高橋是清に暗殺後のことも責任を負わせてまで日銀引き受けを否定する極一部の論調 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

高橋是清に暗殺後のことも責任を負わせてまで日銀引き受けを否定する極一部の論調

秘書です。

極一部の勢力が、日銀の国債引き受けを否定するために、高橋是清を全面否定し、高橋是清暗殺以後の政策の責任、(まさか戦後のインフレも?)高橋是清の責任にするということをはじめてますね。
 


インタビュー:日銀国債引き受け、いずれインフレ招く=日銀研究所
2011年 07月 20日 18:40 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22284920110720?sp=true
[東京 20日 ロイター] 日銀による国債直接引き受けの是非について、鎮目雅人・日本銀行金融研究所歴史研究課長は、1930年代前半の高橋是清蔵相時代の事例について、当初5年程度は高インフレが生じたわけではないとしつつ、その後の歯止めなき財政拡大につながり、激しいインフレをもたらしたと説明。
 当初の景気浮揚局面とその後の軍需による利用という局面を分けることなく、日銀引き受けという当初の制度の導入が後の戦時インフレまで連続的につながっていくという見方に立って、歴史の教訓に学ぶべきとの認識を示した。

  <当初の日銀引き受け自体に問題なく>

 1930年代前半に昭和恐慌からの脱却を図るために高橋是清蔵相が主導した拡張的なマクロ経済政策のもと、日銀による国債直接引き受けが行われた。この事例では、当初は物価も安定し、昭和恐慌から早期脱却できたとみられている。実質国民総生産(GNP)は32─36年度は年平均プラス6.1%、インフレ率(GNPデフレータ)も1.5%程度の上昇におさまっていた。

 こうした物価安定のもとでのしっかりした成長が実現した要因について、鎮目課長は円安と財政支出の拡大による効果が大きかったと説明。

 まず、金本位制離脱による円安政策により円の対ドル相場は1931年の金輸出再禁止の後1年で60%下落。「景気回復とデフレ克服に大きな効果を発揮した」とみている。2つ目が「財政支出拡大と金利の引き下げ。他国より大規模な財政支出を行い、併せて公定歩合は計4回引き下げられて3%程度利下げされ、大胆な景気刺激策がとられた」ことも寄与したという。

 同時に、発行が急増した国債について、日銀による直接引き受けを実施。しかし、日銀はこれを速やかに市中に売却していたため、日銀によるマネー供給量はさほど増加せず、円安による輸入物価の上昇にもかかわらず、国内物価ではインフレが抑制されていたとみられる。

 鎮目課長は、国債の発行市場が未発達ななかで中央銀行が一時的に国債を引き受けせざるを得ない状況があり、それをなんとか市中に売却できていた当初の段階ではインフレにはつながっていなかったと説明。 

  <拡張的財政支出につながり激しいインフレに>

 このように日銀引き受け導入当初において高インフレは生じなかったものの、鎮目課長は「中央銀行による国債引き受けはこのようにはじめは問題がないように見えても、財政支出の増加に歯止めがかからなくなり、その後激しいインフレをもたらしたというのが、歴史の教訓」だと指摘。1936年、二・二六事件で高橋蔵相が暗殺された後、日銀引き受けは歯止めがきかなくなり、戦時インフレへとつながっていく

 鎮目課長によると、具体的な日銀引き受け状況の推移をみると、32年─36年度の各年度の国債発行額は7─8億円、GNP比4─6%で推移、うち8─9割が日銀引き受けにより発行された。

 ところが高橋蔵相が暗殺された後の37年度の国債発行額は22億3000万円、GNP比9.8%に増加。うち16億6100万円が日銀引き受けとなった。37─40年度までのインフレ率は(GNPデフレータ)はプラス11.9%に跳ね上がった。その後太平洋戦争の物価統制を経て戦後の物資不足もあり、激しいインフレとなったという。

 このほか、「軍需がなくとも日銀引き受けが実施され、インフレにつながった事例として、戦後の復興金融公庫債の日銀引き受けの事例がある。この時期、日銀の政府向け貸付と復金債の日銀引き受けにより、財政ファイナンスが行われたことが、激しいインフレの要因として挙げられることが多い」と説明。

 鎮目課長は「32─36年の間だけとれば高インフレが起きたということではないが、しかしその後の時代とは分けて考えることは適当とは思えない」との見方を示した。「いったん、中央銀行による国債引き受けを始めると財政支出の増加に歯止めが効かなくなり、国債の日銀引き受けの額が膨らんでくると、市中に売却しきれなくなり、インフレにつながった」と指摘し、当初はうまくいっていても日銀引き受けという制度を導入することでいずれ制御不能のインフレを招くと強調した。

 (ロイターニュース 中川泉 石黒理絵  編集 内田慎一)


→このインタビューは、下記の総裁講演にそったものですね。

【講演】通貨、国債、中央銀行 ―信認の相互依存性―
日本金融学会2011年度春季大会における特別講演
日本銀行総裁 白川 方明

2011年5月28日
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2011/ko110530a.htm/#0402

高橋財政期の日銀による国債引受け

ここで、時折聞かれることのある「日銀による国債引受け」の議論について、日本銀行の考えをご説明します。この点に関する各国の法的な取り扱いをみると、欧州では、中央銀行の国債引受けが明示的に禁止されているほか、新興国を含め世界の多くの国で、中央銀行による国債引受けは認められていません。わが国でも、財政法5条が本則で日本銀行による国債引受けを禁じています。このような取り扱いは、一旦中央銀行による国債引受けを始めると、初めは問題はなくても、やがて、通貨の増発に歯止めが効かなくなり、激しいインフレを招き、国民生活や経済活動に大きな打撃を与えたという歴史の教訓を踏まえたものです。このように通貨に関する基本原則が世界的に確立されている中で、日本銀行による国債引受けが行われると、通貨への信認自体を毀損することになります。こうした通貨への信認の毀損は、長期金利の上昇や金融市場の不安定化を招き、現在は円滑に行われている国債発行が困難になる惧れもあります。今回の東日本大震災の後も国債の入札発行は順調に行われていますが、わが国の財政状況が厳しいだけに、現在の安定的な国債発行環境を維持していくことは大事です。今回の震災の経験から、我々はインフラが破壊された場合に、国民生活や経済活動にいかに大きな影響が生じるかを改めて認識させられました。この点、通貨への信認あるいは十分に機能している国債市場は、わが国の金融・経済にとって重要なインフラの一角をなすものです。日本の財政状況は厳しく、日本経済も震災の大きな影響を受けている時であるだけに、国際的にも国内的にも通貨や国債への信認を維持することが極めて重要な課題となっていると思います。

この点で少し脇道に逸れますが、時々言及されることのある高橋財政期の日本銀行による国債引受けについても、簡単に触れたいと思います。日本銀行による国債引受けに対する考え方については既に申し上げましたが、以下で述べるように、当時と現在の金融経済情勢はそもそも大きく異なっている事実は意外に認識されていないように感じています(図表9)。

まず第1に、国債引受けの始まる前は金融引き締め期でした。当時のコールレ-トは6.6%と高い水準であったのに対し、現在は0.07%と極めて低い水準です。また、長期金利も当時の5.9%に対し、現在は1.1%台となっています。第2に、高橋財政が始まる直前の国債発行残高の対GNP比率は47.6%と、現在の対GDP比率の181.9%とは比較にならないほどの健全財政の状態でした。第3に、国債引受けは、是非の判断はともかくとして、資本移動規制の強化を伴うものでした。これに対し、現在は当時とは比較にならないほどに金融市場や経済のグローバル化が進んでおり、金融政策や財政政策が通貨の信認を壊すような方向で運営されると、長期金利にすぐ跳ね返る状況になっています。そして第4に、当時の国内金融市場は現在に比べて規模が小さく、国債市場が発達していなかったことです。当時の国債発行は、民間金融機関が引受けシンジケート団を組成して引き受けるか、郵便貯金等を原資とする預金部が引き受けるかたちが中心であり、多額の国債を速やか、かつ円滑に消化する方法はありませんでした。当時、日本銀行は国債を引き受けても最初の数年間、すなわち高橋是清蔵相の存命中は速やかに売却をしており、日本銀行による国債の保有残高やマネタリーベースが大きく増加した訳ではありません。いずれにせよ、現在は十分に発達した国債の発行市場が存在している点が大きな違いです。今回の震災後も、国債の発行は順調であり、応札倍率にも変化は見られません。

なお、高橋財政期に為替レートが円安になったことが指摘されることもありますが、1931年末に金本位制から離脱することによって、金本位制の下で人為的に割高に設定されていた固定為替レートが是正されたということです。これに対し、現在は変動相場制を採用しており、この面でも高橋財政が始まる前に置かれていた状況と異なります。

ご存知のように、高橋蔵相は軍部の予算膨張に歯止めをかけようとして凶弾に倒れ、結局はインフレを招いたわけですが、偶々軍部の予算膨張を抑えられなかったのではなく、市場によるチェックを受けない引受けという行為自体が最終的な予算膨張という帰結をもたらした面もあったのではないかと思っています。現在、金融政策を巡ってよく用いられる言葉を使うと、引受けという「入り口」が予算膨張の抑制失敗という「出口」をもたらしたと解釈すべきではないかということです。この点、今日の目でみて興味深いのは、高橋財政期の日本銀行による国債引受けがあくまでも「一時の便法」として始まっているという事実です5。高橋蔵相は帝国議会での演説で、引受けによる国債の発行は一時的なものであることを述べていますが6、その後の歴史はこれが一時的なものではなかったことを示しています。現在、先進国はもとより、新興国でも中央銀行による国債の引受けは認められていません。中央銀行による国債の引受けは、初めは問題がなくてもやがて通貨の増発に歯止めが効かなくなり、激しいインフレを起こすことによって国民生活や経済活動を破壊します。人間は誘惑に弱い存在ですが、そうした弱さを自覚するがゆえに、予め中央銀行による国債の引受けを禁止するという強さをもった存在と言えます。

財政バランスの改善は、インフレによって達成される課題ではありません(図表10)。確かに、物価が上昇すれば、税収は増加するかもしれません。もっとも、過去20年間の日本のデータをみると、歳入の増減率と物価上昇率の間にはほとんど有意な関係は観察されません。歳入が増加しているのは実質成長率が高まっている時です。一方、歳出は社会保障費にしても公共工事費にしても、物価上昇により増加します。物価の上昇が長期金利に織り込まれれば、国債の利払い負担も増加します。これに対し、実質成長率が高まる時には、景気対策の必要性も低下することから、歳出の伸びも低下しています。本日は時間の関係で詳しくは申し上げませんが、財政バランスの改善には、歳出、歳入の見直し自体が必要です。それと並んで成長率の引上げも重要ですが、そこで言う成長率の引上げとは実質成長率の引上げです。この点に関しては、しばしば名目成長率の引上げが必要だと言われますが、この言い方はややミスリーディングです。この言い方ですと、実質成長率の引上げでも物価上昇率の引上げであっても、全く同じように財政バランスが改善するかのような印象を与えますが、単に物価が上昇するだけでは財政バランスは改善しません。何よりも必要なことは実質成長率の引上げに向けた地道な努力です。景気が良くなり実質成長率が上昇する時には、その結果として、物価も上昇します

5 深井英五『回顧七十年』(1941年)参照。
6 「昭和八年度予算案説明中の公債政策に関する演説」、1933年1月21日、第64議会衆議院本会議、大蔵省編『昭和財政史』第6巻(1954年)参照。


→この総裁講演を検証したものとして、

白川総裁による高橋是清の日銀引受論を検証する
http://d.hatena.ne.jp/keiseisaimin/20110721/1311164983?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

→日銀は、暗殺された人にもその後の政策についての責任があるというなら、第9代、第11代日銀総裁、そして浜口雄幸内閣大蔵大臣井上準之助の開戦に向けた責任はどう考えているのでしょうか?あの世界恐慌下の金解禁という緊縮政策の過ちこそ、日本が戦争に突入していく上でもっとも重大な政策判断ミスだったのではないでしょうか?

→「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな高橋是清が悪いのさ」みたいな感じになっていかないことを望みます。


→日本の潜在成長率0.03%とみなして、物価上昇率がマイナスからゼロに転じるとなぜかフォワードルッキングにインフレ防止しようとして金融政策を転換してしまうと、何がおきるのでしょう?本当は、2-3%ある日本の潜在成長率がほんとうに低くなって、日銀の潜在成長率の「理解」である0.03%に収れんしていってしまうのではないでしょうか。