菅政権の総括⑦やはり帰宅まで20年超、放射能の考え方そのものが理解できない | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

菅政権の総括⑦やはり帰宅まで20年超、放射能の考え方そのものが理解できない

秘書です。

「長期間にわたり住民の居住が困難になる地域が生じる」

「改めて専門家の話を何度も聞き、いろいろなものを検討しているが、本当に放射能についての考え方そのものが、なかなか理解できない」

「政治家が政治的に判断する前に、専門家のみなさんが国民に分かるような説明をしてもらえないだろうかと何度もお願いしている」

これから辞めるというときになってはじめて、菅首相に「帰宅まで20年」の試算を言い渡される、そのときに、「本当に放射能についての考え方そのものが、なかなか理解できない」といわれる住民の気持ちが理解できないのでしょうか?

そもそも、4月に、菅首相は福島第一原発周辺に「20年住めない」可能性があることは認識していたはず。それを辞める直前になって・・・。


福島原発事故「帰宅まで20年」試算 避難住民怒り、戸惑い
2011年08月28日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110828t61018.htm

 福島第1原発事故による被ばく線量が年間150ミリシーベルトを超える地域では今後20年程度、生活できないとの見通しが27日、政府から示された。福島県や文部科学省の調べで、150ミリシーベルトを超えるのは双葉、大熊、浪江町内の8地点。古里を離れ避難生活を送る住民や原発周辺自治体の首長からは、怒りと戸惑いの声が漏れた。

 大熊町熊川に自宅がある主婦武内めぐみさん(47)は「帰れないのは分かりきっていた。(帰れるかもしれないと)期待を持たせるだけ持たせておいて、今ごろという感じだ」と憤る。
 熊川地区には年間で233.0ミリシーベルトに達する地点がある。「中1の息子と小4の娘を、こんな高線量の地域で育てることはできない。除染も信用できない」と言い切る。
 避難先のいわき市の借り上げ住宅で生活している坂本良子さん(70)は、約40年間198.1ミリシーベルトになると推計された地点のある大熊町下野上で、美容室を営んできた。「もう帰れないとなれば、補償があるかもしれないが、お金の問題ではない」ときっぱり。「何とか除染してもらって、帰りたい」と願う。
 猪苗代町のホテルに避難している無職福田ノリ子さん(65)の自宅は、福島第1原発から約5キロの双葉町長塚。長塚地区には172.4ミリシーベルトと推定される地点がある。
 「そんな大事なことをもっと早く教えてほしかった」。7月9日の一時帰宅では、急場しのぎのわずかな衣類だけ持ち出した。「当分帰れないと分かっていれば、家の権利証や高価なつぼなど、持ち出したい物はたくさんあった」と悔やむ。

◎周辺首長/「除染が先」不快感

 福島第1原発が立地する大熊町の渡辺利綱町長は「除染を全くしていない段階で、政府が『長期間帰れない』と言うのはおかしい。住民の気持ちを逆なでしている」と、不快感をあらわにした。
 大熊町には、年間被ばく線量が500ミリシーベルトを超えると推計される地点も存在するが、6月の町民アンケートでは帰宅願望が強い。戻るまでに待っていられる期間について、「1~2年以内」と答えた住民が42%と、最も多かった。
 同じく第1原発の立地町である双葉町の井戸川克隆町長は「帰る時期の見通しが立たず、苦しんでいる」と率直に話す。富岡町の遠藤勝也町長は「除染のガイドラインを分かりやすく説明してほしい」と注文を付けた。
 双葉、富岡の両町長とも住民帰還のためには、除染だけでなく、ライフラインの調査や復旧も必要だと訴える。
 警戒区域外だが放射線量が高く、全村が計画的避難区域になった飯舘村。菅野典雄村長は「避難が長期化すれば、自分たちで何かやろうとする心がなくなってしまう」と、住民心理に与える悪影響を危惧している。


福島知事「困惑」連発 菅首相との会談
産経新聞 8月27日(土)23時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110827-00000572-san-soci

 「突然の話で困惑している」「困惑しているっちゅうことだよ、突然で」…。福島県を訪れた菅直人首相から、汚染がれきや土壌の中間貯蔵施設の県内設置を示された佐藤雄平知事。会談後、知事は記者団に語気を強め「困惑」を連発した。

 退陣間際の首相による突然の表明に、東京電力福島第1原発がある大熊町の渡辺利綱町長は「まだ立地町に話はない」とした上で「具体的な話があれば、対応を検討しないといけない」と冷静に受け止めた。

 首相と知事との会談で、高放射線量地域は長期間帰宅が困難になる可能性があるとの見解も示された。

 「戻って生活できるようになるまで、ある程度時間はかかると思っていたが…」と双葉町から福島市内のアパートに避難した鈴木美千代さん(38)。「私たちにどうしろというのか。生活の保障はどうなるのか」と憤った。

退陣表明した首相からの「宣告」に怒りの声
読売新聞 8月27日(土)22時11分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110827-00000697-yom-soci
 菅首相は27日、東京電力福島第一原子力発電所事故に関連して、福島県の佐藤雄平知事との会談で「長期間にわたり住民の居住が困難になる地域が生じる」との厳しい見通しを明らかにした。

 退陣を正式に表明した菅首相からの「宣告」に、原発の地元の双葉、大熊町民からは「国は除染の努力もしていない。許せない」などと怒りの声が上がった。

 埼玉県加須市に避難し、26日に双葉町の自宅に原発事故後初めて一時帰宅した女性(36)は27日、首相の表明について「放射線量が高い地区は各地に点在している。何を根拠に『居住が困難になる地域』とするのか、ちゃんと聞きたい」と述べ、不信感をあらわにした。

 同じく26日に避難先の同市から双葉町に一時帰宅した女性(49)は「やっぱりあそこで生活するのは難しいということか。もうここで生活しなくてはいけないという気持ちに傾いている」とあきらめた口調で語った。中学3年の次女(15)は埼玉県内で進学することを決めたという。

 大熊町民からも厳しい声が相次いだ。「東電と国はこれまで『原発は安全だ』と言い続け、我々も協力してきた。それなのに、ばかにしている」。原発から1・5キロの大熊町夫沢で建設会社と農業を営んでいたが、今は会津若松市に妻と避難している男性(58)は憤りを隠さない。


今さら?!…菅首相「放射能、考え方そのものが理解できない」
産経新聞 8月27日(土)21時17分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110827-00000558-san-pol

 菅直人首相は27日、東京電力福島第1原発事故の復興策を地元自治体と協議する福島復興再生協議会に出席し、放射能問題について「改めて専門家の話を何度も聞き、いろいろなものを検討しているが、本当に放射能についての考え方そのものが、なかなか理解できない」と述べた。

 首相は事故発生以降、海江田万里経済産業相と原発の再稼働問題などで意見対立を起こしてきたが、放射能に対する自身の知識が不十分な状況で部下である海江田氏の提案を信用せず拒否してきたことが浮き彫りになった。

 首相は「政治家が政治的に判断する前に、専門家のみなさんが国民に分かるような説明をしてもらえないだろうかと何度もお願いしている」とも語った。


→専門家の意見が統一できていれば、政治判断など必要はないのでは?意見が対立しているから政治決断が求められるのでしょう。判断材料が欠如している中で決断するのが政治。

2002年9月10日、小泉首相はニューヨークの外交問題評議会で講演しまた。この中で小泉首相は「一年数カ月、首相になって分かってきたことがある。専門家の意見を聞けば聞くほど、正反対なものが出て来る」、「最後に決めるのは自分だ」と述べました。この頃、北朝鮮訪問の決断、不良債権処理の決断をしています。

菅さんに対して最後、小泉首相の真似をして脱原発解散することを求めた人がいたようですが、そもそも、菅さんと小泉さんとでは「政治決断」をする上での資質が違っていたようです。

→今年4月、菅首相は「20年住めない」ことについて、その可能性の認識はあった。それを辞める直前になって言うとは・・・・。本当に住民のことを考えていたのか?


松本参与に苦言=民主・岡田氏
(2011/04/14-18:55)時事通信
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011041400734
 民主党の岡田克也幹事長は14日の記者会見で、菅直人首相と松本健一内閣官房参与との会談で福島第1原発周辺に「20年住めない」との会話が交わされたことに関連し「今回の松本参与の発言は、今まさしく苦しんでいる皆さんに動揺を与えかねない発言だ」と述べ、松本氏に苦言を呈した。
 福島県が地元の玄葉光一郎政調会長も党の会合でのあいさつで「とても憤りを感じている。心の痛みが分かる政治をしていかなければならない」と述べた。
 松本氏は当初、「住めない」発言を首相の言葉として紹介したが、その後、同氏自身の発言だったと訂正した。


「地元の苦労分かってない」=首相と面会、批判-福島県川俣町長
(2011/04/14-17:40)時事通信
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011041400665
 菅直人首相は14日午後、首相官邸で福島県川俣町の古川道郎町長らと面会した。この中で、古川町長は、首相が福島第1原発の周辺地域には「20年住めない」と発言したと伝えられたことを取り上げ、「避難というのは大変なことだ。首相自身から『20年は戻れない』なんて、とんでもない」と強く抗議。さらに「話を聞いていると、『現場の苦労がどれほど分かっているのか』とわれわれは見てしまう」と、首相を批判した。
 これに対し、首相は「私は言っていない」と発言を否定。その上で、同町の一部が「計画的避難区域」に該当することから、「国が避難についてはとにかく全責任を持ってやっていく」と強調した。


菅隠蔽ウンザリ…3月末レベル7認識「20年住めない」発言も
2011.04.14zakzak
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110414/plt1104141149001-n1.htm

隠蔽、無責任、非情…。菅首相にはうんざりするばかりだ

 「報告は受けていた」

 枝野幸男官房長官は13日の記者会見で、原子力安全委員会から3月23日時点で、今回の原発事故について「レベル7の可能性がある」と報告を受けていたことを明らかにした。

 米国をはじめとする国際社会が「日本政府と東京電力は原発事故のデータを公開しない」と疑念を深めていたなか、半月以上も事態を放置・隠蔽していたことになる。枝野氏は「不確かなことを政府見解として報告していいかどうかの問題もある」と釈明した。

 第1原発に関しては、気象庁が大震災翌日の3月12日から、放射性物質の拡散予測を連日行い、IAEA(国際原子力機関)に報告しながら、国民に公開していなかったことが発覚している。菅政権には、隠蔽体質が染み付いているのか。

 被災者への気配りも、心配りもゼロだ。

 菅首相は13日午前、官邸で松本健一内閣官房参与と30分ほど会談。その後、松本氏は記者団に囲まれ、「10年住めないのか、20年住めないのかということになってくると、そういう人々を住まわせるようなエコタウンを考えなくてはいけないということを言っていた」と明かしたのだ。

 原発事故では、10数万人が避難生活を余儀なくされ、住居や仕事、将来の不安を抱え続けている。事態収束のメドもなく、被災者に何の説明もないなか、菅首相が「10年ー20年住めない」と語ったとすれば、無責任かつ非情すぎる。時事通信などが、首相発言として報じて大騒ぎになった。

 その後、松本氏が「私の発言だ。菅首相は私と同じように臆測(認識)しているかもしれないが、首相は言っていないということだ」と記者団に釈明した。

 ともかく、菅政権への信頼は日に日に損なわれている。

 菅直人政権が国民や国際社会の信頼を裏切り続けている。福島第1原発事故を3月末には「レベル7」相当と認識していながら、隠したかったのか半月以上も事態を放置していた。また、菅首相が松本健一内閣官房参与と会談した際、第1原発から半径30キロ圏の避難・屋内退避区域について、被災者への説明もなく「10年-20年は住めない」といった会話がされていたという。一体、どうなっているのか。