古賀茂明さん×高橋洋一さん:われらは敵だらけの中でいかに戦ったか
秘書です。
―(マイナス)×―(マイナス)=+(プラス)ですが、
政治では、
破壊力×破壊力=創造力
そんな、創造力あふれる対談
古賀茂明×高橋洋一
ついに実現!(二人とも1955年生まれの1980年入省ですね)
【特別対談】古賀茂明vs高橋洋一(前篇)公務員制度改革はかくて骨抜きにされた
われらは敵だらけの中でいかに戦ったか
古賀茂明さん×高橋洋一さん
http://diamond.jp/articles/-/13257
いま日本で、最も有名な公務員と言えば、経産省の古賀茂明氏であろう。その著書『日本中枢の崩壊』(講談社)は、公務員制度改革が官僚たちの抵抗と政治過程の中で、いかに骨抜きになっていったかを描き、36万部の大ベストセラーとなっている。
一方、高橋洋一嘉悦大学教授は元財務官僚で、小泉政権時代には竹中平蔵総務大臣の補佐官を務め、続く安倍、福田政権では公務員制度改革に、内閣の内と外から関わってきた。いわば、公務員制度改革の先達である。こちらも、『さらば財務省』(講談社)、『霞が関をぶっ壊せ』(東洋経済新報社)で、官僚の生態と公務員制度改革の必要性を鋭く説いている。
公務員制度改革の真実を知る二人が、公務員制度改革の必要性、官僚たちの抵抗、政治の実態について、縦横無尽に語り合った。前半は、今回の公務員改革のスタートから、麻生政権下で、国家公務員法改正案が、廃案に追い込まれるまでを語る。
・・・・(以下は、抜粋のみ。全文は原文にアクセスしてください!)
高橋 私は小泉さんの時に、竹中(平蔵総務大臣・当時)さんの補佐官をしていて、2006年9月に小泉政権が終わったときに辞めようと思っていたのですが、後を継いだ安倍(晋三元首相)さんから連絡があって、内閣参事官(総理大臣補佐官補)として官邸に残ることになった。安倍さんはもう最初から、この公務員制度改革を意識していたという非常に変わった人だった(笑)。とにかく国の在り方を変えたいという大きなビジョンを持っている人だったから。
私は安倍政権では、安倍首相、中川秀直自民党政務会長・幹事長のスタッフとして、渡辺大臣就任後は渡辺さんのスタッフとして、公務員制度改革に携わってきました。
・・・
高橋 それでも、いろんなスケジュール戦法とか、本当にひどいことをやられた。反対派の官邸官僚が、安倍さんの海外日程を全部先に押さえるのです。一番ひどかったのは、最初の国家公務員法改正案を出すときのことです。国会の日程が、1日足らなくなってしまい、改正案が廃案になってしまうという話になった。守旧派の官邸官僚が安倍さんの海外スケジュールなどをうまく組みこんで、日程を足りなくするわけ。しかし、安倍さんが最後に、「じゃあ、日程を延長しよう」と。ただ、この法案だけで延長するとは言い出しにくいので、あといくつか体裁が整うように法律を何個かくっつけて、国会を延長して通してしまった。
高橋 そこが財務省からの出向だから、実は財務省なのです(笑)。それから公務員の人事行政全般を担当する人事院にもポスト持っている。さらに給与については、公務員のこのポストは給与がいくらと決めるのは、財務省の給与共済課。それに共済は年金のことだから、公務員の福利厚生なわけです。
普通の会社でいうと人事部の役割が、政府の中だと財務省と総務省と人事院におおよそ分かれているのだけれども、財務省はその三つ全部にポストを持っている。だから、はっきり言えば、実は財務省が公務員制度を運営している。権力が分散しているように見えるけれども、財務省が重要なポストを握って霞が関の人事部として、強い力を持っている。恐らく、財務省はいろんな経路でプレッシャーかけて、公務員制度改革反対の音頭をとっていたでしょ?
古賀 だって私がいなくなったら、改革がめちゃくちゃになってしまいますよね。そもそも渡辺さんは私が事務局の審議官になった数日後(2008年8月初め)に、福田さんの内閣改造によって更迭されてしまい、私としては全く予定が狂ってしまった。
それでも渡辺さんは自民党に残っていたから、自民党のいろんな公務員制度改革関係の会議――平場(ひらば)、要するに一年生議員まで出られる会議に渡辺さんが出てきて、がんがんやってくれる。塩崎さんとか中川(秀直)さんなども、応援してくれる。
私が事務局にいた時は人事院の権限や総務省の組織を査定する権限の両方を、内閣人事局にもってこようという方向で法案をつくったのです。最初、私は事務局に入るのが、他の人よりも少し遅れた。なぜかというと、福田総理が反対しているとか、官邸官僚がいろいろ反対して。
古賀 私が事務局の審議官をやっていた時は、民主党の行政改革調査会の幹部が松井孝治さん、松本剛明さん、馬渕澄夫さんの3人で、私たちは「スリー(3)M」と呼んでいた。彼らが中心になって「裏で自民党が、改革の足を引っ張っているのではないか」などと質問してくれていた。援護射撃ですね。
そういうことで、法案を出すところまではよかったのですが、もうすぐ衆議院選挙だぞとなり、民主党が勝つぞという雰囲気が出てきら、公務員の組合がものすごく反対し始めた。要するに改正法案は人事院の権限を弱くするという話で、かれらは人事院に守ってもらっていますからね。そしたら、松井さん、松本さんが一気にすごく慎重な態度に変わってしまった。馬渕さん一人だけは頑張っていたのだけれど、最後には国会で質問させてもらえなくなった。
古賀 実はそのとき、自民党の林芳正さんと松井さんたちの間で、われわれの公務員法改正案を骨抜きにする修正協議が進んでいたのです。全く裏の協議で表には出ませんでした。林さんも松井さんも見えないところで、われわれの足を引っ張っていたのですね。この裏取引は成立寸前までいったのですが、結局、最後は民主党は修正も放棄して反対することに方針転換してしまいました。
これは恐らく、そのとき民主党の幹事長だった小沢(一郎)さんの考えだと思うのですが、要するに、法案を修正して通したら手柄が自民党と半分ずつになる。それより「自民党だから、こんなにくだらない改正案しか出せないんだ」と言って、思い切り蹴飛ばせと。民主党であれば何でもできますと言って、選挙で戦えという方針が出て、改正案はそれで廃案になった。
そこで私たちは、そんな偉そうなことを言うのだから、民主党は本当に公務員制度改革をやるだろうと思ったし、民主党政権になったらもっと改革ができるかもしれないので、今の案よりもっと激しい改正案を作ろうと、準備を始めました。
―(マイナス)×―(マイナス)=+(プラス)ですが、
政治では、
破壊力×破壊力=創造力
そんな、創造力あふれる対談
古賀茂明×高橋洋一
ついに実現!(二人とも1955年生まれの1980年入省ですね)
【特別対談】古賀茂明vs高橋洋一(前篇)公務員制度改革はかくて骨抜きにされた
われらは敵だらけの中でいかに戦ったか
古賀茂明さん×高橋洋一さん
http://diamond.jp/articles/-/13257
いま日本で、最も有名な公務員と言えば、経産省の古賀茂明氏であろう。その著書『日本中枢の崩壊』(講談社)は、公務員制度改革が官僚たちの抵抗と政治過程の中で、いかに骨抜きになっていったかを描き、36万部の大ベストセラーとなっている。
一方、高橋洋一嘉悦大学教授は元財務官僚で、小泉政権時代には竹中平蔵総務大臣の補佐官を務め、続く安倍、福田政権では公務員制度改革に、内閣の内と外から関わってきた。いわば、公務員制度改革の先達である。こちらも、『さらば財務省』(講談社)、『霞が関をぶっ壊せ』(東洋経済新報社)で、官僚の生態と公務員制度改革の必要性を鋭く説いている。
公務員制度改革の真実を知る二人が、公務員制度改革の必要性、官僚たちの抵抗、政治の実態について、縦横無尽に語り合った。前半は、今回の公務員改革のスタートから、麻生政権下で、国家公務員法改正案が、廃案に追い込まれるまでを語る。
・・・・(以下は、抜粋のみ。全文は原文にアクセスしてください!)
高橋 私は小泉さんの時に、竹中(平蔵総務大臣・当時)さんの補佐官をしていて、2006年9月に小泉政権が終わったときに辞めようと思っていたのですが、後を継いだ安倍(晋三元首相)さんから連絡があって、内閣参事官(総理大臣補佐官補)として官邸に残ることになった。安倍さんはもう最初から、この公務員制度改革を意識していたという非常に変わった人だった(笑)。とにかく国の在り方を変えたいという大きなビジョンを持っている人だったから。
私は安倍政権では、安倍首相、中川秀直自民党政務会長・幹事長のスタッフとして、渡辺大臣就任後は渡辺さんのスタッフとして、公務員制度改革に携わってきました。
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高橋 それでも、いろんなスケジュール戦法とか、本当にひどいことをやられた。反対派の官邸官僚が、安倍さんの海外日程を全部先に押さえるのです。一番ひどかったのは、最初の国家公務員法改正案を出すときのことです。国会の日程が、1日足らなくなってしまい、改正案が廃案になってしまうという話になった。守旧派の官邸官僚が安倍さんの海外スケジュールなどをうまく組みこんで、日程を足りなくするわけ。しかし、安倍さんが最後に、「じゃあ、日程を延長しよう」と。ただ、この法案だけで延長するとは言い出しにくいので、あといくつか体裁が整うように法律を何個かくっつけて、国会を延長して通してしまった。
高橋 そこが財務省からの出向だから、実は財務省なのです(笑)。それから公務員の人事行政全般を担当する人事院にもポスト持っている。さらに給与については、公務員のこのポストは給与がいくらと決めるのは、財務省の給与共済課。それに共済は年金のことだから、公務員の福利厚生なわけです。
普通の会社でいうと人事部の役割が、政府の中だと財務省と総務省と人事院におおよそ分かれているのだけれども、財務省はその三つ全部にポストを持っている。だから、はっきり言えば、実は財務省が公務員制度を運営している。権力が分散しているように見えるけれども、財務省が重要なポストを握って霞が関の人事部として、強い力を持っている。恐らく、財務省はいろんな経路でプレッシャーかけて、公務員制度改革反対の音頭をとっていたでしょ?
古賀 だって私がいなくなったら、改革がめちゃくちゃになってしまいますよね。そもそも渡辺さんは私が事務局の審議官になった数日後(2008年8月初め)に、福田さんの内閣改造によって更迭されてしまい、私としては全く予定が狂ってしまった。
それでも渡辺さんは自民党に残っていたから、自民党のいろんな公務員制度改革関係の会議――平場(ひらば)、要するに一年生議員まで出られる会議に渡辺さんが出てきて、がんがんやってくれる。塩崎さんとか中川(秀直)さんなども、応援してくれる。
私が事務局にいた時は人事院の権限や総務省の組織を査定する権限の両方を、内閣人事局にもってこようという方向で法案をつくったのです。最初、私は事務局に入るのが、他の人よりも少し遅れた。なぜかというと、福田総理が反対しているとか、官邸官僚がいろいろ反対して。
古賀 私が事務局の審議官をやっていた時は、民主党の行政改革調査会の幹部が松井孝治さん、松本剛明さん、馬渕澄夫さんの3人で、私たちは「スリー(3)M」と呼んでいた。彼らが中心になって「裏で自民党が、改革の足を引っ張っているのではないか」などと質問してくれていた。援護射撃ですね。
そういうことで、法案を出すところまではよかったのですが、もうすぐ衆議院選挙だぞとなり、民主党が勝つぞという雰囲気が出てきら、公務員の組合がものすごく反対し始めた。要するに改正法案は人事院の権限を弱くするという話で、かれらは人事院に守ってもらっていますからね。そしたら、松井さん、松本さんが一気にすごく慎重な態度に変わってしまった。馬渕さん一人だけは頑張っていたのだけれど、最後には国会で質問させてもらえなくなった。
古賀 実はそのとき、自民党の林芳正さんと松井さんたちの間で、われわれの公務員法改正案を骨抜きにする修正協議が進んでいたのです。全く裏の協議で表には出ませんでした。林さんも松井さんも見えないところで、われわれの足を引っ張っていたのですね。この裏取引は成立寸前までいったのですが、結局、最後は民主党は修正も放棄して反対することに方針転換してしまいました。
これは恐らく、そのとき民主党の幹事長だった小沢(一郎)さんの考えだと思うのですが、要するに、法案を修正して通したら手柄が自民党と半分ずつになる。それより「自民党だから、こんなにくだらない改正案しか出せないんだ」と言って、思い切り蹴飛ばせと。民主党であれば何でもできますと言って、選挙で戦えという方針が出て、改正案はそれで廃案になった。
そこで私たちは、そんな偉そうなことを言うのだから、民主党は本当に公務員制度改革をやるだろうと思ったし、民主党政権になったらもっと改革ができるかもしれないので、今の案よりもっと激しい改正案を作ろうと、準備を始めました。