高橋財政と馬場財政について30年前に読んだ本にはこう書いてありました | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

高橋財政と馬場財政について30年前に読んだ本にはこう書いてありました

秘書です。

高橋財政と馬場財政について、学生時代に勉強した記憶がありまして、ひっぱりだしてきました大学時代の本。

歴史学研究会編(1972、1980=10刷)『太平洋戦争史 2 日中戦争Ⅰ』(青木書店)

30年前のマルクス主義講座派の歴史学は、高橋財政と馬場財政をどうとらえていたのか?

この本は、現在のデフレ派vsリフレ派論争とは全く関係ない時代の、全く関係ない左派の歴史家グループの見解です。ご参考まで。



「たしかに高橋財政の初期においては、巨額の赤字公債の発行にもかかわらず、公債が順調に消化され、インフレは顕在化しなかった。この時期にはなお生産施設や労働力に大きな余裕があった、通貨が膨張し、巨大な政府発注がおこなわれても、生産がそれに応じうるだけの余力をもっていた。」(同書、p.68.)

「日本資本主義は、1932年下半期から景気回復に転じ、33-35年には他国にさきがけて好況局面を迎えた。しかし、それはあいつぐ赤字公債の発行によって辛うじてささえられたものであり、ともかく公債の消化が順調におこなわれるかぎりで破綻からまぬがれているにすぎなかった。高橋蔵相および大蔵省当局も公債消化の限界を懸念し、赤字公債の発行は33年度をもって限界と考え、以後は公債漸減の方針をうちだした。」(同箇所)

「斉藤内閣退陣・・・とともに高橋は蔵相を辞任したので、1935年度予算は、岡田内閣の藤井真信蔵相が担当した。藤井蔵相は「健全財政」をめざして、軍事費の抑制、臨時利得税の設置等によって、赤字の減少、公債漸減方針を守ろうとした。しかし、軍部の反対にあって軍事費はむしろ増加し、藤井蔵相はわずか半年で退陣を余儀なくされ、軍部との争いに疲れてその生命をおとした。そこで高橋是清が、岡田首相の懇請によってふたたび蔵相に就任し、36年度予算の編成にあたった。」(同書、p.69.)

「高橋は、・・・36年度予算編成には、軍事費を削り、公債発行の増加はできるかぎり避けるという方針をもってのぞんだ。しかし、陸海軍は非常時を理由に猛烈な復活要求を執拗にくりかえした。これにたいして高橋是清は「財政上の信用維持が最大急務である、唯国防のみに専念して悪性インフレを惹起し、その信用を破壊するが如きことあっては国防も決して安固とは云い得ない」と軍部の要求をおさえる旨の発言をし(『東京朝日新聞』35.12.28)、「財政の生命線」を死守する態度を明らかにした。だが、彼の公債漸減方針も軍部の強硬な態度のまえに数度の譲歩をよぎなくされ、結局は1936年の2.26事件によって高橋財政は瓦解し、強力なファシズムと国家独占資本主義にむかって道をひらくことになったのである。」(同箇所)

「2.26事件は軍部の政治にたいする発言権をいちだんとつよめた。事件直後に成立した広田内閣は、蔵相に勧銀総裁の馬場鍈一をむかえて、戦争準備に必要な財政改革にのりだした。組閣の第1日、馬場蔵相は声明を発していわゆる馬場財政の大綱を国民に示したが、その眼目は、国防充実、公債漸減主義の放棄、増税、低金利政策の4つにあった。前蔵相の高橋是清が「財政の生命線を死守しようとして押したてていた公債漸減方針をあっさり放棄し、「国防の充実」のために軍事費の膨張をみとめ、そのための財源を増税と公債増発にもとめ、また公債政策を円滑にするためにいっそう低金利政策を強化しようとしたものであった。「高橋財政」は予算膨張をある程度まで国民経済の能力と妥協させようとしたのにたいして、馬場財政は国民経済のほうを軍事費を中心とする財政需要に追随させようとしたのである。こうしていわゆる「準戦時財政」が発足することとなった。」(同書、p.242.)


→このようにみると、2.26事件後の軍部の威圧のもとの財政政策の転換、馬場財政の登場こそがインフレの出発点というべきではないのでしょうか?

→「財政の生命線」を守ろうとして2.26事件の凶弾に倒れた高橋是清さんに、2.26事件以後の馬場財政以後の責任を負わせるのは、あまりにもむごいことではないでしょうか?

→日銀総裁は「中央銀行による国債の引受けは、初めは問題がなくてもやがて通貨の増発に歯止めが効かなくなり、激しいインフレを起こすことによって国民生活や経済活動を破壊します。人間は誘惑に弱い存在ですが、そうした弱さを自覚するがゆえに、予め中央銀行による国債の引受けを禁止するという強さをもった存在と言えます。」といいますが、人間が誘惑に弱いからではなく、2.26事件で高橋是清が暗殺されたから、財政の生命線が突破されたのではないですか。このような表現は、2.26事件が日本政治に与えた影響を過少評価することにつながりませんか?

→日銀総裁は「高橋蔵相は軍部の予算膨張に歯止めをかけようとして凶弾に倒れ、結局はインフレを招いたわけですが、偶々軍部の予算膨張を抑えられなかったのではなく、市場によるチェックを受けない引受けという行為自体が最終的な予算膨張という帰結をもたらした面もあったのではないかと思っています。」とのべている。では、引き受けではなく、買いオペならばいいのか。是非、欧米の中央銀行の買いオペについてコメントしていただきたい。あれは戦争の原因なのですか?

→ちなみに、馬場蔵相は、政策遂行のため、津島壽一次官を退任させ、軍部と強硬に渡り合ってきた賀屋興宣主計局長を理財局長に、石渡荘太郎主税局長を内閣調査局調査官に、青木一男理財局長を対満事務局次長に異動しました。大蔵省にとっても、大幅人事を伴う政策の大転換だったわけです。







2011-07-22 07:07:50
国債「EU買い上げ」→これは日銀がいうところの禁じ手ではない?
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10961264995.html

2011-07-21 15:04:00
復興債の日銀引き受け論争
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10960535480.html

2011-07-21 07:13:00
高橋是清に暗殺後のことも責任を負わせてまで日銀引き受けを否定する極一部の論調
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10960220111.html