事務局をすべて解任し、新たに策定会議の委員の中から選任して議事運営に当たるべきだ | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

事務局をすべて解任し、新たに策定会議の委員の中から選任して議事運営に当たるべきだ

秘書です。

審議会では、会議の運営と草案起草という庶務を担当する事務局こそが権力です。
民主党政権は、事務局運営は官僚に委ねてオーソドックスな結論がでるように布石を打ちつつ、委員の人選においては急進的な意見を持つ人を入れて、改革色をアピールします。
その結果、

「事務局をすべて解任し、新たに策定会議の委員の中から選任して議事運営に当たるべきだ」

という意見が委員の中から出てくることになるのでしょう。民主党政権の政策運営の根本的な問題ですね。


<議案隠し>「原子力推進派意向で修正検討」事務局認める
毎日新聞 5月9日(水)2時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000006-mai-pol

 長期的な原子力政策を論議する「新大綱策定会議」(議長・近藤駿介原子力委員長)の議案が原発再稼働の妨げになるとして隠蔽(いんぺい)された問題で、会議の事務局を務める内閣府幹部が毎日新聞の取材に「(内容を)相談するため事前に外部に提示した」と認めた。提示先は電力各社で作る電気事業連合会など推進派に限られ、一部だけの意見を反映させ議案の修正を図っている実態が明らかになった。策定会議の委員は反発しており、伴英幸・原子力資料情報室共同代表は9日の策定会議で事務局19人全員の解任を要求する方針だ

 内閣府原子力政策担当室の中村雅人参事官によると、議案書「原子力利用の取り組みと国民・地域社会との共生に向けて」を4月19日夕、電事連、経済産業省・資源エネルギー庁側に提示した。「見てもらってブラッシュアップする(磨き上げる)ためだった」と意向次第で書き直す方針だったことを認めた。慎重派には提示しておらず偏った議事運営が裏付けられた。

 中村参事官は同24日の議案から外した理由を「出来が悪かったため」と強調した。しかし関係者によると、エネ庁側が「『地域』を今取り上げると、どの範囲を地域と呼ぶかが問題になり関西圏首長に理解を求める活動に影響する」と議案から外すよう要求したことが判明している。

 細野豪志原発事故担当相は8日の閣議後の記者会見で「いろんな当事者から話を聞かないと議論できない」と述べ、議案書を外部に示した内閣府の対応を擁護した。

 伴氏は「委員に配られていない議案が事業者や経産省に渡っているとは何ごとか。策定会議は出直すべきだ」と猛反発。9日の会議に「事務局をすべて解任し、新たに策定会議の委員の中から選任して議事運営に当たるべきだ」とする意見書を提出する。委員の金子勝・慶応大教授も「電事連やエネ庁の望む通りに議論を進め近藤氏も少なくとも黙認している。信頼性を傷つける『事件』だ」と憤り近藤氏に説明を求める方針だ。【清水憲司、太田誠一、高島博之】



→高橋洋一さんは、審議会のアジェンダ設定や日程設定などの会議の運用の実権を事務局が握っており、この庶務権は最大の権力であると指摘しています。(高橋洋一(2008)『さらば!財務省』講談社、pp.93‐96.)

→中曽根政権のときの臨教審に参加した香山健一さんと事務局の関係は以下のようなものでした(以下、敬称略)

 臨教審では、香山健一の自由化論を支持する天谷直弘、中山素平、俵孝太郎と、自由化を否定する文部省の主張を臨教審で代弁する有田寿一らが激しく対立した 。

 臨教審第二回総会の模様について、香山健一は以下のように語る。

「臨教審は発足直後の第二回総会から、いきなり審議会の運営方法、審議の進め方、教育改革の理念などをめぐって、委員相互あるいは委員と事務局、特に文部省関係者との本格的な論争の場となり、我が国審議会の歴史上先例のない『論争する審議会』となることになった」

この中で重要な点は、「審議会の運営方法や審議の進め方」と「教育改革の理念」が同時に議論され、「委員相互」のみならず「委員と事務局、特に文部省関係者」とが本格的な論争の場となったとの指摘の部分である。「教育改革の理念」という「サブ」と、事務局主導の審議会運営の「ロジ」が表裏一体をなしていることを示している。

さらに、以下の香山の主張は、事務局主導の審議会運営の問題点を明らかにしている 。

 香山が臨教審に提出した「臨教審第001号・総会の各議題に関する意見」には、「権威ある事務局は、審議会等の各委員を分断し、その意見や発言に枠をはめたり介入したり、さらに事務局の特権とされる報道機関との接触や資料作成等を通じて、事前に“世論操作”を行うのを常としてきた。(中略)いまなお旧態依然たる“審議会操作”を続けることは絶対に容認できない」とある。

さらに香山は「臨教審004号」で、「自民党文教部会において、文部省官房長が臨教審における私の発言等に、“文部省が大変迷惑している”という趣旨の発言をしたことが伝えられているが、事実の詳細と釈明を公式文書で要求したい」と、官僚の自民党工作を牽制している。

 香山は、国民世論にうったえることで文部官僚による事務局主導の臨教審の主導権を確保しようとするが、結局、主導権を奪還することができなかった。

 香山は臨教審について、ⅰ)臨調との連携が必要だった 、ⅱ)臨教審事務局の主導権を文部省にとらせるのではなく、文字通り、全省庁体制で教育改革を推進する体制を人事面、組織面でとる必要があった、ⅲ)族議員に真の改革派議員がいなかった、と総括している 。

 中曽根首相は臨教審の事務局について以下のように考えていた。

 中曽根首相は、教育改革は文部省だけの問題ではなく、広く、内閣レベルで考えないと教育改革はできないとの立場から、臨時教育審議会(臨教審)を設置した。しかし、中教審を持つ文部省と文部族議員はこれに抵抗した。
 香山健一は以下のように語る。

「文部省主導の中央教育審議会の発足を凍結する形で、総理大臣直属の審議会として臨教審が発足し、全省庁体制のもとに事務局が総理府に置かれたこともあって、文部省並びに文教族、教育業界関係者の間には、文教行政の既得権益に係わる規制緩和や大胆な政策転換が進められるのではないかという点について、強い警戒感が存在していた」

中曽根首相は臨教審を総理大臣直属とするために内閣に設置することの見返りに、文部省や文教族に対して一つの「妥協」をする。この「妥協」について中曽根首相は以下のように語る。

「(臨教審を内閣に取り上げてつくったが)、そのとき文部省が非常に抵抗し、その事務局をどうするかという問題になったのです。私は文部省の人間でないほうがいいと思っていましたが、文部大臣を説得し、自民党の文部族を説得するために、いわゆる妥協をせざるをえなくなって、文部省の事務局に譲った。それが中教審の勢力の矛先みたいになって、とうとううまくいかなかった。そういうことではないかと反省しているしだいです」

(中曽根康弘(2004)『自省録-歴史法廷の被告として-』新潮社他を参照としました)