確信なき量的緩和?→確信をもって量的緩和ができる人に政策決定してもらえる仕組みを | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

確信なき量的緩和?→確信をもって量的緩和ができる人に政策決定してもらえる仕組みを

秘書です。

2002年2月から2008年2月まで、日本は景気拡大しました。それが実感できなかったのは名目成長率が低迷していたからです。その原因はデフレです。


【表】 2000-2010年度の実質・名目成長率(単位:%)

年度=実質成長率・名目成長率
2000=2.6・0.9
2001=-0.8・-2.1
2002=1.1・-0.8
2003=2.1・0.8
2004=2.0・1.0
2005=2.3・0.9
2006=2.3・1.5
2007=1.8・1.0
2008=-4.1・-4.6
2009=-2.4 ・-3.7
2010=2.3・0.4

景気が良くなると税収もあがります。

$中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

その直前の2001年の日銀の政策決定会合で何が話し合われたのか?議事録が公開されました。

日銀 10年前“確信なく量的緩和”
1月31日 11時27分 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120131/k10015659681000.html

日銀は、およそ10年前の金融政策決定会合の議事録を公表し、当時の量的緩和政策について、アメリカの同時多発テロなどで景気が悪化するなか、どれだけの効果が上がるのか強い確信をもてないまま、金融緩和を重ねていたことが明らかにされました。

日銀が議事録を公表したのは、平成13年後半に開かれた、合わせて8回分の金融政策決定会合です。当時、日銀は、金利がほぼゼロまで下がりきったことから、金融政策の目標を市場に供給する資金の量に転換し、異例の「量的緩和」に乗り出していました。このころは、アメリカの同時多発テロや国内でも不良債権問題が深刻化し、景気が急速に悪化した時期に当たります。当時の竹中経済財政担当大臣は「一歩踏み込んだ金融政策に私たちは大変、期待している」などと繰り返し述べ、政府側から金融緩和を求める声が強まる過程が記されています。当初、日銀は、当時の速水総裁が「資金の量を急に増やしても経済はなかなか拡大しない」と述べるなど、慎重な姿勢でしたが、12月の会合では、当時の田谷禎三審議委員が「緩和の姿勢をアピールすることが大事だ」と述べるなど、次第に日銀内部でも緩和する姿勢を重視する声が強まって行きました。日銀は、合わせて5年にわたって量的緩和を続けましたが、日銀が量的緩和の効果に強い確信をもてないまま、金融緩和を重ねていたことが議事録からうかがえます。

→確信なく(=いやいや)量的緩和をやるから、量的緩和を解除する時期を間違えたのでしょうね。2006年、2007年の早すぎる量的緩和の解除と利上げです。

→確信なくいやいや政策決定するような人は、政策決定にかかわらないほうがいい。そういう仕組みにかえましょう。


〔2001年日銀議事録〕量的緩和は魔法の杖か、残高で評価される呪縛に委員ら苦悩
2012年 01月 31日 08:53 JST
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK071763820120130

 [東京 31日 ロイター] 日銀は31日、2001年7─12月の金融政策決定会合の議事録を公表した。同年3月に打ち出した、当座預金残高を政策目標とした量的緩和政策の効果が不透明ななか、不良債権問題や米IT(情報技術)バブル崩壊などデフレ・スパイラル懸念が強まり、手探りで残高目標の引き上げに踏み出していく姿が明らかになった。現在の日銀は、当預残高を単純に政策目標とせず、様々な金融資産を買い入れる包括金融緩和政策を採用しているが、デフレ解消は道半ばで、市場機能の維持や外債購入の可能性など現在の政策運営に通じる議論も多い。


  <政治的議論では金融政策=魔法の杖:竹中平蔵氏>


 量的緩和政策開始後の日本経済は、IT関連企業の輸出減少や業績悪化、金融機関の持ち合い解消売りなどで株価が下落を続けた。8月には金融庁が金融機関の不良債権額が過去最大の43兆円と公表。景気の後退局面入りが強く意識されつつあった。


 8月13、14日の会合では、景気のダウンサイドリスクが高まっているとして残高を1兆円程度積み増し(5兆円→6兆円)、長期国債の買い入れ増額を月4000億円から6000億円に引き上げる追加緩和を決めた。「9月中間期末を控え、流動性リスクの発生を封じ込めるという強い決意を示す」(須田美矢子審議委員)のが理由だ。

 しかし、「当座預金残高の引き上げは、金融機関のリスクテイクのインセンティブを高めるはずであるが、当面この効果はあまり強いようにも思えない」(田谷禎三審議委員)との声が出る。須田委員は「今後、金融緩和の度合いが当座預金残高で評価されるという呪縛を乗り越えなければならない状況に直面する可能性がある」(須田委員)と予言。三木利夫審議委員も「ここから先の問題はやはり大小を問わず、いずれにしても不健全な政策にならざるを得ない」(三木委員)など、委員らの不安がうかがえる。

 一方、竹中平蔵・経済財政担当相は、政治的な議論では「金融政策さえ何かやればうまくいくんだという魔法の杖のように思っておられる方、ないしはそれに近い発言をする方が実際にはいらっしゃる」、「タイミングが遅れると益々過大な期待をもたらしてしまうという弊があるので、速やかな日銀の行動というものが大変重要」と政府側の緩和要望を強調している。


  <追加緩和後に金利上昇、増額効果に限界論>


 こうした中、9月11日に米同時多発テロ事件が発生。日経平均株価は17年ぶりに1万円を割り込み、数日後には大手スーパーのマイカルが破たんするなど景気はさらなる悪化の兆候を示す。日銀はテロ直後の12日に市場安定のために大量の資金供給を実施、当座預金残高は政策目標である6兆円を大幅に上回る8兆円程度に達する。

 このことが9月18日の会合で委員を悩ませる。8月の緩和後に金利が却って上昇したことも政策への効果にマイナス材料となった。「持続的に6兆円以上の当座預金をキープできるかどうかは不透明である。現在8兆円前後供給できているのは一時的な不安心理の高まりによる資金需要の増大による訳で、10月以降もそれが続くという保証はない」(植田和男委員)──。委員からは当座預金残高が目標を上回っているのは一時的で、追加緩和の効果は限定的との見方が出る。このため会合では当座預金残高目標を「6兆円」から「6兆円を上回る」と現状追認の形で変更するにとどめた。一方、公定歩合を0.15%引き下げ、0.10%とした。

 残高目標を8兆円に引き上げることなどを提案して否決された中原伸之審議委員は、「去年の8月のゼロ金利解除のタイミングが非常に悪かったものであるから、株もあれからずっと今日まで下がり続けている」と述べている。


  <外銀の大量超過保有など市場機能低下の副作用も>


 10月11日、12日の会合は、米国によるアフガン空爆が始まった直後に開催。株価はテロ事件をきっかけにTOPIXがバブル後最安値を割り込むギリギリの水準まで下落、ダイエー、あさひ銀行などのクレジットスプレッドが大きく拡大する。8月の生産が予想比で大きく下振れ「ここ1カ月くらいの中で、率直に言って一番ショッキングだった」(早川英男調査統計局長)など景況感の悪化も進む。

 一方、日銀による大量の資金供給を受けて、無担保コール翌日物の取引金利が限りなくゼロに近づき、資金の出し手の運用意欲が低下。外銀による超過準備の保有が高水準に達するなど、日銀が供給しても市場に十分な資金が行き渡らない「偏在」が発生する。市場機能の低下という超緩和政策の副作用の顕在化だ。複数の委員が「日銀当預が金融政策の操作目標としての資格を失いつつあると思う」(植田委員)、「流動性需要が非常に不安定な時に量のターゲットを設けることの無理が露呈」(山口副総裁)と政策の限界に言及。「限られた政策手段の余地、これを将来のショックに備えて温存しておく必要がある」(中原眞委員)などの理由で追加緩和は見送られる。


  <マネー増がインフレ起こすとの総裁発言に山口副総裁が苦言>


 10月29日の会合でも、追加緩和は見送られた。ただ、政府側出席者の藤井秀人・財務省総括審議官が「物価下落を阻止するための政策議論を深めていただきたい」と発言したのを契機に、流動性供給の物価に対する影響について委員らが激論を交わしたのが注目される。

 口火を切ったのは山口副総裁。「金融政策だけで現在の物価下落に歯止めをかけるのはなかなか困難、金融政策は最大限のことをやっている」とし、藤井総括審議官に対して「願わくば政府サイドにおいても同じ目的に向けて措置を採っていただけるとありがたい」と言い返す。

 矛先は速水総裁にも向かう。速水総裁が国会で「これだけ大量の流動性を供給しているということは、いずれ何らかを契機にしてインフレに火がついて燃え広がる、スピードが速く燃え盛るということも起こり得る」(10月9日・参院予算委員会)と発言したことに対し、山口副総裁は「流動性を供給し続けていくといつかはインフレになってしまうという懸念は懸念として、公の場での発言は遠慮された方がいい」と進言。量的緩和政策の経済・物価への刺激効果が不透明な中で、緩和が足りないと受け止められる可能性があることに懸念を示した。

 須田委員も「緩和が嫌だと言っているように受け取られてしまう。是非そこは控えて頂きたい」と続く。しかし速水総裁は「インフレ経験というのは、ずいぶん戦中・戦後に経験したが、怖いもので1%なんかで止まるものではない」、「あまり時勢に流されないで、よく考えようということを申し上げたいのである」と説明したが、緩和圧力が強まる中で委員の苦悩が垣間見える。

 会合直前の10月16日には、塩川正十郎財務相が会見で、日銀に対して1997年の物価水準を「1つの目標」にするよう要請すると発言していた。


  <外債購入するなら円安局面でも:須田委員>


 11月15、16日の会合では、外債購入について活発な議論が交わされた。「外債を購入するというのを資金供給手段として行う場合は、長期国債とか社債とか株式などと比較してメリットがある。国債と違って、財政規律をめぐる市場参加者の懸念を刺激する恐れがない、株式や社債などを購入する場合と比較して中立性を確保しやすい」(須田委員)など肯定的な意見が出る一方、速水優総裁が「財務省、それからFRBとの十分な交渉を経ることも必要」「無理をすることは必ずしも必要ない」と慎重姿勢を示す。

 なお須田委員は「為替レートが想定以上に円安方向に進む場合であっても、淡々と外債を購入し続けるという覚悟が必要」とし、「なぜなら、円安が大幅に進行したことを理由として外債購入を停止すれば、日銀は外債の購入が為替レートに影響を及ぼすこと、そしてそれを意図したものであることを自ら認めることになる」と指摘している。


   <GDP0.1%増やすには2.5京円の流動性必要:植田委員>


 また、植田委員は「リザーブ(残高)に対する需要が増えない場合、これ以上流動性を供給することができたとしても、それに意味があると思えない」と述べ、「ここでの流動性の供給は千円札と一万円札の両替に過ぎない、というような極端な言い方もできる」と量的緩和政策への懸念をあらためて強調する。11月29日の会合では、植田委員が量的緩和の効果について試算を披露。普通預金金利が0.02%のため、「流動性を1単位増やすと2bpだけ流動性が増えたことにより、メリットがある」と指摘。これを基に「仮にベースマネーを100兆円増やすと流動性が増えるメリットは200億円になる」とし、「GDPを仮に0.1%増やすには、250倍の貨幣供給、すなわち2万5000兆円(2.5京円)の流動性供給が必要」と試算。量的緩和という流動性供給による政策効果について「ここだけをみるとかなり絶望的な状況」と表現している。


   <インパクト期待で15兆円へ、執行部に札割れ不安>


 12月18、19日の会合は、年末にかけて米国の景気底入れ期待が広がる一方、銀行株などが一段と売りこまれ、翌2002年3月の金融危機説が現実味を帯びるなかで迎える。当座預金残高目標を10─15兆円程度に拡大するとともに、長期国債買い入れオペを月6000億円から同8000億円に増額。コマーシャルペーパー(CP)や資産担保債券(ABS)の一層の活用など流動性供給策の大幅な拡充を決定した。

 12月に入り塩川財務相が閣議後会見で、条件付きの外債購入を認めると受け取れる発言や当座預金残高が「年末に向けてもっと出るだろう」とコメントするなど、追加緩和圧力・・・




公開された日銀の議事録はこちらから

http://www.boj.or.jp/mopo/mpmsche_minu/record_2001/gjrk.htm/