「雪が降り始めてからの予算執行は物理的に容易ではない」(増田元総務相・元岩手県知事) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

「雪が降り始めてからの予算執行は物理的に容易ではない」(増田元総務相・元岩手県知事)

秘書です。

「雪が降り始めてからの予算執行は物理的に容易ではない」

「増税優先政治」の結果、復興着手が遅れてしまいましたね。


復興庁成功のヒントは小泉時代の経財諮問会議=増田寛也・野村総研顧問
2012年 03月 5日 12:54 JST
http://jp.reuters.com/article/jpopinion/idJPTYE82401Z20120305?sp=true

復興の司令塔の役割を期待される復興庁だが、その組織構造は縦割り二重行政を作り出してしまいそうな要素を数多く抱えていると野村総合研究所顧問の増田寛也氏(元岩手県知事・元総務相)は警鐘を鳴らす。

同氏の提言は以下の通り。

<野田首相は平野復興相を分身として重用せよ>

私が常々残念に思うことは、日本国民の一人ひとりは非常にしっかりしているのに、日本の組織は大きくなればなるほど、機能不全の深みにはまることだ。復興への政府の取り組みは、まさにその最たるものだろう。

実質的に初の本格復興予算となった第3次補正予算は、東北がすでに冬を迎えた11月下旬になってようやく成立した。政府は早期執行が不可欠というが、県知事(岩手県)を務めていた経験から言わせてもらえば、雪が降り始めてからの予算執行は物理的に容易ではない

復興政策を担う復興庁にいたっては、震災から11カ月後の2月になってようやく発足した。本来ならば、昨年4月あるいは遅くとも5月の連休明けには設置され、1年後に店じまいとはいかないまでも、復興の道筋を示し終えていて当然だったろう。

1923年の関東大震災のときは、1カ月以内に帝都復興院が設置された。政変の影響でトップの後藤新平が退き必ずしもうまく機能したとはいえないが、少なくもスピード感ははるかに勝っていた。復興庁の遅れは、日本政府の力の無さを内外に示してしまったといえよう

なにより大きな問題は、復興庁の建てつけである。2021年3月末までの時限的な組織であるし、出遅れた分を急ぎ挽回しようと、当座の人員を各省庁からかき集めたことは仕方ない。しかし、250人余りの常勤職員のうち、約160人が東京勤務とはどういうことだろう。現地で毎日汗を流す職員の数が少なすぎる。現地の局に常駐するという副大臣や政務官も他省庁との兼務。現実には東京で仕事をする日も多く、現地に張り付くというわけにはいかないだろう。

復興相に与えられた権限も関連予算の要求や事業執行の監視などに限られている。このような体制と調整権限だけで予算の執行権限を握る各省庁の縦割りを打破し、復興の真の司令塔の役割を本当に果たせるのだろうか。

半年もすれば、親元の省益を優先した縦割り行政の弊害が色濃く出始めるのではないかと危惧している。野田佳彦首相は被災地の要望にワンストップで迅速に対応すると言うが、実際には新たな関所となり二重行政を作り出してしまいそうな要素がふんだんに盛り込まれている。

とはいえ、批判してばかりでは何も変わらない。こうした厳しい現実を踏まえたうえで、復興庁がどうあるべきか持論を述べたい。

私は、このような悪条件の中でも復興庁を機能させるヒントは、小泉政権下の経済財政諮問会議にあると考えている。同会議も調査審議の権限しか有していなかったが、当時の小泉純一郎首相がそこでの議論を重視する姿勢を明確に示していたので、財務省の主計局ですらやっかみを抱くぐらい、予算編成に実質的な影響力を持っていた。

同じことは、復興庁でも可能なはずだ。そもそも同庁は首相直属の機関である。野田首相が、平野達男復興相を自分の分身として重用し、予算からなにもかも平野氏が首を縦に振らなければ動かないという姿勢を事あるごとに見せれば、復興庁の実質的権限も地位も格段に上がる。

官僚は、実際に誰がどこで物事を動かしそうだということを敏感に感じ取る。要するに、蜜を用意することである

<東北復興と地方分権の議論は分けて進めよ>

ただ、復興は中央の司令塔だけでは実現できない。復興の主役は被災地だ。街づくりは地元の住民が納得しないとできないし、復興のハードルを低くするのは自治体の役割である。

私は、自治体の中では県の責任と役割が一番重大だと考えている。深刻な被害を受けた市町村に復興に向けたグランドデザインまで描けというのは酷だ。

東北の各県は、復興庁と連携しつつ、しかし臆することなく地元をよく知る立場からグランドデザインをどんどん提案すべきである。その際、東北3県、あるいは6県で広域行政組織を創設するなどして、県境を超えた大きなスケールの仕掛けを考えてほしい。津波で甚大な被害を受けた沿岸部の再生を考えるときに、県境で線を引いて別々のことを構想する必要などない。

場合によっては、東北共同債を発行して、広く世界から投資を募り、中央に頼らない復興財源を確保することも検討すべきだ。自治体主導でこうした取り組みを進めるためには、なにより知恵が必要だが、もしも現戦力で難しいと考えるならば、広く外に人材を求めればよい。

ちなみに、私は地域主権改革論者だが、今回の復興を道州制など従来からの分権議論に結びつけて考えることには反対だ。分権とは、平時の際に身の回りをどう豊かにしていくかという仕組みづくりである。しかし東北は今、平時にはない。平城京から平安京に遷都するぐらいの大事業を迫られている。

このようなときに、分権の話を持ち出せば、中央は「分権の時代なのに地方がだらしないから復興が進まない」と言い、地方は「権限が委譲されないからできない」と反発し、不毛な言い訳合戦に発展しかねない。中央と地方の対立は、復興の最大の敵であると関係者は心に刻むべきだ。

(3月5日 ロイター)