現代の末法思想=デフレ人口減少原因論←「人口増減と「物価」は実は関係がない」(高橋洋一氏) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

現代の末法思想=デフレ人口減少原因論←「人口増減と「物価」は実は関係がない」(高橋洋一氏)

秘書です。

人口減少がデフレの原因である、だからしょうがない、デフレに甘んじましょう、だから日銀に責任を問うのはかわいそうです、という意見がじわじわ広がっています。

ではなんでドイツは人口減少しているのでデフレではないのでしょう?
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-11173239981.html

デフレは金融的現象で金融政策で解決可能なのに、人口が原因で何もできないとデフレを放置するのか?そこまでして、責任回避したいのか?そんなに責任をとりたくないならお辞めになればいいのに。

デフレ人口減少原因論こそ、現代の末法思想ですね。

現代の末法思想たるデフレ人口減少原因論を流布させ、人々をデフレと円高に追い込んで、日本の企業に元気がない、若者に元気がない、企業はおカネを借りたいなんていっていない、など安全なところから上から目線でいうのはやめましょう。


日本のデフレは人口減少が原因なのか
人口増減と「物価」は実は関係がない

2011年1月13日 高橋洋一 [嘉悦大学教授]
http://diamond.jp/articles/-/10728

年末年始に「日本のデフレは金融緩和の効かないもので、その原因は人口減少による供給過剰である」という「デフレ人口原因論」が多くでている。

「デフレは金融政策で解決できる」(2010年11月11日、12月2日付け本コラム参照)という私のところへも、この意見について感想を求められることもしばしばある。かなり多くの人々が「デフレ人口原因論」に共感していているようなので、このコラム「俗論を撃つ!」にふさわしい話題だ。

二つの主張で
異なる「デフレ」の意味
 まず二つの主張であるが、その代表的な出典を明らかにしておこう。「デフレ人口原因論」は藻谷浩介著『デフレの正体』(角川書店)、「デフレ金融政策原因論」は、私の『日本経済のウソ』(ちくま新書)である。

 その上で、両書を読み比べると、驚くことに肝心要の「デフレ」の意味が異なっている。異なった「デフレ」をそれそれで分析対象にしているので、異なった政策的インプリケーションがでてくるのだ。

 そもそもデフレとはdeflationの日本語訳で、その意味は一般的な物価水準の持続的下落である。国際機関などでは、GDPデフレータが2年続けてマイナスの場合をいう。ここで一般的な物価水準というのは、個別品目の価格ではなく全品目の加重平均である「物価指数」を指す。この意味で「deflation」は、一般物価というマクロ経済現象の話だ。「日本経済のウソ」では、この国際標準の「デフレ」の意味で、一貫して書かれている。

 その上で、デフレの問題は、デフレが雇用喪失や設備投資減少を引き起こすことが書かれている。そのロジックは、マクロ的な意味での名目賃金や名目利子率には下方硬直性があるために、一般物価の下落に対して、名目賃金や名目利子率がうまく対応できず、結果として実質賃金や実質利子率(それぞれ名目値から物価上昇率を引いたもの)が高くなるからだ。

ところが、『デフレの正体』では「デフレ」の意味がはっきりしない。筆者自身が後から語ったところによれば、耐久消費財などの個別品目の価格の下落を意味しているという。その要因は人口減少なので、個々の企業はよほど創意工夫しなければいけないという主張のようだ。

 であれば、その「デフレ」は、「deflation」とはまったく違う、個別価格の現象である。要するに、ミクロ経済現象であって、マクロ経済現象ではない。ただし、しばしばマクロ現象とおぼしきところもあり、ミクロ現象とマクロ現象がしっかり区別されていない。

 ミクロ経済とマクロ経済というと、学生時代に経済学を勉強したことがあれば、すぐに思い出すだろうが、ミクロとマクロの区別がしっかりできていたかというと、そうでないかもしれない。実は、このようなミクロとマクロの混同はプロである経済学者でも時々見られる。高名な経済学者が公開の議論の場で、一般物価と個別価格(相対価格)の混同を指摘され、一悶着あったことさえある。

 ちなみに、法律の世界でも、ミクロとマクロは言葉として書き分けられている。若干の例外はあるが、「物価」は法律用語としては一般物価を指している。その例外の代表的なものは「物価統制令」だろう。もっとも、戦後直後の混乱期に制定され、法律としては残っているが、事実上その機能はかなり失われている。また「物価」に対して、「価格」は個別価格を指す。

 ミクロの「価格」とマクロの「物価」の関係をあえてたとえれば、全国の学校で一斉テストをしたとき、ミクロとはあくまで個人のテストの成績であり、マクロとは全国平均である。全国平均はテストの難易度によって基本的に上下する。全国の生徒の学力が、総じて低下している場合もあるが、それは国際比較などでチェックするしかない。

 もし個人成績が下がっている場合、全国平均が下がっているのか、個人の全国平均との差が下がっているのかを見極める必要がある。このため、テストでは、成績の絶対値を見るだけでなく、相対的な位置づけを示す、たとえば偏差値のようなものが重要になってくる。ここで偏差値は、平均点の変動や生徒全体の成績の偏りなどを「正規化」した結果の統計上数値であり、テストの難易度による成績の絶対値のブレを是正する指標だ。


なぜミクロの「価格」と
マクロの「物価」を区別するか
 ミクロの価格とマクロの物価といっても、物価は価格の平均なのだから価格が物価に影響するという程度の理解なら、両者をあえて区別する意味も少ない。なぜ両者の概念を区別するかと言えば、それ以上に物価の決まり方に特徴があるからだ。

 その理解のために、耐久財と非耐久財があるとして、耐久財の個別価格が下がる時をイメージする。ベースマネーが所与の場合、非耐久財の個別価格は上がる。その理由は耐久財が安くなる分、余裕ができて非耐久財を買うからだ。こう考えると、ミクロの個別価格の変動がマクロの物価に影響を与えないこともわかるだろう。

 ミクロの個別価格の平均としてマクロの物価があると思い込んでいると、個別価格が上がればその平均も上がると考えがちであるが、それは少し短絡的である。マクロ物価はベースマネーから決まってくる。この点において、ミクロの価格とマクロの物価を区別する意味が出てくる。

 一方、個別価格が人口要因によって左右されていることは否定できない。個別価格は需要と供給との関係で決まるが、人口は需要の大きな要素になり得るからだ。供給については短期的に調整できない。特に競争的な産業では、個別企業での生産量縮小は自らの収益減になるので、各社がカルテルでも結ばない限り生産調整はできないから、需要減がそのまま価格低下に結びつくことはある。

物価の下落と
人口増減は実は関係ない
 以上の点は、抽象的な思考の結果であるが、具体的なデータで確認しよう。

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物価の下落(本来の意味での「デフレ」)と人口増減は、実は関係がない。日本の物価上昇率と人口増減率を1990年から2008年までの時系列でみよう。その場合、両者の関係を示す相関係数は0.4程度でやや相関があり、物価と人口増減とで関係があるようにみえる。しかし、データを2000年から2008年に絞ると、相関係数はマイナス0.7となって、むしろ人口減はインフレと負の関係があることになる(図1参照)。

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また、各都道府県を横断的に見て、人口増減率と物価上昇率を2000年から2008年まで平均してみよう。その場合の相関計数はマイナス0.3程度であり、このデータからも人口減はデフレの原因とはいえない(図2参照)。

 では、世界ではどうだろうか。世界各国を横断的に見るために、世界銀行のデータベースによって、人口増加率と物価上昇率を2000年から2008年まで平均してみる。173ヵ国の中でジンバブエの物価上昇率は異常に大きいので、相関係数を計算するときに除外しておく。

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すると相関係数は0.1程度とほとんど相関はない(図3参照)。なお、人口増減だけでなく、人口構造にも関係するかもしれないので、非生産人口比率(15歳未満、65歳以上の人口の比率)の増減をとっても、物価上昇率との相関係数はほぼゼロで相関はなかった。

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一方、世界各国の通貨量増減率と物価上昇率の関係をみると、相関係数は0.7程度とかなり相関がある(図4参照)。これほどの相関になるような他のものは見あたらない。

 以上のことから、デフレは人口とは無関係で、通貨量と関係があることが確認できる。

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一方、個別の価格、例えば耐久消費財の価格は平均の物価に比して、最近時点でより価格低下が大きくなっており、これは需要減のためと思われるが、その原因として人口要因は否定できない。もっとも、その場合、理論が想定するように非耐久財価格が、平均の物価より高めになっている。(図5、図6参照)

 こうした経済分析にとどまるならば、個別価格の下落にすぎないことを「デフレ」といっても、そう目くじらをたてることもないと思うが、社会問題を論じる際には、こうした言葉のすり替えの裏に、分析者当人の本当の意図とは関係なく、関係者のいろいろな思惑が隠されている。

一つは、金融政策のベースマネーで対処できる「デフレ」が、人口要因で規定されて、金融政策で対処できないものだという印象を広く一般に振りまくことだ。二つ目は、個別価格へも政策関与したい官僚主義・権限拡大を許すことになることだ。

 これは、本来やらなければいけない仕事をさぼって、別の余計な仕事を作り出すという二重の意味で悪い。そもそも金融政策はマクロの物価へ働きかける政策であって、個別の価格決定に関与しないのがメリットである。

 一般の人が個別価格に関心があるのは理解できるが、個別の価格に政策として関与すると、個別のビジネスに大きな影響があるので、政策論としては個別価格への関与はしてはいけない。

 こうした政策論の基本が犯されるという点で、個別価格の下落にすぎないことを「デフレ」というのはまずい。

 なお、あまりに難しいテストを出し平均20点になって多くの生徒を落胆させるより、平均60点のテストで少数の生徒を叱咤激励するほうがいい。平均20点より60点のほうが生徒のやる気が出る。この意味でも、金融政策で平均点を上げる本来の仕事をすべきだ。


→委員会で、是非、高橋さんと日銀総裁に議論していただきたいですね。

白川総裁は、以下のように人口減少がデフレの原因であるかのごとき表現をしています。


「1990年代以降の日本を振り返りますと、経済成長率が趨勢的に低下しているうえ、労働力人口は1998年をピークに、総人口は2005年以降、減 少に転じています。この人口動態の変化、特に労働力人口の減少はボディーブローのように大きな影響を日本経済に及ぼしています。このことは、今後、国内市 場の拡大が見込めるのか、あるいは将来的に安定した雇用や所得が得られるのか、財政は維持可能なのかといった点を考えるだけでも明らかです。こうした点に ついて、国民の不安感が拡がると、現在の家計の消費活動や企業の設備投資行動を抑制してしまいます。長期にわたる需要の低迷や、それによって生じる需給 ギャップのもとでのデフレという現象も、より根本的にはこのような中長期的な成長期待の弱まりが原因です。」
【講演】最近の金融経済情勢と金融政策運営
きさらぎ会における講演
日本銀行総裁 白川 方明
2010年11月4日
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2010/ko1011a.htm/

→では、なんでドイツはデフレではないのでしょうか?


「・・・第2の課題は、人口の減少や高齢化といった大規模な人口動態の変化が社会や経済に及ぼす影響です。第3の課題は、予測困難な自然災害が経済活動に与える影響です。第2と第3の課題は、一見すると、金融システムや金融政策と無関係のようにみえるかも知れませんが、後述のとおり、そうではありません。人口減少は自然利子率の低下を引き起こし、ゼロ金利制約を通じて金融政策に影響を及ぼします。また、もし年金制度の予定利率が人口減少に伴う自然利子率の低下を十分に織り込んでいなければ、利回りの追求(search for yield)に拍車がかかり、バブルの芽が生まれるかもしれません。」

「次に第2の研究課題として人口動態の問題を取り上げます。ケインズは、1937年に行った「人口減少の経済的帰結」という講演の中で「人口減少期には、総需要が期待を下回り、過剰供給の状態が継続しやすい。従って、悲観的な雰囲気が続く可能性がある」と指摘しています7。ケインズは、伝統的なマルサス流の人口増加懸念論とは対照的な視点を提供しました。新古典派成長理論では、経済変数は、一人当たりGDP、一人当たり資本ストックというように、「一人当たり」で議論されることが多く、これでは日本が現在直面しているような問題を扱えません。日本は急速な高齢化と生産年齢人口の減少といった人口動態の変化期を迎えています。日本経済の現在と将来を考えるために、人口の規模や構造の変化を分析しようとしたケインズの視点が、より重要になってくるのではないでしょうか。」

http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2011/data/ko110601a.pdf
2011年6月1日
日本銀行
バブル、人口動態、自然災害
―― 日本銀行金融研究所主催2011年国際コンファランスにおける開会挨拶の邦訳 ――
日本銀行総裁 白川 方明