日曜夜の鉄道ニュース | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

日曜夜の鉄道ニュース

全国200万の鉄道ファンのみなさま、こんばんは。
志士の目鉄道研究会です。


→まずは、続々と復旧する東北の臨海鉄道のニュースから。

仙台臨海鉄道、一部再開へ-JR貨物、震災復旧加速
掲載日 2011年11月11日 日刊工業新聞
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1120111111ceag.html?news-t1111
 JR貨物グループで東日本大震災の影響で運休している仙台臨海鉄道(仙台市宮城野区)は、25日に一部区間の運転を開始する。また6月から一部運転を再開していた福島臨海鉄道(福島県いわき市)についても、早ければ2012年2月に全線開通する見込みだ。
 仙台臨海の再開区間は仙台西港駅―陸前山王駅間のコンテナ列車。荷主であるキリンビール仙台工場が出荷を本格化するのにあわせて、仙台西港駅から仙台港駅を経由し、製品を陸前山王駅に運ぶ。また、仙台港駅―仙台埠頭駅間も12年3月に復旧の予定だ。ただ仙台港駅でのコンテナの積み降ろしについては、まだ再開のめどが立っていない。
 車扱列車でJX日鉱日石エネルギー仙台精油所の石油を輸送する仙台北港駅―仙台港駅間は、精油所の出荷再開にあわせて運行を戻す考え。列車の運転再開は12年度になりそうだ。

仙台臨海鉄道 仙台西港-陸前山王間、25日運転再開へ
2011年11月09日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111109t11005.htm
 東日本大震災による被災で運休が続く仙台臨海鉄道(仙台市宮城野区)は25日、一部区間で貨物列車の運転を再開する。機関車が津波で流失するなどの被害を受けたため、同業者から車両の融通を受けた。全線(9.5キロ)の復旧は来年度前半になる見通し。
 運行再開するのは仙台港駅を経由する仙台西港―陸前山王(多賀城市)の6.7キロ。今月に入って既に出荷を再開したキリンビール仙台工場の製造品を輸送する。仙台港―仙台埠頭(ふとう)の1.6キロは来年3月に再開予定。残る仙台北港駅までの1.2キロは、立地企業の再稼働に合わせて復旧作業を進める方針。
 8日には秋田臨海鉄道(秋田市)から借り受けたディーゼル機関車の引き渡し式が陸前山王駅で行われた。式典のあいさつで、仙台臨海の横田重雄社長は「鉄道輸送業者の絆を実感した。一日も早く復旧することが恩返しになる」と話した。
 仙台臨海は所有していた機関車3両のうち2両が流失。12月には関東の鉄道業者から中古の1両を購入し、輸送体制を震災前の状態に戻す。

→機関車は、秋田臨海鉄道からの借り受けです。鉄道輸送業者の絆に感動です。

仙台臨海鉄道に機関車 8年貸与へ出発式 秋田臨海鉄道
2011年11月07日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111107t45003.htm

 秋田市の秋田臨海鉄道が、東日本大震災で津波被害に遭った仙台臨海鉄道にディーゼル機関車を貸し出すことになり、6日、秋田港駅で出発式を開いた。貸出期間は8年間の予定。
 社員ら約40人が参加。秋田臨海鉄道の真貝康一社長が「復興に向けて良いことができ、感慨無量。無事に着くことを祈りつつ送り出したい」と話した。テープカットで祝った後、汽笛を鳴らしながら出発した機関車を拍手で見送った。
 仙台臨海鉄道は、所有していたディーゼル機関車3両のうち、2両を失った。秋田臨海鉄道は4月、3両のうち予備の1両の貸し出しを決めた。仙台臨海鉄道が今月下旬、運転を再開するのに合わせた。
 機関車はJR奥羽線、東北線などを経由して宮城に入る。8日に宮城県多賀城市の陸前山王駅に到着し、引き渡し式が行われる予定。

→貸し出される移動はどんなだったのでしょう?

秋田臨海鉄道から仙台臨海鉄道へディーゼル機関車を貸し出し(その3)
http://www.youtube.com/watch?v=0c4GrWYwGDM&feature=related

秋田臨海鉄道から仙台臨海鉄道へディーゼル機関車を貸し出し(その2)
http://www.youtube.com/watch?v=zfvrdOyFvvA&feature=related
仙台臨海の唯一の生き残りの青い機関車が「祝・復興」のマークをつけて、秋田臨海からやってきた新しい仲間の機関車を誇らしげに迎えに行きます!

秋田臨海鉄道から仙台臨海鉄道へディーゼル機関車を貸し出し(その1)
http://www.youtube.com/watch?v=aQLNQ4KUbEg
秋田臨海のディーゼル機関車をけん引する2両のJRの電気機関車には、下記のマークがついています。感動的です。
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大船渡 石灰石運ぶ鉄道が再開
11月7日 14時37分 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111107/t10013783441000.html

津波の被害で運転をやめていた岩手県大船渡市のセメント工場まで原料の石灰石を運ぶ鉄道が、およそ8か月ぶりに運転を再開しました。

この鉄道は、民間のセメント会社「太平洋セメント」の大船渡市にあるセメント工場まで、11キロ離れた鉱山から原料になる石灰石を運ぶ「岩手開発鉄道」です。ことし3月の津波で被害を受けたセメント工場が、今月4日に再開したのに合わせて、鉄道の運転も再開されることになり、7日、鉄道を運営する会社のある駅でセレモニーが行われました。セレモニーには、会社の社長などが出席し、テープにはさみを入れて再開を祝い、機関車は「出発進行」の合図に合わせて、鉱山に向けて走り出しました。機関車は1回の輸送で630トンの石灰石を運び、セメント工場の稼働状況に合わせて、最大で一日に13往復するということです。岩手開発鉄道の須藤薫社長は「復興のシンボルとして機関車を走らせることができて、喜んでいます。8か月じっと耐えてきて、希望の光が見えました」と話していました。

【大船渡】岩手開発鉄道が運転再開 1番列車が出発
(2011.11.8)岩手日報
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201111/h1111082.html

 大船渡市赤崎町の太平洋セメント大船渡工場(安藤国弘工場長)に石灰石を運ぶ貨物専用鉄道、岩手開発鉄道(須藤薫社長)は7日、運転を再開した。東日本大震災を受けて運休していた。同市盛町の盛駅で出発式が行われ、復興への決意を乗せた「1番列車」が走りだした。

 須藤社長が「震災から8カ月、待ちに待った列車が走ることになった。社員全員にとって無上の喜び」とあいさつし、関係者がテープカットで祝った。午前8時半「出発進行」の合図とともに列車が走りだし、石灰石を積み込むために始発駅の岩手石橋駅(同市日頃市町)に向かった。

 同鉄道は、総延長11・5キロのうち約2キロが津波被害を受け敷石が流失するなどした。セメント工場再開の方針を受け、社員総出で線路や同工場の復旧作業に当たった。

 震災以前は13往復していたが、同日は7往復。セメントの出荷が再開する12月から本格的に運行する。当面は社員手作りのヘッドマークや、支援への感謝と復興の決意を込めたメッセージを車体に掲げて走る。

岩手開発鉄道、8か月ぶり運転再開
http://www.youtube.com/watch?v=7wl6NI9ACyU
生産が再開し鉄道で大量輸送される雄姿は復興のシンボルです。

紀勢線 豪雨で足止めの特急を回送
11月13日 9時1分 NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111113/t10013925683000.html
台風12号の豪雨の影響で動けない状態が続いていたJR紀勢線の特急電車が、12日夜、機関車にけん引されて和歌山県の新宮駅から回送されました。

台風12号による豪雨の際、JR紀勢線の新宮駅には3本の特急電車が停車していましたが、那智勝浦町で鉄橋が流されたため大阪方面に戻れなくなりました。さらに、反対の三重県側の区間は電化されていないため入ることができず、駅から動けない状態が2か月余り続いていました。このためJR西日本は、ほかの鉄道各社の協力を得て、特急電車を貨物用の機関車でけん引し、三重県や愛知県内で第三セクターの鉄道会社の線路を通るという珍しい方法で京都府内の車庫まで回送することになりました。12日夜は8時前に特急電車1本が鉄道ファンに見守られながら新宮駅を後にしました。JR西日本は、残る2本の特急も順次回送して点検したうえで運行に投入し、現在2往復にとどまっている紀伊勝浦までの特急を今月19日以降、増やすことにしています。JR西日本和歌山支社の今井克己支社長は「特急を増やすことで、南紀地方に観光客が戻って復興につながってほしい」と話していました。

台風で足止めの特急、ディーゼル機関車が救出
2011年11月12日23時38分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1112/OSK201111120144.html
 台風12号の豪雨で線路が寸断され、JR新宮駅(和歌山県新宮市)に約2カ月足止めされていた特急電車「オーシャンアロー」が12日、ディーゼル機関車に引かれて非電化区間を走り、名古屋経由で京都の車庫に向かった。JRなど鉄道各社による「救出劇」を見ようと、駅や沿線には多くの鉄道ファンが詰めかけた。

 9月初めの台風12号で、新宮駅の南約11キロの那智川橋梁(きょうりょう)が台風で流失し、京都・大阪と南紀を結ぶ特急「オーシャンアロー」1本と「スーパーくろしお」2本が新宮駅に留め置かれていた。JR西日本は名古屋経由の東回りで京都の車庫に回送することを決定。新宮以北の約190キロは非電化区間で自走できないため、JR貨物から機関車を用立てた。

 この日午後7時56分、「オーシャンアロー」は新宮駅を出発。第三セクター「伊勢鉄道」「名古屋臨海高速鉄道あおなみ線」も通って京都に向かう。残る2本の特急電車も順次回送する。

→動画でみるとどんな感じでしょう?

特急「オーシャンアロー」車両、JR貨物機関車に牽引され回送
http://www.youtube.com/watch?v=dgilv6wTskc

機関車と特急の間の青い車両はクモヤ145型

クモヤ145型3両 新宮駅留置特急車救出送り込み甲種輸送@桂川(11/9)
http://www.youtube.com/watch?v=h5nyB-yeNls&feature=related

特急救出にJR各社が協力 新宮→名古屋→京都…約385キロ 紀勢線不通のため
2011.11.11 08:41 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/111111/wlf11111108430004-n1.htm

→移動といえば、銚子電鉄の車両も移動です。

銚電車両が“空中移動” いすみの民間施設で活躍 「役立ってくれるなら」と無償譲渡
2011年11月09日 11:29 千葉日報
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/64490

 銚子市の銚子電鉄笠上黒生駅で8日、引退した車両をトレーラー車で運搬する作業が行われ、20トン以上する車体がクレーン車2台につり上げられ“空中移動”して積み込まれた。

 車両はいずれも戦前に製造された「デハ701」と「デハ702」。1978年に近江鉄道(滋賀)から譲り受け、昨年運行を終えた後は同駅留置線に置かれていた。「デハ702」はオークションに掛けられたこともあったが、買い手が付かなかった。

 車両は展示用に整備することも検討されたが、いすみ鉄道などから古い車両を購入して改造し農畜産物や工芸品の販売所にしている民間施設「いすみポッポの丘」(いすみ市作田、村石愛二代表)が活用を申し出たため、無償譲渡を決めた。輸送費など約600万円は民間施設が負担した。

いすみポッポの丘
http://keiranbokujo.com/nojo_isumi.html

→現役を引退する車両あれば、新しく生まれる機関車あり。

全輪駆動、強力ブレーキ、ATSも 新造機関車、13年春にも運行 鉄道文化むら
2011年11月12日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20111112/CK2011111202000075.html

 安中市と碓氷峠鉄道文化むらは、機関車の故障のため、現在、リース機関車で短縮運転している同文化むらの「トロッコ列車」の新造機関車の業者選定を終え、新造機関車の概要が決まった。同市では業者と詳細を詰め、金額を決めて月内に契約し、二〇一三年春の運行を目指すという。 (樋口聡)

 新造機関車のデザインは、アプト式のED42形電気機関車がイメージされている。二軸の台車二組の上に車体が乗る「ボギー式ディーゼル機関車」で重量三十五トン。全長一一・三五メートル、全幅二・七一五メートル、高さ三・五〇五メートル。排気量約一万一千cc三四五馬力のディーゼルターボ付エンジンで、四軸八輪すべてを駆動する「双軸ボギー駆動方式」が採用されている。

 同文化むらから旧丸山変電所までは勾配が比較的緩いが、同変電所から峠の湯までは急勾配で強力なブレーキが必要。新造機関車では、常用ブレーキの片押式制輪子、フット式のディスクブレーキと強力なエンジンブレーキで、急勾配の下りも安心だという。

 自動列車停止装置(ATS)を装備し、下り時に時速八キロを超えた時や機関士が一分間操作しない場合、自動にブレーキがかかり停止する。滑り止めの砂撒(ま)き装置もある。

 同市と同文化むらでは車体のカラーリングを、同文化むら入場者に「ぬり絵」方式で提案してもらうことも考えているという。

トロッコ列車ライン
http://www.usuitouge.com/bunkamura/installation/installation9.html#header

渓谷の旅 快適に わ鉄、来春から自走式トロッコ車両導入
2011年11月10日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20111110/CK2011111002000086.html

 わたらせ渓谷鉄道(本社・みどり市)は自走式のトロッコ車両を初めて導入し、来年四月から運行する。運行に合わせ、トロッコ列車を増便する。

 これまでのトロッコ列車は、機関車が客席の車両を引いていた。導入した車両は五十二の客席のほかに運転席を備え、自走できて他の客車も引ける。長さ十八・五メートル、幅三・二メートル、高さ四メートルで、従来の車両よりやや大きい。

 同社のイメージカラーのあかがね色で、天窓を付けた。これまでの客車と同じく窓がない開放的なデザインだが、冬は窓をはめ込めて暖房も完備した。

 運転席の隣には運転士気分が味わえる見本のメーターやハンドルを付けた席を設け、同社のマスコットキャラクター「わ鉄のわっしー」のグッズを販売するサービスカウンターもある。購入費は約一億六千七百万円。樺沢豊社長は「自走式の車両でさらにいろいろな企画ができる」と意気込んでいる。 (中山岳)

→レトロ列車もがんばっています。

18日から沿線で記念行事/琴電開業100周年
2011/11/13 10:02 四国新聞社
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/economy/20111113000065
 高松琴平電気鉄道20+ 件(香川県高松市)は、開業100周年を迎える18日から沿線各地で記念イベントを開く。マスコットキャラクターの結婚式やレトロ電車の運行、写真展などで節目を盛り上げる。

 同社のキャラクターで、恋人同士の設定の「ことちゃん」「ことみちゃん」は18日午前10時から、金刀比羅宮(琴平町)の本宮で結婚式を挙げる。参拝客も見学可能。また、2人をデザインしたICカード「ウエディングIruCa(イルカ)」を同日午後3時から瓦町駅で2千枚限定販売する。価格は1枚2千円。

 19日にはレトロ電車を運行。高松市出身のタレント小泉みゆきさんが一日車掌を務め、午前10時16分瓦町駅発の志度線で琴電屋島駅まで往復した後、午後0時43分瓦町駅発の琴平線琴電琴平駅行きに乗り込む。

 写真展は、18日から12月4日まで同市常磐町1丁目の高松天満屋8階で催す。高松市在住の写真家GABOMIさんが仏生山車両所で働く整備士らをモチーフに撮影した。

 問い合わせは琴電運輸サービス部〈087(863)7300〉。

→廃止しちゃった鉄道は、線路跡を歩こう!

鉄道ファンら琴平急行電鉄跡散策/坂出・宇多津
2011/11/12 09:42 四国新聞社
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/20111112000103

 1930(昭和5)年から44(同19)年まで、坂出~琴平間で運行した琴平急行電鉄跡を歩いて巡るイベントがこのほど、JR坂出駅前を出発点に行われ、参加者は住宅街の一角などに残る路線の面影をたどり、懐かしい時代に思いをはせた。

 香川県坂出市内の魅力再発見に向け、市民有志で結成した「坂出の街を楽しむ会」が企画。コースは、当時の坂出駅(現JR坂出駅南)から津ノ郷駅(宇多津町)までの約3キロで、鉄道20+ 件ファンや郷土史研究家ら約20人が参加した。

 同会メンバーによると、坂出―宇多津間は線路が水田地帯を斜めに横切っていたのが特徴。廃線後はほとんど農地に戻されたが、市内住宅街には、線路跡と推測される斜めに走る住居の境界や道路があるほか、高速バスの坂出インターバスターミナル(宇多津町)東側には、当時の橋台が現存している。

 参加者は、路線が記された古い地図を手にこれらの地点を巡回し、「昔の風景を思い出し、とても楽しかった」などと感激。案内役の一人、観音寺中央高教諭の石川茂行さん(54)は「痕跡は少ないが、これからも手掛かりを探し出し、歴史を後世に伝えたい」と話していた。

→軽便鉄道跡も、歩こう!

駿遠線跡巡る秋の道 掛川で「だいとう軽便ロマンウオーク」
2011年11月13日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20111113/CK2011111302000009.html

 昭和時代に掛川市南部を走った軽便鉄道・駿遠線跡をたどる「第二回だいとう軽便ロマンウオーク」(中日新聞東海本社後援)が12日、同市国安の温泉施設・大東温泉シートピアを発着点に催された。 (佐野太郎)

 前日の雨が上がり、市内外から約200人が参加。牧野勝彦実行委員長の合図で一斉にスタートし、「千浜」「西千浜」「新三俣」「南大坂」「谷口」の各駅跡地で、スタンプを押印しながら、遠州灘沿いなどを巡る14キロ余を、軽便鉄道に思いをはせながら歩いた。

 駿遠線は1948年から70年にかけて、今のJR袋井駅から掛川、御前崎市、榛南地域の海岸部を通って藤枝市に至る約65キロを結ぶ、当時、日本一長い軽便鉄道だった。大東地区の5駅の跡地にある駅名標を巡って地域の魅力を見つけようと、実行委が昨年から始めた。

 牧野委員長は「ゆくゆくは、大須賀地区の風情が残る駅跡地を歩くなど、もっと距離の長いウオークリレーにしたい」と話していた。 

→ありし日の姿です。

静岡鉄道駿遠線。Sizuoka rail road "sun-en" line light railway.
http://www.youtube.com/watch?v=CFq7p4O2-J4

軽便に思いはせロマンウオーク 掛川・大東地区
(11/13 08:33)静岡新聞
http://www.at-s.com/news/detail/100076166.html

 掛川市の旧大東町を通っていた軽便鉄道の軌道跡や駅があった場所を巡る「第2回だいとう軽便ロマンウオーク」(同実行委主催、静岡新聞社・静岡放送後援)が12日、同市国安の大東温泉シートピアを発着点に行われた。
 コースは駅があった5カ所(千浜、西千浜、新三俣、南大坂、谷口)を経由しながら、海岸沿いの歩道や潮騒橋を通る14・5キロ。絶好の天気に恵まれ、参加した170人は山や海などの自然を楽しみながら、鉄道が通っていた当時の様子に思いをはせた。各駅の跡地でスタンプを集めると地場産品などが当たる抽選会も行われた。
 軽便鉄道は線路幅76センチと狭く、建設や維持が安い鉄道として明治時代以降に普及した。駿遠線は藤枝-袋井を走り、全盛期の営業距離64・6キロは当時の軽便鉄道として日本一の長さだったという。

→そして、夕張の車庫はワイナリーに再生。

旧夕張鉄道車庫:解体、炭鉱遺産がワイナリーに 岩見沢に移築・復元 /北海道
毎日新聞 2011年11月13日
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20111113ddlk01040170000c.html

 夕張市と江別市を結んで石炭や乗客を運んでいた旧夕張鉄道の鹿ノ谷機関区車庫が、解体・移築されて岩見沢市でワイン醸造施設として生まれ変わることになった。取り壊しも検討されたが、炭鉱遺産の一つとしてできる限り残そうと、古材活用で実績を持つ三笠市の「武部建設」が移築を請け負った。今月中に解体をほぼ終え、来春から復元を始める予定だ。

 夕張市鹿の谷東丘町の同機関区には昭和初期に建てられたとみられる2棟の車庫があり、夕張鉄道が35年前に廃線になった後は、市が所有して額縁工場として使用していた。しかし市の財政破綻と前後して閉鎖され、解体もされず老朽化が進んでいた。

 車庫は全長43メートル、幅10メートル。土台のコンクリート以外はエゾマツが使用され、三角形を組み合わせた「トラス構造」の屋根が特徴だ。屋根は一部が壊れ、市は取り壊しも検討したが、武部建設が札幌市の設計会社「フーム空間計画工房」とともに、ワイナリーとしての再活用を提案した。武部豊樹社長は「想像以上に状態はよさそうで、大半がそのまま使える」と太鼓判を押す。

 ワイナリーは岩見沢市栗沢町上幌に来年9月ごろ完成の予定。2年前に移住し、現地でブドウを育てている代表の米国人醸造技術者のブルース・ガットラヴさん(49)は「サイズが考えていた規模とぴったり」とオープンを心待ちにしている。【吉田競】

→最後に、稚内のほっこりとしたお話でしめくくりましょう。

【レールヘブン】鉄道とともに生きる稚内の純喫茶★稚内へ(8)
2011.11.13 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111113/dms1111130808000-n1.htm

 特急「サロベツ」を降り、宿へと急ぐ道すがら、暗くなった夜7時の商店街で明かりのともる純喫茶をみつけた。暗がりのなか、白熱灯の光が浮かび上がるような光景に心ひかれた。

 稚内に何日か滞在し明日は帰京という夜、そのお店、「挽香(ばんか)」を訪ねた。こげ茶が基調の店内は1970(昭和45)年のオープン時のまま。手入れが行き届き、古さは感じない。ロマンスグレーの店主は「ここでコーヒーとタバコを楽しむのが家より落ち着くから夜9時まで店を開けています」とニヤッと笑った。

 驚いたのは朝6時という開店時間。オープン時から40年以上、ずっと朝6時開店という。

 「店を始めてまもなく稚内の駅長さんがやってきて『朝6時に店を開けてくれないか』と。6時に到着する夜行列車は若い旅行客をたくさん乗せてくるが、行き場所もなく駅で時間をつぶしている。『開けてくれたら必ず、お客さんに店を紹介するから』と頼まれ、それから続けています」

 やってみたら大当たりで、ぶ厚いトーストの名物モーニングは若い旅行者の間で評判となった。朝6時に稚内へ着く急行「利尻」は特急に格上げされた後、2007年で廃止となったが、モーニングは地元の固定客もあり、現在も続けている。

 翌朝も訪れ、バターがたっぷり塗られたトーストを楽しんだ。後で分かったことだが、うちの両親も急行「利尻」で稚内へ行き、この店でモーニングのサービスを受けたそうだ。時を隔て、最北の純喫茶に親子で足を運んでいたことに不思議な縁を感じた。(久保木善浩)

中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba
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(数年前の早朝の稚内駅)