民間事故調報告書→残念ながら東電側証言がないので菅元首相の功績評価はまだ時期尚早です | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

民間事故調報告書→残念ながら東電側証言がないので菅元首相の功績評価はまだ時期尚早です

秘書です。
民間事故調報告書についてです。この報告書には東電側の証言がありません。だから、東電撤退問題について総括することはまだできません。


【原発】野田総理「参考に」 民間事故調報告書
(02/29 05:50)テレビ朝日
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220229005.html

福島第一原発の民間事故調査会は、野田総理大臣に事故発生時の政府の対応を厳しく指摘した報告書を手渡しました。野田総理は「参考にしたい」と答えたということです。

 野田総理大臣:「(Q.民間事故調の報告を今後どのように生かしていきますか)真摯に受け止めます」
 民間事故調の報告書では、「官邸が現場に介入し、混乱を呼んだ」などと政府の初動対応を厳しく批判しています。
 福島原発独立検証委・北澤宏一委員長:「総理は危機にどういうふうに対応していったらいいのかということに対して気にしておられました」
 そのうえで野田総理は、「十分に読んで参考にしたい」と答えたということです。
 一方、当時、総理大臣だった菅前総理大臣が報告書についてコメントを発表しました。そのなかでは、報告書で3月15日に東京電力が申し出た原発からの撤退を菅前総理が拒否したことが統合本部設置につながり、一定の成果を挙げたとされていることを評価しました。しかし、菅前総理は自らが評価されたこの部分しかコメントしておらず、政府の対応を厳しく指摘した点については全く言及しませんでした

“前首相の対応不合格”民間事故調
(2月28日 22:10更新)NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120229/k10013362641000.html


東京電力福島第一原子力発電所の事故の検証を進めてきた民間の事故調査委員会が、28日、日米の政府関係者など、およそ300人からの聞き取りをもとにした報告書を公表し、政府の危機管理の課題のほか、適切な対応を行えなかった官僚機構や東京電力の問題についても指摘しました。
報告書の中では、事故直後の政治家や官邸スタッフ、それに専門家などの当時の心境が赤裸々に語られています。
発表された報告書の中身を読み解きます。

民間事故調査委員会とは
東京電力福島第一原子力発電所の事故を、国から独立した立場で検証する民間事故調=「福島原発事故独立検証委員会」は、去年10月に発足しました。
委員長は、科学技術振興機構前理事長の北澤宏一氏が務め、元検事総長の但木敬一氏や旧日本軍の失敗の原因を分析した『失敗の本質』の著者の1人で一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏ら合わせて6人の有識者が委員を務め、去年3月に起きた原発事故の検証を進めてきました。
原発事故後の対応について、日米の政府関係者らおよそ300人に聞き取り調査を行い、国から独立した民間の立場で報告書の作成に取り組んできました。


調査には、菅前総理大臣や枝野経済産業大臣、海江田元経済産業大臣、細野原発事故担当大臣ら事故対応の中心を担った日本の政治家のほか、アメリカの国家安全保障会議、原子力規制委員会の幹部らも応じ、およそ300人の聞き取りをもとに作成されましたが、東京電力は調査に応じませんでした

官邸の対応は“場当たり的 泥縄的”
28日に公表された報告書は「場当たり的、泥縄的だった」という表現で官邸の対応のまずさを厳しく指摘しています。

これまでの調査委員会のヒアリングで、菅前総理大臣ら複数の政治家は「原子力災害対策のマニュアルは頭に入っておらず、当初、事務方からの説明もなかった」などと証言したということです。
報告書によりますと、事故が起きてから4日後の3月15日に政府と東京電力の対策統合本部が設置されるまで、原子力災害時のマニュアルについて、菅前総理大臣に対する事務方からの説明は一度もありませんでした。
事故直後、官邸では、スタッフが六法全書を持ち出して、慌ただしくページをめくりながら基本的な法律を一から確認しているありさまだったということです。

当時の福山官房副長官も「官邸に詰めてからおよそ半年の間に事務方から防災関係の説明を受けた記憶はなく、正直言って原子力安全・保安院がどういう役割や機能を果たしているか、あまり認識がなかった。事務方が状況を把握したうえで、情報を上げてくると思っていたのは大きな間違いだった」と述べたということです。
東京電力と原子力安全・保安院から具体的な事故の情報が伝えられないなか、総理大臣や官邸の政治家は、事故から数日の間、格納容器内の気体を放出して圧力を下げる「ベント」や原子炉への海水注入の是非の判断など、マニュアルでは事業者に任されている現場の意思決定に次々と介入していきました。

官邸にいた政治家の1人は、当時の状況を子どものサッカーに例えて「若干の反省を込めて言うと、サッカーで言えば1つのボールに集中しすぎたきらいはあったかもしれません」と振り返っています。
これについて、報告書は「サポートする事務方の体制がぜい弱ななかで、官邸の政治家たちは基礎的な認識を欠いたまま、場当たり的、泥縄的な対応に追われていた」と指摘し「今後は、政府部内での防災マニュアルやアドバイスの体制を早急に見直す必要がある」と提言しています。

不信の連鎖
報告書は、政府や官僚、東京電力などの間で、情報の共有がうまくいかず、相互不信が大きくなっていく様子が事細かに記されています。
今回の事故は、原発のすべての交流電源が喪失したことから起きたため、官邸がまず取った行動は原発に電力を供給する電源車の確保でした。
官邸は、事故が起きた3月11日の夜には全国から電源車を確保し、次々に福島第一原発に向かわせました。
しかし、電源はなかなか復旧しません。

報告書は政府が東京電力に不信を募らせていくきっかけは、ここにあったと指摘しています。
当時の枝野官房長官は「電源車は着いているはずなのに電源が通らない。なぜ通らないのかと、いくら聞いてもその理由が入ってこない。東京電力に対する不信はそれぐらいから始まっています」と当時を振り返っています。

このころ、政府は専門家に対する不信も増幅させていきます。
事故翌日の3月12日早朝、原子力安全委員会の班目委員長は菅前総理大臣とともにヘリコプターで福島第一原発へ向かいます。
その途中、班目委員長は総理から「原発の炉心が溶けたらどうなるのか」と問いかけを受けました。
これに対し、班目委員長は「反応で水素が出ます。しかし、格納容器の中は窒素が充填(じゅうてん)されていて酸素がないので、水素は爆発しません」と答えたといいます。
しかし、その8時間後、1号機で水素爆発が起きます。
総理大臣の班目委員長への不信感はピークに達し、外部の専門家を次々と内閣官房参与として任命していきました


相次ぐ参与の任命について、官邸スタッフの1人は今回の調査に対し「何の責任も権限もない専門知識も疑わしい人たちが、重大な決定に関与するのは問題だと思いました」と語っています

政治家などが赤裸々に証言
多くの政治家や官邸スタッフ、専門家などが当時の心境を赤裸々に証言しています。
3月12日の早朝、1号機で原子炉格納容器の圧力を下げるベントがなかなか実施されず、菅前総理大臣はヘリコプターで福島第一原発に向かいます。
その際、当時の枝野官房長官が「絶対にあとから政治的な批判をされる」と現地入りに反対したのに対し、菅総理大臣は「政治的に非難されるのと原発をコントロールできるのとどっちが大事なんだ」と答え、枝野長官は「分かっているならどうぞ」と応じたということです。
3月12日の午後3時半すぎ、最初の水素爆発が1号機で起きます。
菅前総理大臣が、原子力安全委員会の班目委員長に「爆発しないって言ったじゃないですか」とただしましたが、班目委員長は「あー」と頭を抱えるばかりだったということです



これについて、班目委員長は「爆発の映像を見て、すぐに水素爆発だと思ったが、その日の朝、総理大臣に水素爆発はないと答えていたこともあり、茫然自失の状態で、誰にも言えなかった」と証言しています
このあと、十分な情報がないなか、午後5時45分から官房長官が会見し、何らかの爆発的事象が発生したことを認めます。
このときの会見について、枝野長官は「あのときの会見ほど、つらい記者会見はありませんでした」と振り返っています。
3月15日未明、2号機では核燃料が露出して爆発の危険性も指摘され、東京電力から官邸に撤退とも受け取れる打診が行われます。
午前3時半ごろ、総理大臣や官房長官などが集まって、対応を協議した際、菅前総理大臣は「このまま水を入れるのをやめて放置し、放射性物質が出続けたら、東日本全体がおかしくなる」などと述べ、当時の細野総理大臣補佐官が東京電力に常駐することになったということです。


事故の教訓を生かせ
報告書は「事故からの教訓」という項目の冒頭で、官邸スタッフの「この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」ということばを引用し、「結果として原子炉の相次ぐ爆発や、さらに大規模な放射性物質の拡散という事態には至らなかったが、一歩間違えればという危険な状況が何度も起きていた」と指摘しました。
そのうえで、今回の官邸の対応について、相次ぐ災害への備えに対応できなかったマニュアルや、危機対応についての政治家の基本的な認識不足、構造的な情報伝達の遅れ、それに官僚機構の人材不足、官邸を技術面でアドバイスする体制のぜい弱さ、総理大臣のリーダーシップの在り方、を問題点として挙げ、早急な見直しを求めています。

また、原子力発電所を所管する経済産業省の原子力安全・保安院については、組織の中で安全規制のプロが育っていないため、人材も理念も乏しく、今回の事故では、収束に向けた専門的な企画、立案も行えなかったと厳しく指摘しました。
さらに、東京電力については、事故発生後、原子炉を冷却する非常用復水器が働いていないことに気づかず、かわりとなる冷却もすぐには始めなかったうえ、大きな危機を回避するためのベント作業にも手間取ったとして事故拡大の要因を作ったと指摘しています。
そしてこうした課題や教訓は原子力災害だけにとどまらず日本の危機管理全体などに通じるものだと締めくくっています。

菅前首相の対応は“不合格”
「福島原発事故独立検証委員会」は、28日午後、東京都内で記者会見を開きました。
この中で、委員長を務める北澤宏一氏は、当時の菅総理大臣の事故対応について「原発から撤退したいと申し出てきた東京電力に対し、みずから本店に乗り込みげきを飛ばして、結果的に50人の作業員が原発に残ることになったことについては、最悪のシナリオを避けられたこともあり、功績は大きかったと思うところもある。しかし、菅前総理大臣が電池の大きさ1つにまで関与するなど、官邸によって行われた現場への過剰な介入のほとんどについては評価することができない。さらに、総理大臣は情報の出し方に失敗し、国民の間に不信感が広がることになり、全体的には対応は不合格だったと言わざるをえない」と述べました

また、北澤氏は、事故が起きる前の日本の原子力安全の対策について、「アメリカの同時多発テロ以降、海外からさまざまな示唆があったにも関わらず、日本はそれを無視してきた。『100%安全なのに、なぜ対策を行わなければならないのか』という空気が広がっていた。この状況が変わらないかぎり、今後も日本の原子力安全は望むべくもない」と述べました。
一方、委員の1人で、元検事総長の但木敬一氏は「国が作り出した絶対的な安全神話は、反原発運動に対抗する道具として使われた。ところが、国はその安全神話にみずからしばられて、最新の技術的な知見を取り入れることさえ、できない体質に陥っていた」と指摘しました。

さらに、但木氏は、今後も原子力を使い続けるべきかという質問に対し「風力や太陽光などの自然エネルギーによる代替が難しいなかでは、われわれの生活を縮小するか、原子力を使い続けるかのどちらかを選ばざるをえない。原子力を使い続けるのならば、今回の事故原因をきっちりと究明して、一つ一つの原発について危機管理の対策を立て、管理がきちんと実行される体制をつくることが必要だ」と述べました。

→菅前首相の功績とされる東電「撤退」問題についてですが、この調査では一方の当事者である東電側の証言を得られていません。それで功績かどうかの歴史的判断を下すのは時期尚早ではないでしょうか。東電の発言の真意について東電側の証言を得た上で、菅前首相の功績なのかどうかを判断すべきと考えます。

→斑目さん、そしてたぶん東電OBのアドバイザーについて、水素爆発以後、強い不信感を抱いていたにもかかわらず、なぜ、菅首相は解任しなかったのか?なぜ信頼できないスタッフを御前会議に参加させていたのか。意思決定の共同正犯者として置いておいたのか?不信感の塊になって重大決定を続けたその心理状況はどのようなものだったのか。