「今にして憲政擁護に起ち上がらずんば、何のかんばせあって国民に相まみえん」(中川俊思) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

「今にして憲政擁護に起ち上がらずんば、何のかんばせあって国民に相まみえん」(中川俊思)

秘書です。

解散のブラフ
鳴り止まぬ抗議の電話

これに耐えて、信念を貫くことができるでしょうか?


15日に菅首相退陣要求集会=民主若手が参加呼び掛け
(2011/07/14-15:36)時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011071400558

 民主党の吉良州司、長島昭久両衆院議員らは15日、衆院議員会館で「菅直人首相に即時退陣を求める決起集会」を開く。吉良氏らは14日、党所属の全議員に文書で参加を呼び掛けた。賛同者がどこまで広がるかが焦点だ。
 集会の呼び掛け人は吉良、長島両氏のほか、13日に両氏とともに首相官邸に退陣を求める連名の文書を提出した9人。参加を求める文書では「首相は政権運営で致命的な失態を繰り返している」と指摘し、「今こそ民主党全議員が結集し、首相が(特例公債法案などの)3条件に関係なく、即刻退陣すべきことを申し入れたい」としている。 
 集会では退陣を求める決議を採択する方針。

→見事、本懐を遂げられますことを!

→はなむけに、昭和29年の「吉田おろし」の口火をきって、堂々と、自由党除名第一号となった中川俊思代議士(中川秀直代議士の先代)の回想記を。


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中川俊思編(昭和34年12月12日発行)『大詰に来た日米安保条約改定』

  「除名第一号の想い出」

戦後権勢を恣いままにした総理で、吉田(茂)さんくらい長期政権を誇示した人はいない。ワンマン総理で押し通した吉田さんの下における閣僚や党首脳部は全く吉田さんの小間使いであった。かくして吉田さんの施政には目に余るものが続出し初めた。それでも誰一人として文句を言う者がなかった。東条内閣当時中野正剛さんに師事して打倒東条内閣のために生死の巷(大げさではない)を彷徨した私は、この横暴に鋭い反撃のチャンスをねらっていた。遂にそのチャンスが来た。それは当時世論を憤激せしめた造船疑獄で、現在岸内閣の有力メンバーたる二、三の者が逮捕されることになった。ところが吉田さんは犬養法相を叱咤して前代未聞の指揮権を発動せしめ、逮捕寸前の彼等を無罪放免してしまった。このことを知った私は義憤やる方なく権力の横暴に対する正義感が火を吹き始めて熱血が五尺の短身に充満した。もはや我慢は出来ない。今にして憲政擁護に起ち上がらずんば、何のかんばせあって国民に相まみえんと遂に吉田総理に辞職勧告を決行した。
 引き続いて時の決算委員長田中彰治君が起った。更に先輩河野一郎、石橋湛山両氏もまた吉田内閣打倒に拍車をかけた。そして私が時の自由党から総理にたちむかったという理由で除名第一号に処せられた。継いで田中君が第二号、河野、石橋両先輩が第三号と引き続いて除名された。しかし、さしもの吉田内閣も遂に破綻を招き、総辞職したのたれ死してしまった日本の憲政擁護のため吉田内閣打倒の一番釘を打ち込んだ当時を回想して感慨無量である。  


中川俊思記



そして、平成23年7月15日に「一番釘」をうつのは誰か?