事故調中間報告~菅元総理はなぜ官邸に二重構造をつくったのか? | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

事故調中間報告~菅元総理はなぜ官邸に二重構造をつくったのか?

秘書です。

3月12日の総理執務室にいた武黒一郎東電フェローは、東電OBであって東電の正式な責任者ではありません。東電の正式な情報ルートは地下の危機管理センターでした。菅元首相は、なぜ東電の公式な責任者ではない武黒氏を東電と責任者と呼び、二重構造をつくったのか?ここが問題の核心の一つです。


【放射能漏れ】海水注入で吉田氏が独断  
2011.12.27 00:03 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111227/dst11122700060000-n1.htm

 事故調査・検証委員会の中間報告では、東京電力福島第1原発事故での原子炉への海水注入をめぐる生々しいやりとりが明らかになった。菅直人首相(当時)が事故対応への介入を続け、混乱を助長したことがまたも裏付けられた。

 中間報告によると、1号機の危機的状況が続く3月12日夕、菅氏は首相執務室で班目春樹原子力安全委員会委員長、武黒一郎東電フェローらと協議。午後7時すぎ、武黒氏が第1原発の吉田昌郎所長に電話で海水注入の準備状況を聞いた。

 吉田氏が「もう始めている」と答えると武黒氏は「今官邸で検討中だから待ってほしい」と要請。吉田氏は「自分の責任で続けるしかない」と考え、作業責任者にテレビ会議のマイクに入らないような小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に止めるな」と話し、大声で注入中断を指示したという。

 12日朝の菅氏の原発視察の際も吉田氏は「応対に多くの幹部を割く余裕はない」と困惑。14日夜には吉田氏は自らの死も覚悟し、必要な要員以外は退避させようと判断、総務班に退避用バスの手配を指示した。菅氏が15日朝、「撤退したら百パーセント潰れる」と東電本店に怒鳴りこんだのは、この指示を勘違いした公算が大きい。

 菅氏は官邸5階に閣僚を集める一方、地下の危機管理センターに各省庁局長級の緊急参集チームを設置。指揮系統が二重になった上情報集約もできず、放射性物質拡散予測システム「SPEEDI」の活用にも支障が出ていた。



東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告書
2011年 12月 26日 21:04 WSJ
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_366026


(参考)菅首相の国会発言

両院 - 国家基本政策委員会合同審査会 平成23年06月01日

○内閣総理大臣(菅直人君) この原子力事故のことについて、平成十一年に生まれたこの新しい法律制度、まさに原子力災害が、その法律によって初めて緊急事態という宣言をいたしまして、その日から、私が東電を含む電力事業に対して指示をするという立場になりました。
 しかし、当然のことでありますけれども、最初の段階から、東電の責任ある人にも来てもらい、そして原子力安全・保安院の責任者にも来てもらい、そして原子力安全委員会の委員長を初めそういう方にも来てもらい、官邸の中で、来た情報を分析して、そういう助言をいただいた中で、本部長として判断しなければいけない、そういうことについてはきちんと判断をしてきたわけでありまして、いろいろ谷垣さんも何かの本を読まれたところの受け売りかもしれませんが、決して私は、そういったことを思いつきや自分だけの考え方で処理することがいかに危険かということは、だれよりも私は知っているつもりであります。


衆 - 東日本大震災復興特別委員会 平成23年05月31日

○菅内閣総理大臣 まず、中川先生、この事故が最初に起きたときの十五条事象というのは、非常用炉心冷却装置注水不能ということが起きたことの通知から、あの十五条の発令になったわけです。
 その時点で何を考えたかといえば、もちろんいろいろな方に集まってもらいましたけれども、とにかく冷却をしなければいけない、しかし、残念ながら、いわゆる本来の海水を使った冷却機能は停止しておりますから、炉心に注水をして冷却をするしかほかに手がないということで、それは、東電も保安院も安全委員会も、そしてその話を聞いた私や海江田大臣も、ずっと一貫してそのことは考え続けて、また、聞かれたときには常にそういう指示をする、あるいは、そういうことを当然やるべきだということを言い続けてまいりました。それは、どなたもそうです。
 ですから、まず、大きい流れとして、私が注水をやめていいとかやめろと言うようなことは、一貫してあり得ないんです。だって、今日まで、現時点だってずっと注水しているんですよ。注水が最も重要だということは、もちろんそこに集まった専門家の皆さんの意見も一致していたんです。
 そして、先ほど、いろいろな時点がありますから、私のところだけに絞って申し上げますと、まず、真水の注水があったわけです。真水がどこかで切れた後は海水にするしかないという認識も、関係者では一致しておりました。海水の注入ということについて、先ほど官房長官からもありましたが、十八時ごろ、そういう議論をしようとしたときに、武黒さんという方、東電が官邸に派遣されていたんですから、あと二人ほど若い人がついていましたが、その方が、海水の注水準備には一時間半程度はかかるという話もありました。そこで、いろいろな可能性を考えなきゃいけませんから、再臨界のことも、どうですかというお尋ねをしました。
 また、海水の場合は、入れた後、水は蒸発しますから、塩が残るんです。その塩による影響もいろいろ専門家の中では心配されているんです。ですから、なるべく早く海水からまた真水に戻さなきゃいけないということで、実際、今は真水に戻っています。つまりは、海水をずっと注入し続けていって、温度が上がってどんどん蒸発しますから、塩がどんどんできるんです。塩による腐食の可能性とかそういう問題もあるんです。
 また、中川さんは、もうあの時点ではメルトダウンしていたんだからという言われ方をしましたけれども、少なくとも、保安院の五月に至るまでの見方は、まだ水の中にかなりつかっているという見方をしていた。あるいは、東電も、水位計が事実上機能していなかったんでしょうけれども、少なくとも……(中川(秀)委員「長過ぎるよ、答弁が」と呼ぶ)いや、ちゃんと聞いてください、ちゃんと。
 ですから、そういう意味で、海水を注入したときのいろいろな可能性の問題を検討するのは当然じゃないですか。水素爆発の可能性、水蒸気爆発の可能性、再臨界の可能性、そして、塩が入ることによるいろいろな影響。そして、その間、時間が一時間半程度あると言われたので、そこにおられた専門家の皆さんに、では、そこも含めて検討をしてみてくださいと。しかし、基本的に、海水注入とかということはやるべきだということは当然言っていましたから、そのことが十八時の時点で、私としては、海水注入はやるべきだけれども、それに伴っていろいろなことがあるとしたら、そのことはちゃんと専門家の中で検討してください、そういう趣旨で一貫して申し上げたわけでありまして、何か私が政治的な別の意図を持ってそういうことをやったとか、そういうことは全くありません。
 それから、何度も申し上げますように、私が海水注入をとめたなんということがありようがないわけですよ。今も中川さん御自身が認められたように、私のところには海水注入を始めているということは、十九時四分から始まっているんですから、当然十八時の時点では始まってもいませんし、また、始まった時点でも私のところには届いていませんから、私はずっと、その後に報告が来た段階から始まったものだと思っていましたけれども、現実にはそれより前から始まっていて、先ほどもほかの委員の方が言われましたが、そのことは結果としては現場の責任者として正しい判断をされた、私はこう思っています。

衆 - 東日本大震災復興特別委員会 平成23年05月23日

○菅内閣総理大臣 ・・・御承知のように、地震発生の十一日において、緊急災害対策本部を立ち上げ、同時に、原子力事故が発生をいたしました中で、原子力災害対策本部、これは特措法に基づく、法律で規定した本部を立ち上げました。それ以来、私は官邸に、翌朝現地を見る以外はほぼ数日間ずっと、二十四時間官邸におりました。
 その中で、もちろん地震、津波の対策についての協議も継続的にいたしておりましたけれども、原子力事故についての協議も継続的にいたしておりました。それは、対策本部として、全閣僚が集まる会議は会議として行っておりましたけれども、この問題では、東電の官邸に詰めていただいた責任者、そして安全・保安院のメンバー、そして原子力安全委員会の委員長を初め委員の皆さん、そして私、あるいは海江田大臣、あるいは補佐官、そういったメンバーが相当、多少断続はありますけれども、一つの部屋に会して、東電から入るいろいろな状況を踏まえて、どのように対応すべきか、そういうことを継続して相談し、そして必要な指示を出していた、こういうことであります。


衆 - 予算委員会 平成23年05月16日

○菅内閣総理大臣 私は、最初に、すべての電源が落ちて冷却機能が停止したということの報告を聞いたときから、これは大変な事故だという認識は強く持っておりました。そういう中で、先ほど来申し上げていますように、通常、格納容器はたしか三気圧とか五気圧で運転されているのが、それの通常よりかなり高くなっておりましたので、まさにベントが必要だという認識でも報告を受けて一致をしておりましたので、そのことも指示をいたしておりました。
 しかし、官邸に関係者はいるんですけれども、それがなかなか、東電の本店ないし現場との関係でコミュニケーションが、やるやると言ってなかなか実際に行われないということも含めて、私としては、これは両方の考え方があると思います、陣頭指揮という言葉もありますけれども、陣頭指揮をとるにはやはり現地の関係者ときちんと会うことが重要だ、このように私は考えました。同時に、いわゆる津波の被災の状況も、上空からそちらは見たいと思いまして、その二つの目的でもって、私の判断で行ったわけであります。
 いろいろな見方はあると思いますが、私はその現地で、現地の責任者とそれから第一サイトの所長とお会いをして、私の方からもベントについてやるようにということを改めて指示をし、そして、そこできちんと話ができたことが、その後の対応にとって極めて有意義であったと今でも考えております。


衆 - 本会議 平成23年04月28日

御承知のように、今回のような大きな事故は、まさに日本の歴史でも初めてでありまして、平成十一年につくられました原子力災害対策特別措置法の十五条の適用によって原子力緊急事態を宣言いたしまして、その法律に基づいて原子力災害対策本部を立ち上げ、私が、法律の規定に基づいて本部長となりました。そういう意味で、言うまでもなく、この福島原子力事故の収束に向けた最大の責任者は私自身だということは、十分に自覚をいたしております。
 事故発生当初から、東電、安全・保安院あるいは原子力安全委員会の関係者を官邸の危機管理センターに集めて対応をしてきたところであります。一刻も早く事態を収束させ、廃炉も含めて処理に万全を期すと同時に、東電福島原発事故調査委員会といったものもそう時間を置かないでつくって、しっかりと、こうしたことが二度と起こらないよう検証を行ってまいりたいと考えております。

参 - 予算委員会 平成23年03月29日
○内閣総理大臣(菅直人君) 先ほども申し上げましたが、私は、この原子力事故の報告を聞いたときに、大変重大な状況である、あるいは状況になり得るという認識をまずいたしました。
 そこで、先ほど来、海江田大臣からもお話がありますように、東電関係者あるいは保安院あるいは原子力安全委員会、そういう責任者にお集まりをいただいて、官邸の中で協議をしながら指示をそれぞれの立場で出しておりました。