東京電力の原子力関係社員の間で
はIC 等の基本的理解が欠如していたと記述したが、その趣旨は、東京電力にお
いて、重大で過酷な事故発生時にも通用する資質・能力の涵養が図られていなかっ
たことを指摘したものである。もちろん、こうした資質・能力は一朝一夕に形成
されるものではなく、型どおりの机上訓練等で培えるものではない。事故対処に
当たって求められる資質・能力は、教科書的な知識のみならず、それを超え、入
手した情報からあらゆる可能性を考えて取捨選択し、次にいかに対処すべきかに
ついて判断し、行動する力である。東京電力には、原子力安全に関し一次的な責
任を負う事業者として、これまでの教育・訓練の内容を真摯に見直し、原子力に
携わる者一人一人に対し、事故対処に当たって求められる資質・能力の向上を目
指した実践的な教育・訓練を実施するよう強く期待する。


専門職掌別の縦割り組織の問題点

東京電力は、原子力災害に組織的・一体的に対処するため、防災業務計画やア
クシデントマネジメントガイドにおいて、緊急時対策本部等の組織化を図り、そ
の中に発電班、復旧班、技術班等の機能班を設けている。しかし、これらの機能
班は、与えられた所掌をこなすことには尽力するが、事態を見渡して総合的に捉
え、その中に自らの班の役割を位置付け、必要な支援業務を行うといった視点が
不足していた。
東京電力の社員は、他事業者と同様に、ふだんから自他を「運転屋」「安全屋」
「電気屋」「機械屋」などと専門分野ごとに区別し、役割が細分化している。広く
浅く多くの分野を経験して幹部となっていく者もいる一方で、ある特定の専門分
野に長く携わる者も多い。そうした社員は、自分の専門分野に関する知識は豊富
であるが、一方、それとは対照的に、それ以外の分野については密接に関連する
事項であっても十分な知識を有するとは言い難い。このような人材によって組織
が構成されれば、一人一人の視野が狭くなり、平時には問題なく組織が動いてい
るように見えても、今回のような緊急事態時には、そうした組織の持つ弱点が顕
在化してしまう。吉田所長が、3 月11 日の早期から消防車による注水の検討を指
示していたが、あらかじめマニュアルに定められたスキームではなかったため、
各機能班、グループのいずれもが自らの所掌とは認識せず、その結果、同月12
日未明まで、実質的な検討がなされていなかったという事実があるが、これなど
は前記の弱点が顕在化した典型的な事例といえよう。
また、SR 弁開操作についても、電源がある場合には、中央制御室における制
御盤上の操作のみで足りるため当直が操作すればよいが、電源喪失時には復旧班
が制御盤裏にある接続端子に合計120V のバッテリーをつなぎ込む必要があった
ため、3 月14 日夕方以降の2 号機SR弁の開操作を実施する際、当直が行うのか、
復旧班が行うのかについて定まらないといった事例も認められた。これも縦割り
組織の弱点が顕在化した一例である。


過酷な事態を想定した教育・訓練の欠如

前記bで述べたように、福島第一原発に設置された緊急時対策本部(以下「発
電所対策本部」という。)及び東京電力本店に設置された緊急時対策本部(以下「本
店対策本部」という。)内の機能班に所属する一人一人が、時宜にかなった判断を
なし得ず、また、機能班として十分な機能が果たし得なかったことの根底には、
複数号機において全交流電源が喪失するといった過酷な事態を想定した十分な教
育・訓練がなされていなかったことがあると考えられる。東京電力の事故時運転
手順書(いわゆる事象ベース及び徴候ベース)のいずれを見ても、複数号機にお
いて、スクラム停止後、全交流電源が喪失し、それが何日も続くといった事態は
想定されておらず、数時間、1 日と経過していけば、交流電源が復旧することを
前提とした手順書となっている。しかし、交流電源はどのように復旧していくか
のプロセスについては明示されていない。詳細に手順書を書き込んでいるように
見えても、どこかに逃げ道が残されており、なぜその逃げ道が残っているのか根
拠不明なのである。
また、東京電力が平成14 年に作成したアクシデントマネジメント整備報告書
では、「全てのAC 電源が喪失する事象では、事象の進展が遅く、時間的余裕が大
きいことから」とわざわざ規定しているが、なぜ事象の進展が遅くなるのか、そ
の根拠は不明である。このような不十分な手順書を用意し、これを周知、徹底し
たからといって、対処できるのは、ごく局所的に電源喪失が起こったような場合
に限られる。
訓練についても、例えば、福島第一原発では、平成23 年2 月下旬頃、地震が
発生して一つのプラントで外部電源が喪失し、変圧器が壊れ、次いで非常用ディー
ゼル発電機(DG)が起動せず、交流電源が喪失するといった事象が段階的に進
行して原災法第10 条に基づく通報を行ったという想定でシミュレーション訓練
を行った。しかし、その場合も、一定の期間が経過すれば、非常用DG が復旧す
るということを前提とし、それまでの期間、どうやって切り抜けるかを模擬した
にすぎないので、今回のような極めて過酷な事態を想定したものではなかった。
東京電力は、地震・津波で福島第一原発がほぼ全ての電源を喪失したことにつ
いて想定外であったというが、それは、根拠なき安全神話を前提にして、あえて
想定してこなかったから想定外であったというにすぎず、その想定の範囲は極め
て限定的なものであった。このような想定にとらわれた教育・訓練を幾ら行った
としても、それは危機管理能力の向上につながるものではないと言えよう。


より高い安全文化の構築が必要

東京電力は、原子力発電所の安全性に一義的な責任を負う事業者として、国民
に対して重大な社会的責任を負っているが、津波を始め、自然災害によって炉心
が重大な損傷を受ける事態に至る事故の対策が不十分であり、福島第一原発が設
計基準を超える津波に襲われるリスクについても、結果として十分な対応を講じ
ていなかった。組織的に見ても、危機対応能力に脆弱な面があったこと、事故対
応に当たって縦割り組織の問題が見受けられたこと、過酷な事態を想定した教
育・訓練が不十分であったこと、事故原因究明への熱意が十分感じられないこと
などの多くの問題が認められた。東京電力は、当委員会の指摘を真摯に受け止め
て、これらの問題点を解消し、より高いレベルの安全文化を全社的に構築するよ
う、更に努力すべきである。
なお、当委員会が海外の専門家を招へいして開催した第8 回委員会(平成24
年2 月24 日~25 日)において、米国原子力規制委員会の元委員長であるリチャー
ド・A・メザーブ氏は、「安全管理においては個人の責任も重要である。この分野
に関わっているあらゆる人が、自分が安全に責任を持っているという意識で、常
に疑問を抱くという態度を維持することが重要である。」と指摘した。この点も構
築されるべき安全文化の重要な要素の一つである。


政府の危機管理態勢の問題点

平成11 年の株式会社ジェー・シー・オー核燃料加工施設における臨界事故(以
下「JCO 臨界事故」という。)を受けて、同年、原子力災害に対する対策の強化を
図ることにより、原子力災害から国民の生命、身体及び財産を保護することを目的
に、原災法が制定された。JCO 臨界事故の教訓から、同法では、原子力災害が発
生した場合、現地に現地対策本部を設置することとし、また、内閣総理大臣から権
限の委任を受けた現地対策本部長が中心となって事態の対応に当たることとされ
た。同法に基づいて作成された原災マニュアルも、現地対策本部が中心となって事
態の対応に当たることを前提としていた。
実際、今回のケースでも原災マニュアルに沿って、災害発生とともに現地対策本
部を機能させるべく、現地対策本部長となる池田元久経済産業副大臣を始めとする
現地対策本部の主要メンバーや東京電力の武藤栄副社長などが現地へ参集した。し
かしながら、拠点となるオフサイトセンターの通信設備のほとんどが地震により使
用できず、現地対策本部は司令センターとしての機能を十分果たすことができな
かった。
このため、東京に設置された原災本部(本部長は内閣総理大臣)が現地対策本部
の担うべき業務を含め、災害対策の前面に立たざるを得なくなった。その際、関係
省庁の幹部職員が参集した官邸地下の危機管理センターの機能が活用されずに、官
邸5 階を中心に、菅総理を中心として重要案件の決定が行われた。しかも、自らが
積極的に情報収集に当たったり、事故現場へ視察に赴いたりするなど菅総理自身が
前面に出た形で原発事故への初期対応が展開された。
官邸5 階が一種の司令センターとなったことについて、当委員会によるヒアリン
グにおいて、菅総理は「平時に想定していたシステムが動かず、官邸が主導せざる
を得なかったが、官邸5 階には原子力安全委員会の班目委員長や保安院の幹部がお
り、その都度意見を聴取して対応していたので、実質的には問題がなかった」旨述
べている。しかし、自身が工学部の出身で原子力に「土地鑑」(当委員会によるヒ
アリングの際の発言)があると自負していた菅総理は、地震・津波被害の対応に関
しては官邸地下の緊急参集チームの伊藤危機管理監らから必要に応じ報告を受け
て事態の対応に当たっていたのに対して、原子力災害対策については、官邸地下危
機管理センターの機能を活用して組織的に事態の収拾に当たろうとはしなかった。
SPEEDI を所管する文部科学省幹部は官邸5 階の意思決定メンバーに加わってい
なかったことなどから、SPEEDI の存在を知った上で、その活用可能性について検
討する契機を失したことなどは、その弊害の一つである

今回、原災マニュアルに規定のない官邸5階が一種の司令センターとなり、また、
菅総理が前面に出た形で事故対応に当たった背景には、現地対策本部が本来的な役
割を果たせなかったこと、官邸による情報集約態勢や安全委員会による助言機能が
十分ではなかったことなどの事情があった。しかしながら、内閣総理大臣は、政府
の各機関・部局に情報収集とその対応策を任せ、専門部署から上がる重要事項に関
してのみ選択肢を出させた上で適切な最終決断を行うというのがその本来の役割
である。自らが、当事者として現場介入することは現場を混乱させるとともに、重
要判断の機会を失し、あるいは判断を誤る結果を生むことにもつながりかねず、弊
害の方が大きいと言うべきであろう。
今回の事態を教訓に、原子力事故と地震・津波災害との複合災害の発生を想定し
た原災マニュアルの見直しを含め、原子力災害発生時の危機管理態勢の再構築を早
急に図る必要がある。その検討に当たっては、オフサイトセンターの強化という観
点に加えて、そもそも現地対策本部に関係機関が参集して事故対処に当たるという
枠組みでは対応できない事態が発生した場合に、どのような態勢で対応に当たるべ
きかについても具体的に検討し、必要な態勢を構築しておく必要がある。