首相ぶら下がり:「脚本通りうまくやろうとしても、作られた不自然さが国民に見透かされるだけだ」 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

 首相ぶら下がり:「脚本通りうまくやろうとしても、作られた不自然さが国民に見透かされるだけだ」

秘書です。

やはり、小泉首相の劇場型政治についての理解が、民主党は間違えていたようですね。
「作為」「不自然」はすぐに見抜かれるという点。

アドリブ、即興の一言こそ、本音がでてくる。

小泉首相のぶら下がりのワンフレーズは、即興の真剣勝負だったから国民は注目したのでしょう。

「不作為・自然」の小泉さん
「作為・不自然」の民主党


これが長期政権と短命政権の境目?


首相の背後霊と正心誠意
(2011年10月17日 読売新聞)政治部 望月公一氏
http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnpolitics/20111014-OYT8T00783.htm?from=navlc

群馬県内での農業視察後、記者団の取材に応じる野田首相(2011年10月10日撮影) ほぼ1年ごとに替わる日本の政権が欧米のメディアから「メリーゴーラウンド(回転木馬)」とまで言われるようになって久しい。

 先日も米国務省で東アジア・太平洋担当のキャンベル次官補が玄葉外相の訪米招待を発表しようとして、「フォーリン・ミニスター(外相)“ノダ”」と発言し、後で謝罪する一幕があった。知日派のキャンベル氏でさえ、野田首相の名前を混同したわけだが、「あまりにくるくると替わるので・・・」と、名前の言い間違いを認めた米側の釈明に日本側当局者も沈黙するしかなかったという。

 東日本大震災からの復旧・復興などの緊急課題を抱え、野田政権には落ち着いて政策に取り組むことを望む声が高まっている。5年5か月の小泉政権を支えた飯島勲元首相秘書官もその一人だ。「『政策をきちんと遂行してほしい』という国民の祈りにも似た期待に応えて欲しい」と願っているが、最近、首相の「背後霊」が気になり、政権の先行きに強い不安を感じているという。

 首相は首相官邸で立ち止まって記者団の質問に答える「ぶらさがり取材」を拒否しているが、視察先では取材を受けている。背後霊とは、その際に、首相の後ろで首相補佐官や地元議員らの政治家がまるで背後霊のようにカメラに写り込むことを指している。10日の群馬県での農業視察後、農林水産業競争力強化の行動計画策定などを記者団に表明した際も、背後霊たちが並んでいた。

 「国民が背後霊の影響力を想像し、首相は独り立ちできないようで軽く見える。小泉政権では絶対に背後霊など立たせなかった」として、黒子に徹して首相を支えることのできない民主党議員と排除しない首相周辺に憤る。

 野田首相は、小泉首相になってから、首相が午前と夕方の一日2回応じていたぶら下がり取材をやめ、記者会見を時々行う方式に切り替える意向を表明している。首相周辺によると、毎日のぶら下がり取材に応じるのは失言などのリスクが大きいので、きちんと台本を準備できる記者会見で情報発信した方がいいという判断だという。

 しかし、飯島氏はこの方針転換も政権のためにならないと見ている。小泉政権時にも記者会見方式は検討されたが、「脚本通りうまくやろうとしても、作られた不自然さが国民に見透かされるだけだ」として却下した。「首相がすべての事象を把握できるわけはないから、知らないことは正直に担当大臣に任せていると言えばいい」として、「大事なのは首相の素顔、肉声を毎日発信することで、国民との距離をいかに近づけるかだ」と考え、自然体でのぶら下がり取材にこだわった。有名になった2005年の郵政解散時の小泉氏の記者会見も、普段から小泉氏の素顔を発信していたからこそ、首相のかつてない真剣さが特別な記者会見として伝わり、あれほどの効果を生んだと分析している

 首相は所信表明演説で、自らの政治姿勢について、幕末の政治家・勝海舟の「氷川清話」の一節を引用して、「正心誠意」と述べた。元々は中国の古典「大学」にある言葉だが、勝は氷川清話の中で、こうも語っている。

 「外交の極意は、『誠心正意』にあるのだ。胡麻化(ごまか)しなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだヨ」

 首相が意図しているだろう、事前に準備した記者会見での情報発信も、「ごまかし」や「作為」を国民に見透かされれば、期待は失望に変わるだろう。もっと自然体で国民に向き合うことはできないのだろうか

(参考写真)

http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20111014-OYT9I00781.htm

http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20111003-OYT9I00558.htm