清水社長の真意確認は、総理が、東電本店に来て撤退は許さないとの発言をするよりも以前の出来事 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

清水社長の真意確認は、総理が、東電本店に来て撤退は許さないとの発言をするよりも以前の出来事

秘書です。
東電報告書より。

「(官邸派遣の技術補助員は)携帯電話の通信が遮断され、外部との連絡もできなかった。また、危機管理センターから情報を与えられることもなかったために、派遣された4名の情報源は基本的に部屋に設置されていたテレビしかなかった」

「実際、福島第一原子力発電所の現場においては、免震重要棟を中枢として、原子力プラントが危機的状況にあっても、当社社員は身の危険を感じながら発電所に残って対応する覚悟を持ち、また実際に対応を継続した。この行為は、総理の発言によるものではない」

「清水社長を官邸に呼び出し真意を確認したところ、清水社長の回答は全面撤退ということ
ではなかったという点で全ての答弁は一致している。清水社長の真意確認は、総理が、
東電本店に来て撤退は許さないとの発言をするよりも以前の出来事である」


福島原子力事故調査報告書(2012年6月20日東京電力)(本編)
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0303.pdf


(2)国への情報提供(60-62ページ)

①通報連絡及び問い合わせ対応
中央制御室内では監視できる計器はなく、緊急時に情報伝送するシステムも喪失する
中、発電所対策本部ではわずかに残された情報伝達手段であるホットラインや現場から
戻った人の口伝えにより情報を収集し事故の状況を把握するとともに、情報の発信に努
めていった。
情報提供の発信方法のひとつは、通報連絡として、原災法に基づく第10条通報、第
15条通報報告とそれに添付する資料をファックスで送付することである。
福島第一原子力発電所は津波により全交流電源喪失に至った。このため、3月11日
15時42分に原災法第10条通報を行った。
同日16時36分、福島第一1,2号機の原子炉水位が確認できず、注水状況が不明
なため原災法第15条に基づく事象(非常用炉心冷却装置注水不能)が発生したと判断
し、16時45分に原災法第15条報告を行った。
その後も事象進展に伴うプラント情報の提供、格納容器ベントの実施予告、ベント時
の被ばく評価等の情報を、限られた情報ではあったが国、県、町等、関係機関へ適宜、
一斉ファックスや電話で連絡を継続して行った。通報連絡については、把握している連
絡先に繰り返し異なる手段で連絡を試みたが、通信不良等の影響により伝達できない事
態が生じた。さらに、その後もしばらく通信状態の不良等により避難先への情報連絡が
行えない自治体もあったことから、そうした自治体との連絡が可能となるまでには時間
を要した。周辺地域への情報提供の詳細については後述する。
通報連絡は、15日までで82件、頻度にして1時間あたり1件程度を送信していた。
通報連絡のほかには、原子力安全・保安院の緊急時対応センター(ERC)に3~5
名を連絡者として派遣し、本店対策本部とのコミュニケーションを図った。派遣した連
絡者はERCプラント班のテーブルに同席しパイプ役として原子力安全・保安院からの
問い合わせに対応した。おもに、ERCプラント班を通じて口頭で問い合わせを受け、
当社連絡者の携帯で本店対策本部の官庁連絡班メンバーに問い合わせ、その場で回答し
ていった。ERCへ派遣された連絡者に状況を確認したところ、以下の証言が得られた。

・ 携帯電話を本店対策本部の官庁連絡班のメンバーと常時つないで質問回答にあ
たった。
・ 原子力安全・保安院は当社連絡者に質問をし、当社連絡者は常時つないでいた
携帯電話で質問し、原子力安全・保安院はその回答を電話の耳元で一緒に聞くこ
とが多かった。
・ 初期の頃には長期にわたって電話をつなぎっぱなしにしていたため、たびたび
携帯電話のバッテリーが切れることもあった。

調査が必要でその場で回答できなかった問い合わせは、本店緊急時対策室の各班や発
電所に問い合わせを行って回答した。経路は、本店対策本部官庁連絡班から本店対策本
部情報班を経て、発電所対策本部情報班から発電所対策本部各班となっており、本店-
発電所間の窓口をひとつにすることで、発電所への問い合わせが錯綜しないようにした。
また情報班に回答を蓄積することで、同じ質問が繰り返さないようにした。質問は記録
として残っているものだけで、15日までに約224件にのぼった。なお、原子力安全・
保安院以外も含めると300件以上の質問に回答している。
さらに、ERCへ派遣された連絡者とメールでの連絡も行った。15日までに約60
通で、内容は原災法第10条、15条通報分が多いが、あわせて質問事項への回答も行
った。
この際に得られた情報が原子力安全・保安院でどのように使われたかは不明であるが、
当社連絡者の証言によると同じテーブルにいた原子力安全・保安院のERCプラント班
ではすぐに共有されていたようである。
一方、15日までの間で、原子力安全・保安院の次に問い合わせが多かったのは、官
邸からである。現在、記録が残っている件数は15日までに32件あるが、発災初期の
問い合わせはほとんどなく、14日頃から増えている。原子力安全・保安院を通じない
で直接聞くという確認経路が定着してきたものと思われる。
なお、原子力安全・保安院からの問い合わせは減る傾向にあった。

さらに、官邸からの要請により、13日6時20分に官邸から発電所へ直接かかる電
話回線を構築した。それまで、発電所へは一般回線はかかりにくい状況であったが、こ
れにより、直接官邸から電話が発電所へ行くようになった。発電所長によると、総理を
始め官邸にいるメンバーからたびたび問い合わせがあったとのことである。
本店、発電所の対策本部では、このような問い合わせへの対応のため一定程度の要員
が割かれる事態となっていた。
また、原子力安全・保安院が官邸へどのように情報を上げていたかは不明なものの、
官邸からの直接の問い合わせが増えていること、発電所と直接繋がる回線を構築したこ
とを見ると、官邸では本来のルートから情報が得られなかったため、当社から直接情報
を入手するという方法に至ったものと推測される。
しかし、全電源喪失に伴い採取可能なプラントデータが限定的であり、さらに、発電
所対策本部と現場の通信手段が少なく、情報を得ること自体に時間を要する状況であっ
たことから、本店対策本部、発電所対策本部ともにプラントに関する情報量が絶対的に
少なく、伝達できる情報は限られていた。このような中、本店対策本部、発電所対策本
部ともに、得られた情報についてはファックス、電話などを通じて国等へ発信していた。
なお、本来であれば、発電所の情報は本店を経由して経済産業省、経済産業省を経由
して官邸の原子力災害対策本部へ送られる。また、原子力災害対応の拠点であり、政府
や原子力安全・保安院の関係者も集まるオフサイトセンターにも発電所の情報は集約さ
れ、オフサイトセンターからも経済産業省や官邸の原子力災害対策本部へ送られること
から、当社の対策本部への問い合わせが多くなることは考えにくい。実際にオフサイト
センターで対応した者の証言によると、オフサイトセンターのシステムは当初機能せず、
事業者ブースのTV会議システムが本店、発電所と繋がっていたため、そこに県や原子
力安全・保安院の方も集まってきていたとのことである。
このことから、関係機関との間の情報流通を難しくした要因の1つは、オフサイトセ
ンターが機能しなかったことにあると考えられる

前述したように本来オフサイトセンターに情報や人材等を集め、原子力災害に対応す
ることとしていたが、後述する事情によってオフサイトセンターは当初の役割を果たす
ことができず、福島県庁に移転した。また、最終的には本店が事故対策の統合本部とな
ったが、自治体組織は統合本部に組み入れられなかった。また、当初は福島第一原子力
発電所の免震重要棟に詰めていた国の原子力保安検査官は、3月12日朝に全員がオフ
サイトセンター側に移動し、13日に一旦発電所に戻るが14日夕方以降再度オフサイ
トセンターに移動、翌日の原子力災害現地対策本部の移転に伴い福島県庁に移動した。
このため、3月12日以降、復帰する22日まで、国の保安検査官は福島第一原子力発
電所にほとんど不在であり、最前線である福島第一原子力発電所から経済産業省への情
報は当社から提供するものに限られた。 【添付5-4】
また、地震の影響による電源の喪失等により、モニタリングポストが使用できない状
態となり、モニタリングカーによって対応したためデータ処理に時間を要したり、計測
に欠落がでるなど、データ提供に支障をきたした。

(5)人員派遣と活動状況(70-73ページ)

①原子力安全・保安院
3月11日の地震スクラム発生後、原子力安全・保安院との情報連絡を密にするため、
本店対策本部官庁連絡班等の要員を原子力安全・保安院の緊急時対応センター(ERC)
等に派遣した。なお、原子力発電所のトラブル発生時には通常こうした対応が図られて
おり、今回の事故に際しても常時5名程度が交代しながら原子力安全・保安院ERCに
駐在する形での要員派遣を行った。

事故対応の初期段階においては、原子力安全・保安院のERCのファックスが、他社
との共同使用で混雑していたことから、派遣された要員が本店からの情報を電話で聞き、
定期的に発電所で読み上げられたモニタリングポストの線量や原子炉水位、原子炉圧力
等のデータを原子力安全・保安院の緊急対策室に口頭で伝えることとした。なお、原子
力安全・保安院のパソコンを利用した電子メールも一部で併用した。

②政府、総理官邸
3月11日19時03分に官邸に原子力災害対策本部が設置されたが、原子力につい
て話を聞きたいので誰か来てほしいとの漠然とした要請
が原子力災害対策本部設置以前
にあり、本店対策本部のスタッフながら、特定の機能班を受け持っていなかった原子力
部門の部長を派遣することとした。また、説明には菅直人内閣総理大臣も同席するとの
話があったために、より上位職の者を出すことになり、直接的には福島事故対応をして
いなかった武黒フェローをも派遣することとし、他に2名を加えた4名を急遽、技術補
助者として派遣
した。

官邸での説明の後、帰社する途中で、再度、官邸から戻ってきてほしいという連絡が
本店にあったとのことから、武黒フェロー以下全員が急遽もう一度官邸に向かった。
これらの者は、官邸地下階にある官邸危機管理センターの関係機関の控え室を見下ろ
す位置(中間階)にある部屋で翌日昼頃まで待機した。15日までの間、一部の時間を
除いて官邸に常駐し、必要に応じて総理執務室等に呼び込まれる形で時々の質問に対応
していたが、当初はほとんど呼ばれることはなかった。官邸の危機管理センターや待機
した中間階の部屋においては、携帯電話の通信が遮断され、外部との連絡もできなかっ
た。また、危機管理センターから情報を与えられることもなかったために、派遣された
4名の情報源は基本的に部屋に設置されていたテレビしかなかった
。途中、危機管理セ
ンターにある固定電話を借りて外部と連絡をとったが、得られた情報は限られていた。
このため、12日の昼頃までは、発電所の状況に関する質問をされても、答える術がな
い状態となっていた

3月12日、原子力部門の部長は、当時菅総理から呼ばれて官邸にいたという総理の
知人から米国スリーマイルアイランド(TMI)原子力発電所の事故について説明を聞
きたいとの要請があり、TMI事故の概要(主給水ポンプが停止したことで蒸気発生器
への冷却水が供給されなくなったことを起因に、原子炉の圧力が上昇、加圧器逃し弁が
開放し、閉まらなくなったことで原子炉水位が低下し、緊急炉心冷却装置(ECCS)
が作動したものの、加圧器水位を運転員が誤認してECCSを停止してしまったことで
原子炉の水位が低下して炉心が露出、損傷するという事故に至る経過)を説明した。
おそらくこれに続いてのことと思われるが、総理から発電所長に電話があり、総理や
その電話を引き継いだ総理の知人から、TMI事故の原因はタービン設備へ導くべき蒸
気を止めたために起こった事故であるとして、タービン復水器に蒸気を送り原子炉を冷
却することの提案があった。この提案に対して福島第一、第二原子力発電所のそれぞれ
の発電所長は、この時のプラントの状態ではタービンの復水器では冷却できないことを
説明している。この電話対応には数十分費やした。現場実態と乖離した指導の中にはこ
のようなものもあった。なお、この総理の知人は、後日(3月20日)に内閣官房参与
に任命されたとのことである。
12日(土曜日)昼頃から14日(月曜日)未明までは、官邸5階の部屋に移され、
外部との通信状態も改善された。この頃から、当社からの派遣者らは、官邸5階の総理
大臣応接室等で開催される会議に参加し、本店から得られた情報を説明するようになっ

派遣者らは、14日未明から、危機管理センターとは離れた位置にある官邸地下階の
部屋に移され、徐々に危機管理センターを中心とした対応をすることとなった。15日
には東電本店に統合本部が設置されたが、官邸にいる当社からの派遣者には、それまで
に議論になったとされている全面撤退の話も含めて事前に問い合わせ等がされることは
なかった

官邸については、原子力災害時に当社から要員を派遣することにはなっていなかった
が、上記4名とは別に官邸の危機管理センターへの要員派遣の要請があった。このため、
3月13日以降、官邸2階に4~5名程度社員の派遣を増員するとともに、3月14日
以降は地下の危機管理センターにも4名程度の社員を派遣し、24時間体制で常駐させ
た。官邸への情報提供についても経済産業省を通さず当社へ直接提供を求められること
が多かった
。情報提供内容については、官邸側の質問に対応する他、モニタリングポス
トの線量やプラントパラメータ等、順次定例的な情報も提供していくこととなった。
官邸への直接的な人員派遣以外にも、前述した格納容器ベントの実施に関する国への
申し入れについては、既に1時30分頃、1号機及び2号機のベントについて了解を得
ていたが、3月12日2時34分、小森原子力・立地本部副本部長等が海江田大臣を訪
問し、プラント状況の説明を行い、2号機を優先してベントを実施することについて申
し入れを行った。菅総理には海江田大臣から説明をすることで政府として了承され、同
日3時に格納容器ベントの実施について、海江田大臣同席で格納容器ベントに関するプ
レス発表した。
3月12日6時14分、菅総理は班目春樹原子力安全委員会委員長とともに官邸をヘ
リで離陸し、7時11分に福島第一原子力発電所グラウンドへ着陸した。オフサイトセ
ンターの要員として現地にいた武藤原子力・立地本部長が出迎え、吉田所長は発電所対
策本部を約20分間離席し、プラント状況や格納容器ベントに関する作業状況の説明を
行った。菅総理は8時04分に同発電所を離陸した。
5.3(2)①で述べたとおり、当社は原災法や原子力事業者防災業務計画に基づき、
プラント情報等を国(原子力安全・保安院はもとより、官邸内危機管理センター等)な
どの関係機関へ随時提供していたほか、原子力安全・保安院に派遣した連絡者を通じて、
国からの質問等にも答える態勢をとっていた。官邸は、予め定めている原子力安全・保
安院からの連絡経路を利用せず、また、一部情報は危機管理センターに送信されていた
がそれらの利用もせず、直接原子力発電所と連絡をとれる方法を要請してきた
。菅総理
の命を受けた細野補佐官の強い要請で、官邸から発電所長へのホットラインが開設され
た。官邸からの質問には、基礎的な質問や官邸・国が担うべき退避範囲の妥当性に関す
る質問が含まれていた

一方、吉田所長には、細野補佐官の携帯電話番号や細野補佐官の秘書の携帯電話番号
が知らされ、社内電話回線を使って直接連絡をとることとなる。直接報告された内容と
しては、3号機の水素爆発直後に1号機と同様に格納容器圧力に変動がないこと(=損
傷がないと思われること)、負傷者の状況、2号機の原子炉への注水がうまくいかない
中で、場合によっては大きな炉心溶融になる可能性があること等、適宜細野補佐官に連
絡した旨が吉田所長の証言として得られている。
なお、3月15日4時17分頃官邸に呼び出された清水社長は、菅総理から直接に、
撤退するつもりであるか否かについての真意を問われた。それに対して、清水社長は全
員撤退については考えていないと回答した
。(撤退問題詳細については、別途(7)項に記載)


(7)撤退問題(74-79ページ)

一部報道において、東京電力が福島第一原子力発電所から全面撤退しようとしている
という官邸内の認識のもとに「撤退を食い止めるためには東電に乗り込むしかない」と
して総理が当社本店で発言するに至る経過が連載され、また、民間の事故調査報告書を
踏まえ、「福島フィフティーが残留したということは、ある意味では菅首相の実は最大の
功績であったかもしれない」などとの主張も見られる。
しかし、当社は全面撤退しようとはしておらず、本件については平成23年12月2
日に公表した中間報告書別冊において解明・報告済の事項と考えていたが、このような
情勢に鑑み、改めて事実関係の調査・整理を行った。
当社としては、事態収束のため社員が残って対応した、あるいは自ら戻って対応した
という厳然たる事実があり、決して、全面撤退しようとしていたなどということではな
い。結局のところ、撤退問題とは福島第一原子力発電所の現場が事故対応を継続したと
いう事実が、はたして総理の撤退拒否の言動の結果であったのか否かということである。

①事実関係の経緯

<清水社長から海江田大臣への電話連絡>
津波発生後4日目、3月14日、2号機の原子炉水位が低下していることから、当社
は13時25分、原子炉隔離時冷却系の機能が喪失したと判断した。有効燃料頂部(T
AF:燃料集合体の発熱部上端)到達は同日16時30分頃と見込まれた。しかしなが
ら、1号機(12日)、3号機(14日)の建屋爆発の影響もあり、原子炉への注水作
業が困難を極めたことや、格納容器のベントも圧力抑制室側(大弁)からのベントもで
きないことなど非常に厳しい状態となった。(操作経緯の詳細は8章参照のこと)
炉心が露出して損傷する危険性に加え、圧力抑制室側からのベントができず、圧力抑
制室にある水によるフィルタ効果(スクラビング効果)がないドライウェル側からのベ
ントしかできない場合やベントができず格納容器が過圧破損した場合には放射性物質が
放出される危険もあり、発電所にとどまる者に制御できない被ばくを与える可能性のあ
る状態に近づく危機的な状況になった。
このとき、福島第一原子力発電所には、数百人(およそ700名)がとどまっており、
これら全員が危険にさらされることになる。その中には、事務系職員や女性、当座の緊
急作業に直接関わらない者も含まれており、皆が昼夜のない連日の作業に従事し体力的
にも極限状態にあった。吉田所長は、「何度も死んだと思ったが、この時は本当に死ん
だと思った。原子炉を安定させる復旧要員は残すとしても、それ以外の人は退避がよい
と思った。」と述べている。また、国の保安検査官は、2号機の状況が緊迫化する中、
全員がオフサイトセンターに移動したため、14日夕方以降、福島第一原子力発電所か
ら国関係者はいなくなった。福島第一原子力発電所においては、危機回避のために注水
やベントのラインを構築する等の事故対応の継続は当然行うとしても、発電所にとどま
っている多数の職員の身体の安全確保を考慮しなければならない局面であった。
このため、3月14日19時30分前後に、福島第一2号機の危機的状態に関連して、
本店と福島第一原子力発電所間で退避基準について議論されている。本店、発電所とも
に、事故対応に必要な人間は残し事故対応を継続することは大前提であった。19時4
5分頃、武藤原子力・立地本部長が「退避の手順」を検討するように部下に指示し、退
避の手順書が作成されている。
当該の手順書には、退避の決定からの手順が記載されており、協力会社へのバス手配
の協力願い、国・自治体への通報、緊急時対策室内の職員に対するアナウンスメント、
受け入れ先、事前の準備事項(リスト、避難受け入れ態勢など)が記載されており、ア
ナウンスメントには具体的に「避難決定が出ました。全員(緊急対策メンバー以外は)
直ちに退避行動をとって下さい」と、避難する人員は緊急対策メンバー以外であること
が明記されており、危機回避のための活動は継続する意志が示されている。
なお、当該退避手順書の作成履歴(プロパティ)を確認したところ、最終更新は3月1
5日3時13分であって、菅総理が清水社長を呼んで撤退の有無を確認し、また、本店
に来社して撤退を封じたとされるいずれの時刻より以前の作成である。

中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba
作成された「退避の手順」

$中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba
「退避の手順」の最終更新日時を示す電子
ファイル(退避の手順.doc)のプロパティ

当然のことながら、プラントが厳しい状況にあることは、本来の通報連絡ルートによ
って通報するだけでなく、電話等によって国に随時通報・連絡をしている(なお、14
日18時41分から20時34分に至る時間帯、及び、15日1時30分頃に清水社長
(秘書からの電話を含む)から経済産業大臣秘書官などに電話をかけていることが確認
されている。)。
清水社長が電話で海江田大臣に伝えた趣旨は、「プラント状態が厳しい状況であるため、
作業に直接関係のない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため
検討したい」というものであり、全員撤退などというものではなかった。
しかし、この電話で清水社長が海江田大臣に「一部の社員を残す」ということを同大
臣の意識に残るような明確な言葉を持って伝えたかどうかは明確でない。そして、海江
田大臣は、清水社長が「撤退」ではなく「退避」という言葉を使ったことは認識してい
たものの、「全員が発電所からいなくなる」との趣旨と受け取り、官邸内で共有し、その
旨を菅総理に伝えたようである。
枝野官房長官の発言によれば、このころ福島第一原子力発電所の吉田所長に電話で意
志を確認したところ「まだやれることがあります。頑張ります。」との返事であり、官邸
側としても吉田所長は、全面撤退など考えていないことを確認したことを述べている。
なお、吉田所長は最初から一貫して、作業に必要な者は残す考えであった。

<総理による清水社長への真意確認>
清水社長が海江田大臣に電話をかけてから、しばらく時間が経過して後に清水社長に
官邸へ来るようにとの連絡があった。用件は示されなかったが、ともかくすぐに来るよ
うにということであった。3月15日4時17分頃、官邸に赴いた清水社長は、政府側
関係者が居並ぶなか、菅総理から直々に撤退するつもりであるか否か真意を問われた。
清水社長によれば、ここで、両者間に次のような趣旨のやりとりがあった。
菅総理 「どうなんですか。東電は撤退するんですか。」
清水社長「いやいやそういうことではありません。撤退など考えていません。」
菅総理 「そうなのか。」
 

いわゆる撤退問題において、ここでのやりとりが最も重要な場面である。概略このよ
うなやりとりがあったことは、後記の通り、菅総理自身が、事故からまもない4月18
日、4月25日、5月2日の3回の参議院予算委員会での答弁(後述)に合致するもの
であって、確かな事実であったと見られる

したがって、清水社長と海江田大臣との間の電話によって、菅総理等官邸側に当社が
全面撤退を考えているとの誤解が一時あったとしても、それは、このやりとりによって
解消されていたと考えられる。
それに続けて話題はすぐ「情報共有」になり、菅総理から「情報がうまく入らないか
ら、政府と東電が一体となって対策本部を作った方がよいと思うがどうか。」との要求
があり、清水社長は事故対策統合本部の設置を了解した。

<当社本店での菅総理>
4時42分頃、清水社長は官邸を辞し、同時に出発した細野補佐官等が、本店対策本
部に来社したところで細野補佐官の指示に基づき、本店対策本部室内のレイアウト変更
が行われ、菅総理を迎え入れる準備が行われた。
5時35分、菅総理が本店に入り、本店対策本部で福島事故対応を行っていた本店社
員やTV会議システムでつながる発電所の所員に、全面撤退に関して10分以上にわた
って、激昂して激しく糾弾、撤退を許さないことを明言した※。前述の通り菅総理は官邸
での清水社長とのやりとりによって当社が全面撤退を考えているわけではないと認識し
ていたはずであり、上記菅総理の当社での早朝の演説は、意図は不明ながらも、当社の
撤退を封じようとしたものとは考え難い。
清水社長は、国の対策本部長として懸命に取り組まれていることを感じながらも、「先
ほどお会いしたときに納得されたはずなのにと違和感を覚えた」とこの時の総理の態度
が理解できなかったことを証言している。
また、福島第一・第二原子力発電所の対策本部において、菅総理の発言を聞いた職員
たちの多くが、背景の事情はわからないまま、憤慨や戸惑い、意気消沈もしくは著しい
虚脱感を感じた、と証言している。

※後日マスコミにて、菅総理の来社時の映像に関して、当社が保有しているTV会議システムの録画の有無が取り沙汰された。そもそもTV会議システムの録画は社内規定等で録画する運用となっている訳ではなく、担当者の機転で録画を行ったものであった。録画は、本店緊急時対策本部と福島第二原子力発電所緊急時対策本部のシステムで行われた。しかしながら、本店では録画機器のハードディスクの容量が一杯になり、自動的に記録が停止した15日0時過ぎから、停止に気付いて録画を再開した16日の3時半頃までの記録が欠落している。そのため、菅総理が来社した時間帯は録画されていない。また、福島第二原子力発電所緊急時対策室のTV会議システムでは画像収録時の音声録音の設定を失念したため、音声のない映像が録画された。このため、菅総理来社時の映像には音声が入っていなかった。

<2号機の衝撃音と所員の一部退避/吉田所長らの残留>
その後、引き続き菅総理は本店幹部を本店対策本部が設置された緊急時対策室と廊下
を隔てた小部屋に集め質問等をしていたところ、6時14分頃の2号機で大きな衝撃音
と震動(後の調査で4号機の建屋爆発と判明)が発生した。
異変が生じたことから、本店・緊急時対策メンバーは緊急時対策室(対策本部)に戻
り、発電所長との状況確認を再開した。なお、小部屋にもTV会議システム端末があり、
現地の状況を知ることができる。菅総理は引き続き小部屋にとどまった。本店及び発電
所の緊急時対策室では、2号の圧力抑制室が破損した可能性の報告、チャコールフィル
タ付全面マスク着用の指示などがあり、6時30分、「一旦退避してパラメータを確認す
る(吉田所長)」、「最低限の人間を除き、退避すること(清水社長)」、「必要な人間は班
長が指名(吉田所長)」などのやり取りがあり、吉田所長が一部退避の実行を決断、清水
社長が確認・了解した。班長の指名した者の氏名は同発電所緊急時対策室のホワイトボ
ードに書き込まれた。福島第一原子力発電所には、吉田所長を筆頭に発電所幹部、緊急
時対策班の班長が指名した者など総勢約70名が残留した。
6時37分、吉田所長から異常事態連絡発信(71報)『2号機において6時00分~
6時10分頃に大きな衝撃音がしました。作業に必要な要員を残し、準備ができ次第、
念のため対策要員の一部が一時避難いたします。』として通報している。菅総理は、8時
半ごろ本店から退去した。
なお、同日、政府の原子力災害現地対策本部は、発電所立地点の大熊町オフサイトセ
ンターを引き払い福島県庁に移動した。

<吉田所長の意志>
吉田所長は、TV会議を通じて当時目の当たりにした菅総理の言動について「極めて
高圧的態度で、怒りくるってわめき散らしている状況だった」と記憶している。「もとも
と全員撤退などは考えたこともない。私(吉田所長)は当然残る、操作する人間も残す
が、最悪を考えて、関係ない大勢の人間を退避させることを考えた。」と証言した上で、
一連の全面撤退についての風聞に対して「誰が逃げたのか、事実として逃げた者がいる
というのなら示してほしい」と憤慨している

実際、所長を中心に約70名が発電所にとどまり事故対応は継続された。また、全社
からの発電所への人的支援も、滞ることなく15日も継続して行われている。
また、福島第一原子力発電所から避難した者も、発電所からの撤退ではなく、一時的
な退避であり、福島第二原子力発電所に避難した者の一部は、短時間の休養の後福島第
一原子力発電所に戻り、事故対応を継続している。

<事実関係のまとめ>
3月14日午後以降、福島第一2号機の状況が厳しくなる中、福島第一原子力発電所
にとどまっている多数の職員の身体の安全確保の考慮も必須の局面となった。
このため、事故対応の継続に必要な人間は残すが、作業に直接関係しない者を一時退
避させることを本店と発電所で協議した。また、社長は、そのことを海江田大臣に電話
で連絡した。
ところが、清水社長からの電話を受けた海江田大臣は、全面撤退の打診と受け止めた
としている。なお、官邸が独自に吉田所長の意志も確認したところ全面撤退など考えて
いないことを確認したことも述べている

15日4時17分、官邸に呼びだされた社長は、総理から直々に全面撤退ではないか
と真意を確認された。清水社長は全員撤退ということは考えていないことを回答し、理
解を得たと考えた
。また、その場で総理から統合対策本部を設置するとの提案があり、
社長は了解している。
15日5時台、総理が本店にて、撤退を許さないとの発言をしたが、本店・発電所共
に、もとより対応に必要な人間を残す考えであったため、大きな違和感を感じた。
発電所にとどまって対応することができたのは、新潟県中越沖地震を受けて自主的に
免震重要棟を整備していたことにもよるが、実際、福島第一原子力発電所の現場におい
ては、免震重要棟を中枢として、原子力プラントが危機的状況にあっても、当社社員は
身の危険を感じながら発電所に残って対応する覚悟を持ち、また実際に対応を継続した。
この行為は、総理の発言によるものではない



②官邸関係者の発言
撤退問題に関して、どのような発言がなされてきたか、公表されている発言を整理し
て次表に示す。この表は、吉田所長や清水社長のいわゆる撤退に関する考えを、関係者
各人がどのように認識していたとしているのかを様々な場での発言記録を基に整理した
ものである。(以下、この表に基づいて記載する。)

(表:略)

<清水社長から海江田大臣への電話連絡の官邸内での受け止め>
発端となった清水社長と海江田大臣との間の電話連絡の時点の状況については、海江
田大臣自身が、平成24年5月17日、国会の事故調査委員会に参考人として答弁して
いる。また、5月27日、枝野官房長官も参考人として関連する事項等について答弁を
している。この際の撤退問題に関連する質疑応答を別紙1<発言抜粋1,2>に示す。
海江田大臣は、当時、清水社長からの電話を直接受けているが、「第一発電所から第二
発電所に、撤退という言葉ではありませんで、退避という言葉がございました。」、「頭の中で全
員が退避と認識した」としている。この認識は清水社長が大臣にまで直接電話をかけてき
たことに重い決断がそこの後ろにあると海江田大臣が思ったことによるとのことである。
また、海江田大臣は、官邸の幹部が現場の作業の継続が必要との認識で一致したこと
を証言しており、これは、清水社長からの電話の後、東電が全員の退避を申し出たとの
情報を官邸幹部間で共有したことを示している。枝野官房長官も官邸内の情報共有で東
電が全面撤退しようとしているとの報告を受けたとしている。なお、官邸では、福島第
一原子力発電所の吉田所長に全面撤退の意志がないことを独自に確認する一方で、東電
本店からの電話には敢えて出ないといったことも行われたとのことである。細野補佐官
も、東電の撤退要請に関してニュース番組のインタビュー(平成24年3月9日フジT
Vスーパーニュース出演)にて、清水社長とは話をしていないが、全員撤退と認識して
いたとの趣旨のことを述べている。このように、官邸幹部間では全面撤退との共通認識
が広がっていたとされている。
その後、枝野官房長官は清水社長からの電話を受けたとされており、この時の正確な
やり取りは覚えていないが「部分的に残すという趣旨でなかったのは明確」との認識を示し
ている。
なお、菅総理へは、15日3時頃に仮眠中の総理を起こして、海江田大臣から、「東電
から撤退したいと、そういう話が来ている。どうしよう」と伝達されたとのことである。
その後、清水社長が官邸に呼び出されて真意を問われた際に、清水社長が全員撤退と
いうことではないことを明らかに述べたことに対して、海江田大臣は、「電話で受け取っ
た話と違いますので、それはちょっとびっくりしました。」と、当初、「全員が退避」と受け止
めた認識とは異なることに戸惑ったことを述べている。
この経緯から見て、清水社長が海江田大臣に電話連絡をした際に、言葉の行き違いで
互いの認識に誤解があり、認識の差になった可能性は否めない。今振り返って、清水社
長は、「受け手と話し手の違いがあるとすれば、これはやはり、そこのところは、もう
少しきちんとコミュニケーションギャップをきちんと埋めておく余地はあった」と述べ
ている。
なお、枝野官房長官の過去の発言は、例えば、平成23年3月18日の内閣官房長官
記者会見において、東電が全面撤退の意向を政府に打診したという事実の有無を問われ
た際、「私は承知をしておりません」としていたが、同年9月には、「全面撤退のことだ
と全員が共有している。そういう言い方だった。」と発言(9月7日読売新聞インタビュ
ー)している。
以上の様に官邸内では、東京電力が全面撤退をしようとしているとの認識が広がり、
「東京電力の清水社長にお越しをいただこうということ(海江田大臣)」と、官邸に清水社長を
呼び出して真意を確認することになったことの経緯が示された。

<総理による清水社長への真意確認>
上述の経緯によって、ともかくすぐに来るようにとの連絡を受け、3月15日4時
17分頃、官邸に赴いた清水社長は菅総理から真意を確認された。最初の電話の時点で
認識に差が生じていたとしても、菅総理に呼ばれ、東電の意志を菅総理自身が確認した
時点でその問題は解消され、その結果が事故からまもない平成23年4月18日、25
日、5月2日の総理自身の国会での答弁になっているものと考えられる。答弁の抜粋を
別紙1<発言抜粋3,4,5>に示す。
この答弁記録によれば、「そしたら社長は、いやいや、別に撤退という意味ではないんだ
と言うことを言われました。(4月18日 参議院予算委員会)」、「それで社長にまず来
て頂いて、どうなんですか、とても引き揚げらてもらっては困るじゃないですかと言っ
たら、いやいやそういうことではありませんと言って。(4月25日 参議院予算委員会)」、
「社長をお招きしてどうなんだと言ったら、いやいや、そういうつもりではないけれどもと
いう話でありました。(5月2日 参議院予算委員会)」との総理答弁がなされており、
菅総理自身が、官邸での清水社長の真意確認をしたところ、撤退ではないと聞いたとい
う認識を示している。
しかしながら、夏以降の菅総理のインタビューなどでは、清水社長を官邸に呼んで確
認した東電の意志については、例えば、別紙1<発言抜粋6>に示す平成23年9月の新
聞社のインタビューでは、「そして、東電の清水正孝社長を呼んだ。撤退しないのかするのか
はっきりしない。」と、社長の意志は不明確であったとしている。
また、平成24年5月28日の国会の事故調査委員会での関連の答弁を別紙1<発言
抜粋7>に示す。この答弁においては、清水社長を官邸に呼んで確認した東電の意志に
ついては、「私が撤退はありませんよと言ったときに、そんなことは言っていないとか、そ
んなことを私は申し上げたつもりはありませんとかという、そういう反論が一切なくてそのまま
受け入れられたものですから、そのまま受け入れられたということを国会で申し上げた
ことを、何か清水社長の方から撤退はないと言ったということに少しこの話が変わって
おりますが、そういうことではありません。」としているが、清水社長に全面撤退の意
志はないことは示されている。また、吉田所長に関しても現場対応を継続する意志であ
ることは知っていたことが示されている。
なお、前述の通り、官邸内で菅総理の質問に対する清水社長の回答については、菅総
理自らが国会の場で「別に撤退という意味ではないんだということを言われました。(参
議院予算委員会 平成23年4月18日)」と答弁され、この他4月25日及び5月2日
の参議院予算委員会にても、清水社長は発電所から撤退する考えでなかったことが事故
発生後まもない頃の国会答弁で明確に示されている。
一方、別の角度から関わった原子力安全・保安院は平成23年9月28日の記者会見
において、森山善範原子力災害対策監が「ご質問の中に(東電の)撤退の話はございました
が、保安院としてはですね、撤退ということではなくて、福島第一から必要な人を残して第二に
一時退避するという、そういったふうに保安院は理解しています。」と回答している。また、直
接当社と接したオフサイトセンターの黒木慎一副本部長や原子力安全・保安院の平岡英
治次長は、全面撤退との認識ではないと述べている。(平成24年2月23日、3月11
日 東京新聞)
国会での答弁に関して言えば、別紙1<発言抜粋8>に詳細を示すが、菅総理が身体の
危険もある事故現場からの東電従業員の撤退を阻止したとしていることの法的な根拠の
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有無について、平成24年2月7日に枝野経済産業大臣(答弁当時)が答弁をしており、
この中で官邸において清水社長の真意を確認したところ明確に撤退の意志はなかったと
いうことを述べている。

③撤退問題に関する調査結果総括
上述したとおり、3月14日、当社は、現場の状況が厳しくなる中、作業に直接関係
しない者の一時退避を検討したのであって、もとより作業に必要なものは残って対応に
当たる前提であり、全面撤退しようとしていたものではない。これについては、本店と
発電所間で連携がなされており、方針は一致している。
事実関係の経緯で述べてきたように、清水社長が官邸に呼ばれ真意を確認された4時
17分、菅総理が当社で「全面撤退はありえない」と話をされる5時35分のいずれよ
りも前の3時13分に本店で作成された退避の手順には、「緊急対策メンバー以外は」と
明記されており、危機回避のための活動は継続する意志が示されている。
発端となった清水社長と海江田大臣などとの間の電話連絡の時点で、言葉の行き違い
で互いの認識に誤解があり、認識の差になった可能性は否めない。これを契機に官邸内
では、「(東電が全面撤退しようとしており)現場の方たちには大変申し訳ないが頑張っ
ていただかなければならない」という意見の一致がなされたとされ、誤解・認識の差が
官邸幹部で広まったと言える。
15日3時頃、清水社長から海江田大臣への電話の内容について報告を受けたとされ
る菅総理が、15日4時17分、官邸に清水社長を呼び出した際、自ら直接に清水社長
の真意を確認したところ、清水社長は全面撤退を考えているものではないことを明確に
述べている。ここに、上記誤解、認識の差は解消したものと考えられる。
また、官邸が独自に発電所・吉田所長の意志を確認したところ、吉田所長は全面撤退
など考えていないということを確認したとしている。
この時の経緯については、その後、何度も国会(福島原子力発電所事故調査委員会を
含む)の質疑で取り上げられ、菅総理や海江田大臣、枝野官房長官が答弁しており、
水社長を官邸に呼び出し真意を確認したところ、清水社長の回答は全面撤退ということ
ではなかったという点で全ての答弁は一致している。清水社長の真意確認は、総理が、
東電本店に来て撤退は許さないとの発言をするよりも以前の出来事である

本件は、本店と官邸の意思疎通の不十分さから生じた可能性があるが、本店も発電所
も、もとより作業に必要なものは残って対応に当たる考えであった。現実の福島第一原
子力発電所の現場においては、当社社員は原子力プラントが危機的状況にあっても、身
の危険を感じながら発電所に残って対応する覚悟を持ち、また実際に対応を継続したと
いうことが厳然たる事実である。この行為は、総理の発言によるものではない。