1929年の流行語は 「緊縮」 「大学は出たけれど」でしたが | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

1929年の流行語は 「緊縮」 「大学は出たけれど」でしたが

秘書です。

戦前の円高デフレ路線の浜口雄幸政権のときには、

「金の解禁立て直し、来るか時節が手を取って」

という金解禁節が流行ったそうです。デフレ路線は人気があるんですね。

1929年の流行語 「緊縮」 「大学は出たけれど」

またしても「大学は出たけれど」にならないように、後悔しないように、よく、デフレ増税路線の決定プロセスを確認しておきましょう。


財務省&民主“ペテンタッグ”これが復興増税のカラクリだ!2011.09.26
.連載:2011「日本」の解き方
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110926/plt1109260854002-n1.htm

政府税制調査会は16日午後の会合で、復興増税案をまとめた。

 復興・復旧対策の総事業費は19兆円。2011年度第1次、第2次補正予算で計上した6兆円と税外収入5兆円を差し引いた8兆円に加え、年金財源の2兆5000億円とB型肝炎対策費の一部7000億円の計11兆2000億円を増税により賄う方針。

 これは政府案なので、これから修正が加えられる可能性がある。まず、政府・与党案となって、その後、国会や与野党協議ということで、10月中旬に予定されている臨時国会で第3次補正予算案とともに税制などの関連法案として議論されるだろう。

 政府税制調査会は、従来、財務省の影響の強い組織だ。かつては多くの学識経験者を集め、一人2分程度の意見を述べさせるものの、その後、座長一任ということで、事実上財務省が報告書その他のシナリオを書いていた。

 ただ、政府税制調査会の後に、自民党の税制調査会が有力な族議員によって運営されており、政府税制調査会よりも実権を持っていた。つまり、税制は自民党税制調査会が事実上仕切っていた。

 民主党に政権交代した後は、従来の政府税制調査会は廃止され、与党の税制調査会と一本化し、新たに政治家だけをメンバーとする政府税制調査会が作られた。しかし、野田政権になると、民主党税制調査会が復活し、藤井裕久元財務相が会長に就任した。かつて自民党を批判していたのと同様の「政府」と「党」の税制調査会という二重方式になったわけだ。

 ここで政府税制調査会の運営方法をみてみよう。審議は従来と同様にインターネットで見ることができ、たとえば16日については約1時間の審議内容がわかる。

 政府税制調査会メンバーは政治家ばかりだが、前半は財務省などの役所の作った資料を読み上げるだけで、御用審議会そのもの。審議会委員が学者などの学識経験者から政治家に代わっただけだ。

 ところが、後半に面白い議論がある。松原仁国交副大臣は、「税収弾性値(名目GDPが1%上昇する時に何%税収が伸びるか)は4程度あるがいくらと見込んでいるか」、森ゆうこ文部副大臣は「法人税の影響はどうか」、オブザーバー参加の亀井亜紀子は「日銀引受の政府説明は違う」、などの鋭い質問をしている。

 ただし、これらの質問にはまともに答えず、ガス抜きになっている。かつて政府税調で、わざと意見の異なる委員を2、3人入れて、暴れ馬として扱い、意見を聞き置くだけで、議論を進めた手法である。

 ちなみに、政府資料では、日銀引受について「財政法で禁止」としか書かれていない。民主党が作った今年度予算で日銀引受枠が30兆円あり、そのうち18兆円は未消化であるという事実は書かれていない。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)


→江戸時代から緊縮派が人気あるんですね。

→田沼意次よりも寛政の改革のほうが評価が高いようで。

しかし、寛政の改革の緊縮政策のもとで流行した狂歌に、

「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

たぶん、どじょうも。