菅政権の総括⑥先の大戦末期と同様の、末期的症状による国民の犠牲 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

菅政権の総括⑥先の大戦末期と同様の、末期的症状による国民の犠牲

秘書です。

菅政権の総括の中で、最も深刻な問題は、これまでは「自民党が悪い」といっていた問題が、実は自民党の問題ではなかったらしい、ということです。

市民運動上がりを自称する菅さんや、官界・経済界・マスコミ・労働界・NPO出身の若手のベスト・アンド・ブライテストと思われる人々が民主党に結集して政権をとった途端、日本政治の一番悪い「型」(想定内のことにはがんばったという政治、やばいことに気づいても想定外ということにしておいて自分を免責することを最優先する政治)にはまっていく、という問題です。

これはとても深刻なことです。日本のベスト・アンド・ブライテストの質の劣化を意味するからです。


8月27日読売新聞朝刊13面に芥川喜好編集委員が『時の余白に』に「構想なき風土の呪縛」を書いています。この中で、NHKの『原爆投下 活かされなかった極秘情報』のことが書いてあります。



「番組によれば、日本にとって想定外の奇襲と考えられてきた原爆投下をめぐっては、実は諜報部隊が米側の動きを察知していた。軍上層部は危険が迫っていることを知りながら、手を打とうとしなかったーー

正面から状況に向き合って速やかに対応していれば、事態が違っていた可能性もあるということでそう。現実には空襲警報一つ出されぬまま20万をこえる無防備の民が犠牲になった

陸軍特殊情報部が、B29の基地だったテニアン島で「特殊任務機」が動き始めた事実を突き止め追跡していたことは、番組にも登場した元大本営参謀の堀栄三氏(故人)が、かつて自著の中で明らかにしていました。機が8月6日には広島へ、9日には長崎へ向かった事実も、参謀本部は事前につかんでいた。しかし、現地の司令部や戦闘部隊には情報な届かなかったーー

一方で、米側が原爆開発を進めている事実を早くから知りながら、「できるわけがない」と決めつけていた。実験に成功したことに感づいても、誰も認めようとしなかったーー

情報を得ながらそれらを結び付けて全体を構想しようとせず、都合の悪い情報は握りつぶし、あるいは過小評価し、根拠のない希望的観測にすがり続けた結果です


原爆機が長崎に向かっていたころ、皇居ではポツダム宣言受諾をめぐる最高戦争指導会議が開かれていた。自分たちは戦争犯罪人として処罰されるのではないか、という議論もかわされていたといいます。」


原爆投下については、非戦闘員殺傷自体を目的とした国際法に反する戦争犯罪であることを免責すべきではありません。しかし、日本側が、もしも、迎撃体制とととのええていれば、そして、空襲警報を出して、防空壕にはいるなり、できうる限りの疎開をするなりできるかぎりのことをしていれば、助かった命があったのではないか、この点について時の戦争指導部を免責してはいけません。ここをしっかりと総括しないから、3.11以後の民主党政権で同じようなことが再現されたのではないか。

2011年3月15日以後、

・SPEEDIの情報があがっても「パニックを恐れて」公開せず、住民を放射線汚染の被害の中に放置するかもしれないことを選択したこと

・福島の校庭利用について、子供たちの将来の放射能汚染の被害の可能性よりも、大規模な集団疎開による行政負担、財政負担、それほど事態は深刻なのかというイメージからくる政権への打撃を優先したのではないか


・メルトダウンの可能性を認識していたということは、再臨界の可能性は低く、水素爆発でとびちった放射性物質の除去が最優先課題であることを認識していたはず。広範囲で、落ち葉のあるところが放射能のホットスポットであり、その対策を最優先すべきことを理解していたはず。ところが、政権はその問題が顕在化するまで、気づかないふりをしていたのではないか。

・政府与党幹部は、完全防護又は中程度の防護マスクをしておきながら、一時帰宅者は花粉症用のマスクをしていたのはなぜか。やはり、それほど事態は深刻なのかというイメージからくる政権への打撃を優先したのではないか

もしも、戦時中の戦争指導部の中に、目先、国民が重大な被害を受けるリスクがあるにもかかわらず、自らの敗戦後の処分のことを最優先して考えていた人がいたとしたら、2011年3月11日以後の官邸中枢も、同様だったのではないか。つまり、支持率と次の選挙のことを最優先という。

民主党ですら、なのか、民主党だからこそ、なのか、そこは今後検証が必要でしょうが、先の大戦末期と同様、国家の危機管理の最も重要な時期に、



「一方で、米側が原爆開発を進めている事実を早くから知りながら、「できるわけがない」と決めつけていた。実験に成功したことに感づいても、誰も認めようとしなかったーー

情報を得ながらそれらを結び付けて全体を構想しようとせず、都合の悪い情報は握りつぶし、あるいは過小評価し、根拠のない希望的観測にすがり続けた結果です」


ということが繰り返されるのはなぜか?

ここが菅政権総括の最も根幹の部分であり、政権に関与したすべての人が証言すべきところでしょう。
数十年後、飛散した放射線物質をもっと早く除去していれば、もっとはやく集団疎開していれば、こんな人生にはならなかった、という人たちのために、是非、本当のことを証言してください。