やがて死ぬと考えることが自分が何かを失うという考えにとらわれるのを避ける最善の方法(ジョブズ氏) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

やがて死ぬと考えることが自分が何かを失うという考えにとらわれるのを避ける最善の方法(ジョブズ氏)

秘書です。

→ジョブズ氏の下記の言葉は胸にきざんでおきたいですね。今の全ての日本人へのメッセージとして受け止められますね。

自分の命が限られれていることがビジョンを生む原動力になっている
自分が近く死ぬだろうという意識が、人生における大きな選択を促す最も重要な要因となっている。外部のあらゆる見方、あらゆるプライド、あらゆる恐怖や困惑もしくは失敗など、ほとんどすべてのことが死の前では消え失せ、真に大切なものだけが残ることになる。やがて死ぬと考えることが、自分が何かを失うという考えにとらわれるのを避ける最善の方法だ。自分の心に従わない理由はない


再送:UPDATE6: 米アップルのジョブズ前CEOが死去、類まれな才能で業界を革新
2011年 10月 6日 15:19 JST
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPnTK052018720111006
 [サンフランシスコ 5日 ロイター] 米アップルは5日、スティーブ・ジョブズ取締役会会長がこの日死去したと発表した。56歳だった。

 病気療養中だったジョブズ氏は今年8月に、最高経営責任者(CEO)の職をティム・クック氏に委譲していた。

 アップルの取締役会はジョブズ氏の死去について声明を発表し、「スティーブの才能、熱意、エネルギーは、すべての人々の生活を豊かにし、改善するための数限りないイノベーションの源泉となってきた。スティーブのおかけで、世界は計り知れないほど豊かになった」述べ、ジョブズ氏の功績を称えた。

 さらに「彼の最大の愛は奥さんと家族に向けられている。われわれの心は、彼らや、ジョブズ氏の類まれな才能に魅せられたすべての人々とともにある」と述べた。
 

 ジョブズ氏はアップルの共同創設者で長年CEOを務め、「iPod(アイポッド」や「iPhone(アイフォーン)」などを世に送り出してきた。
 また、米企業の経営者として最も偉大な人物と評価されており、アップルをエクソンモービルと並ぶ時価総額ベースで米国最大の企業に押し上げる立役者となった。

 しかし、ジョブズ氏はすい臓がんやそれに伴うさまざまな症状に苦しめられ、彼の健康状態はアップルのファンや投資家、取締役会にとって大きな懸念の的となってきた。

 最近はアップルの取締役会メンバーですら、ジョブズ氏は自分の健康状態について明らかにしてくれないとの不安を周辺に漏らしていた。

 投資家はジョブズ氏が療養中も事実上アップルの経営を担ってきたクックCEOを信頼しているが、ジョブズ氏の死去により、同社がクリエイティブな能力を維持できるかどうか、不安視する見方もある

 ジョブズ氏死去のニュースを受け、さまざまな著名人から追悼の言葉が寄せられている。マイクロソフトのビル・ゲイツ共同創設者は、「ジョブズ氏と一緒に働くことができて非常に光栄だった。スティーブのような多大な影響力を持った人は世界でもまれだ。とても寂しくなる」と述べた。

 オバマ米大統領も声明を発表し、「スティーブは米国最高のイノベーターの1人だった。勇気があり、人と違う考えができた。大胆な人物で、自分が世界を変えられると信じることができた。そして、それを成し遂げる才能があった」と表明。

 「世界はビジョンのある1人の人物を失った。世界中の多くの人がスティーブの発明した機器で彼の死を知ったという事実ほど、スティーブの成功を如実に物語るものはないのではないか」と述べた。

 養父母に育てられたジョブズ氏は、大学を中退し、1970年代終盤に友人のスティーブ・ウォズニアック氏と共に「アップル・コンピューター」社を設立。すぐに「Apple I」コンピューターを発売した。

 アップルを成功に導いたのは「Apple II 」で、同社は萌芽期にあったパソコン業界で急成長。1980年には新規株式公開(IPO)を果たした。

 ジョブス氏はIPOを通じて巨額の富を手にした後も「マッキントッシュ」で大成功を収めたが、やがて自身が創設したアップルの経営陣や取締役会との関係が悪化。権限の大半を奪われ、1985年には解任された。

 アップルの業績はその後下降線をたどったが、ジョブズ氏がアップル退社後に設立した「NeXT」社をアップルが1997年に買収したことを受け、アップルに復帰。ジョブズ氏は同年にアップルの暫定CEOに就任し、2000年には肩書から「暫定」が外され、名実ともにアップルのトップとなった。

 ジョブズ氏は同時に、自ら買収した「Pixar」社を通じてコンピューターアニメーション分野に革命をもたらしたが、現代のテクノロジー世界を劇的に変えたのは2007年に発表した「iPhone」だった。 

 アップルによると、ジョブズ氏はカリフォルニア州パロアルトで、妻や近親者に囲まれて息を引き取った。息を引き取った際の詳細については、それ以上明らかにされていない。

 アップル本社では半旗が掲げられ、従業員がベンチに花束をささげたり、バグパイプを奏でる姿が見られた。
 クックCEOは、ジョブズ氏をしのび、「近いうちに」従業員による追悼式を開く考えを示した。

 ジョブズ氏の資産はネットで70億ドルに上ると推定されているが、資産がどのように取り扱われるかは明らかになっていない。


 「iPhone」がインターネットへのアクセスや利用方法を大きく変える2年前の2005年、ジョブズ氏は、「自分の命が限られれていることがビジョンを生む原動力になっている」と述べていた。

 「自分が近く死ぬだろうという意識が、人生における大きな選択を促す最も重要な要因となっている。外部のあらゆる見方、あらゆるプライド、あらゆる恐怖や困惑もしくは失敗など、ほとんどすべてのことが死の前では消え失せ、真に大切なものだけが残ることになる。やがて死ぬと考えることが、自分が何かを失うという考えにとらわれるのを避ける最善の方法だ。自分の心に従わない理由はない」。


 アップルはホームページにジョブズ氏の白黒写真を全面に掲げ、追悼の意を表している。


→下記の声明の中に、日本人が不得意とされているイノベーションの真髄がありそうです

「スティーブの才能、熱意、エネルギーは、すべての人々の生活を豊かにし、改善するための数限りないイノベーションの源泉となってきた。スティーブのおかけで、世界は計り知れないほど豊かになった」(アップル社取締役会声明)

「スティーブは米国最高のイノベーターの1人だった。勇気があり、人と違う考えができた。大胆な人物で、自分が世界を変えられると信じることができた。そして、それを成し遂げる才能があった」「世界はビジョンのある1人の人物を失った。世界中の多くの人がスティーブの発明した機器で彼の死を知ったという事実ほど、スティーブの成功を如実に物語るものはないのではないか」(オバマ大統領)


米アップルのジョブズ氏、カリスマ経営者が残した言葉
2011年 10月 6日 14:18 JST
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-23512220111006?sp=true
[5日 ロイター] 米アップル(AAPL.O: 株価, 企業情報, レポート)は5日、スティーブ・ジョブズ取締役会会長が同日死去したと発表した。56歳だった。病気療養中だったジョブズ氏は今年8月、最高経営責任者(CEO)の職をティム・クック氏に委譲していた。
 以下は、「カリスマ経営者」と称されたジョブズ氏が残してきた印象的なコメントの抜粋。

 ●死について

 自分がもうすぐ死ぬということを自覚しておくことは、これまで私が出会ってきた中で、人生で大きな決断を下す手助けになる最も重要な道具だ。なぜなら、ほぼすべてのこと、すべての外部からの期待、あらゆるプライド、恥や失敗に対するいかなる恐れも、死の恐怖を前にすれば消え去り、本当に重要なものだけが残るからだ。いつか死ぬということを覚えておくのは、自分が知る限り、何かを失うと考えてしまう落とし穴を避ける最善の方法だ。あなたはすでに裸だ。自分の心に従わない理由はない。

 時間は限られているのだから、ほかの誰かの人生を生きることでそれを無駄にしてはいけない。他人の考えの結果に従って生きるというドグマにはまってはいけない。自分の内なる声を他人の意見でかき消されないようにしよう。(2005年 スタンフォード大学での学位授与式で)

 ●イノベーションについて

 イノベーションは、新しいアイデアについて廊下で立ち話する人や、夜の10時半に電話をかけ合うような人たちから出てくる。誰も見たことがない最高なものを思い付いたと考える誰かが、そのアイデアについて他の人の意見も聞きたいと呼び掛けて集まった6人だけの急なミーティングだったりもする。そして、間違った方向に向いていないか、やり過ぎていないかを確かめるため、1000の項目にノーと言うことから生まれる。(2004年 ビジネスウィーク誌でのインタビュー)

 ●デザインについて

 多くの人のボキャブラリーでは、デザインは化粧板を意味する。それは内装であり、カーテンやソファーの素材だ。しかし私にとっては全く違う。デザインとは、人間が作った創造物の基本となる魂であり、最終的に製品やサービスの連続的な外層で表現されるものだ。(2000年 フォーチュン誌でのインタビュー)
 ●マッキントッシュ誕生について

 何かに根を詰めたことがあるとは思っていないが、マッキントッシュの開発は最も素晴らしい経験だった。関わったほぼすべての人がそう言うだろう。最後には誰1人としてマックを手放したくなかった。一度自分たちの手を離れたら、2度と自分たちのものではなくなると知っていたかのようだった。最後に株主総会で披露したとき、会場の全員が5分間のスタンディングオベーションをしてくれた。自分が感動したのは、マックチームの面々が前列の方にいるのが見えたことだ。本当に完成させたというのを誰1人信じられないようだった。全員が泣き始めた。(1995年 プレイボーイ誌でのインタビュー)