日銀法改正論へ←2000、2006、2007年の経験 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

日銀法改正論へ←2000、2006、2007年の経験

秘書です。

日銀総裁はいいました。

「円高に関連して、現在、特に問題となっているのは、これにより企業の海外生産シフトが加速し、国内産業が空洞化する可能性です。日本企業による海外生産の増加という流れ自体は、基本的には、世界の成長センターが新興国に移っているという大きな構造変化のもとで、企業の成長戦略の一環として、需要の拡大している市場の近くに生産拠点を設ける動きであると理解しています。ただ、そのペースはその時々の為替相場の動向にも左右されます。」

「皆さまもご記憶のように、2000 年代半ば過ぎにかけて大きく円安に振れ、国内生産の採算が一時的に大幅に好転した局面では、海外シフトの動きが一服して生産の国内回帰がみられました。しかし、リーマン・ショックの余波や欧州ソブリン問題が長引く中で、それらが表面化する前に比べて円高な水準が定着するにつれ、もともとグローバル市場の拡大に合わせて進められてきていた海外生産シフトへと、企業の戦略が再び戻りつつあります。従って、この戦略過渡期においては、海外生産シフトは傾向として過去の平均的なペースに比べて速まることになります。その際、海外生産シフトがあまりに急速に進展すれば、国内で新たな雇用吸収の場を生み出すペースが追いつかなくなる可能性がありますし、長い目でみて競争力がある中核的な企業や工場までもが海外シフトしてしまった場合、あとで円高が是正されてもその国内復帰は難しくなります。これらのリスクを含めて、最近の円高が日本経済に与える影響については十分注意する必要があると考えています。」
(日本経済:現状、見通し、課題── 名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶 ──白川方明日本銀行総裁 2011年11月28日)
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2011/data/ko111128b1.pdf

つまり、悪いのは今の円高ではなくて、2000年代の円安に振れたこと(経済界、労働界のみなさん、この歴史観を共有されますか。異常なのは今の円高ですか、小泉政権期のいまより円安だった相場ですか?)。そのとき、なんで円安にふれたのか。下記の高橋洋一さんに2人の人物名が出てきます。

歴代首相が日銀批判!法改正で日銀に関与せよ
2011.12.01 ZAKZAK 高橋洋一さん
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20111201/plt1112010809000-n1.htm

 日銀法改正を目指す超党派議員らによるシンポジウムが24日午後、衆院第一議員会館で開かれた。当初は午後1時から、鳩山由紀夫元首相(民主党)、安倍晋三元首相(自民党)、渡辺喜美みんなの党代表という豪華メンバーがスピーチする予定であったが、復興増税の衆議院本会議とぶつかったために、鳩山元首相と渡辺代表が2時過ぎから、安倍元首相は4時頃にスピーチした。

 鳩山元首相は「欧州金融危機の余波が米国や中国、日本に及べば、更なる円高・デフレが加速する可能性がある」とし、財務省について「デフレが続けば有利と思っている気配がある」と指摘し増税路線を進める同省を批判した。

 また、面白かったのは首相時代のエピソードを披露したことだ。白川方明(まさあき)日銀総裁に対してデフレ脱却のためインフレ目標(ターゲット)導入を求めたが「首を縦に振ってもらえなかった」と語った。その時、国家戦略大臣もいたことも明らかにし、「誰とかは言わないが」と暗に菅直人元首相を批判しているようにもみえた。

 今後のインフレ目標導入に期待し「日銀法改正もぜひ議論して欲しい」と強調した。この話は民主党内でも初めて聞いたという人が多かった。

 安倍元首相は「『物価の安定』にプラスして、日銀の使命に『雇用の最大化』を入れるべきだ」と主張した。さら
に、首相時代に、為替を円安に持っていき、財政のプライマリーバランスの黒字化まで一歩手前までいったと述べ、今の野田政権のように円高を放置していることを批判した。

 渡辺代表は、国会の同意を得て総裁ら日銀首脳を解任できる権限を内閣と財務相に与えるために、日銀法を改正するべきだとし、みんなの党はこれまで何度も日銀法改正案を出していると訴えた。

 中川秀直元自民党幹事長もシンポジウムに来て、日銀法改正の賛否で「議員仕分け」をするように、シンポ参加者に提唱していた。

 私の小泉・安倍政権での経験から、竹中平蔵元経済財政相中川元自民党幹事長のようにマクロ経済を理解した実力者が政権にいれば、十分でないが、日銀にモノをいえて過度な円高は阻止できるだろう。


 しかし、現政権のようにマクロ経済の素人ばかりでは、日銀にいいようにやられてしまう。その証拠が今の円高だ。その場合、世界標準の中央銀行法が必要だ。少なくとも、中央銀行の目標について政府が指示したり関与したりするのが世界の常識で、それがインフレ目標である。

 しかし、これを実現するためには、今の日銀法はあまりに出来が悪すぎる。日銀法改正は大蔵省スキャンダルから世間の目をそらすためにその場しのぎで行われたからだ。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

→当時、がんばりました。しかし、限界はありました。日銀法改正しなければだめです。

→竹中さんは担当大臣として日銀政策決定会合に出たくても、国会で質問要請があるときは出席できませんでした。(だいたい、担当委員会の定例日と重なってましたからね。ですから、一般論として、委員会に日銀シンパがいて、政策決定会合の日に答弁要求すれば出席を阻止できるわけですね。これはあくまで一般論です)


→2005年秋、竹中さんが経済財政政策担当大臣から外れて、親日銀派が後任大臣に就任してから、日銀の政策転換がはじまります。もはや最後の砦は、中川秀直自民党政務調査会長(後に幹事長)のみ。党から発信する以外に打つ手がない。当時はメディアは日銀サイドについて、政治介入といってかなり批判されました。しかし、日本経済のために正論を貫きました。それでも、2007年に幹事長になってまで金融政策にコメントすることにはさすがに限界。金融政策を政党の幹事長が影響力を行使しているというのはあまりにも異常(社会主義国家みたいですから!)。そこで最後の日銀の誤りのダメ押しを阻止できなかった。日本経済に深刻な影響があることは明らかだったが、これ以上、党の立場では阻止することは日本の国際的なイメージの観点からも限界だった(党が金融政策を決めている、というイメージの問題)。この結果、日銀の誤った政策の勝利でした。

→なぜそこまで中川秀直がこだわったかといえば、2000年の日銀の政策転換の誤りのとき、官房長官として反対したにもかかららず、日銀の政策転換して、景気悪化が加速したことにあります。日銀とそのシンパはいまだに、2000、2006、2007年の政策の誤りを認めていません。

→2000年、2006年、2007年と、日銀が誤った政策転換をしたときに、中川秀直はこの誤りを阻止できなかった。その反省に基づいて、中川秀直は日銀法改正を主張しています。

→なぜ、2008年秋のリーマンショックの前の2008年2月から日本の景気は下り坂になったのか。日銀の2006、2007年の政策転換の誤りでしょう。


→2000、2006、2007年の政策転換の誤りで、どれだけの青年の正規雇用が奪われ、中高年が生活保護を受けざるをえなくなったのでしょう?いままではすべて新自由主義が悪いといっていましたが、民主党になっても良くならないじゃないですか。自民党政権と民主党政権で一貫している政策は何でしょう。日銀のデフレターゲッティングポリシーじゃないですか?