震災後の行きすぎた円高が日本社会を変えていく→なぜ、何度も同じことを繰り返すのか? | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

震災後の行きすぎた円高が日本社会を変えていく→なぜ、何度も同じことを繰り返すのか?

秘書です。

阪神・淡路大震災後の行きすぎた円高が、努力すれば報われるという日本的勤労観をむしばみ、経営努力の限界を超えたために非正規雇用を拡大し、若者の人生設計を変え、日本社会を大きく変えてしまいました。

阪神・淡路大震災以後の行きすぎた円高を放置した政府・日銀の責任は重大です。

この総括がしっかりできていないまま、東日本大震災後、また、円高。

今度は日本社会をどう変えるのでしょうか?



NY為替 3月介入以来の円高
5月5日 7時8分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110505/k10015705291000.html

ニューヨーク外国為替市場は、4日発表されたアメリカの経済指標が市場の予想より悪かったことでドルを売って円を買う動きが強まり、円相場は一時、1ドル=80円台半ばまで円高が進み、ことし3月にG7各国による協調介入が行われて以来の円高水準となりました。

4日のニューヨーク外国為替市場は、この日発表された民間企業による雇用関連の統計とサービス業の景気状況を調べた統計がいずれも市場の予想より悪かったことで、アメリカの景気回復の勢いが弱いのではないかとの懸念が高まり、ドルを売って円を買う動きが急速に強まりました。円相場は一時、1ドル=80円44銭まで上昇し、G7の合意に基づいて協調介入が行われた、ことし3月18日以来の円高水準となりました。市場関係者は、「ヨーロッパ中央銀行が翌日開く理事会で、今後の利上げの方向性に言及するのではないかとの見方も加わり、ドルが売られ、その反動で円が値上がりしている」と話しています。

→非正規雇用の拡大は小泉政権以後の新自由主義によるという、政権交代のためにつくられた選挙向けのプロパガンダを自分で信じ込んでしまっている菅総理にはこの問題は理解できないかもしれません。

→90年代半ば以後の非正規雇用の拡大は、行きすぎた円高・長期デフレに対応するための経営努力の結果です。※

→なんで、生産力が破壊されて輸出が減っているのに円高?この非常識な現状は、非常識なマクロ経済政策運営の結果であると、合理的な説明が可能でしょう。しかし、この合理的な説明は日本のポリシーメーカーとその護送船団においては非常識とされている。



2011-05-04 07:44:53
阪神淡路大震災後の「行きすぎた円高」の教訓、そして東日本大震災後のいま
http://ameblo.jp/nakagawahidenao/entry-10880773704.html

→なぜ、日本のポリシーメーカーは世界の常識を拒否して、非常識なマクロ経済政策運営を繰り返していくのか。この人材劣化の原因は何か。

→世界のエリートがノブリスオブリジュという「ハイリスク・ハイリターン」の価値観を持っているのに対して、日本のエリートは「安定」を最上の価値としている点に特徴があるのではないでしょうか。つまり「ノ―リスク・ハイリターン」の人生を手に入れることを目的としています。

→そうしたエリートを生んでいるのは社会です。親の家庭教育の価値観です。例えば、クラレの毎年の調査では、ほぼ一貫して小学1年生の男子の親は子供を公務員にしたがっています。社会に貢献してほしい、という親の気持ちもあるのでしょうが、しかし、子供には安定した人生を送ってほしいという気持ちがあることも否定できないでしょう。

http://www.kuraray.co.jp/enquete/occupation/2010/

学校で成績のよかった人たちが「ノーリスク・ハイリターン」を人生の目的とするような社会が健全に発展することができますか?あらゆる既得権益が生まれる原因、組織不祥事の原因、人材劣化の原因はこんなところにあるのでは?

→そして、日本のエリートの人事評価にはなかなか客観基準をいれにくい。実は、同期の間の内部評価により自ずと決まったものを人事当局が追認しているにすぎないのではないですか。つまり、内部評価(お手盛り人事)です。そして同期の出世競争は社会的なものさしと全く違うものさしで争われたらどうなるか。もしも、ポリシーメーカーが、世界の常識と内部評価の基準が違っていたらどっちにしたがうでしょうか。たとえば、いかなる時でも増税が正しい、利上げが正しいという内部評価基準があったとしましょう。そのとき、組織内部の人事評価のディシプリンに従うことは、個人の行動としては合理的な行動です。この合理的な行動が、日本の組織不祥事、政策の連戦連敗を生んでいるのでは?そして、政官財学報がその内部評価基準を支持。


→エリートの「ノーリスク・ハイリターン」は社会に新しいリスクを生みます。リスクはどこにいくか。それは、組織外部、すなわち国民生活の中に現れます。国民は「ハイリスク・ノーリターン」にさらされる。

→例えば、学校の校庭利用基準の20ミリシーベルト問題。誰の専門的見地で決まったのか、固有名詞はまったく出てきませんね。これは有識者を将来の結果責任から免責するための「ノ―リスク」状態にしておくことを意味しているのではないですか。そして、国民が「ハイリスク」にさらされているのではないか。

→「ノ―リスク・ハイリターン」のエリートがポリシーメーカーで居続けたのでは、日本社会は持続不可能です。民主党はそのことを分かっていたと思うのですが、民主党はそちらサイドに立つ党だったのでしょうか?「国民の生活が第一。」、「命を守りたいのです」は単なる選挙向けのプロパガンダだったのでしょうか?



※2006年2月24日の衆議院予算委員会公聴会における逢見直人・連合副事務局長の格差認識をみてください。逢見さんは連合の格差認識について以下のように述べています。

逢見さんは、格差が拡大し二極化が進行した理由について「直接的には、長期デフレのもとで、労働者にしわ寄せする形でマクロ的な分配が行われてきた結果であると思います。」と述べています。長期デフレが格差拡大の直接的原因であるとすれば、格差是正の処方箋はデフレの克服ですよね。

逢見さんはまた、二極化が始まった時期について「我が国がデフレ経済下でマイナス成長に陥った1990年代の後半でありまして、この間のマクロ的な分配のゆがみが格差社会につながっているのではないかと思います。」と小泉政権発足以前に二極化が始まったとの認識を示しています。

逢見さんは長期デフレが二極化をもたらしたことについて、「長期デフレへの対応策として、・・・多くの企業は、正社員を減らし、パートや派遣、有期契約、請負労働といった非典型雇用労働者をふやすことで総額人件費を削減するという手段をとってきました。人件費コスト調整のしわ寄せがパート、派遣労働者などに集中することによって、全体的な所得格差が拡大したと言えると思います。」と述べています。

非正規雇用の拡大は企業が長期デフレへの対応策であり、それが全体的な所得格差の拡大をもたらしたとの認識であり、非正規雇用の拡大をあくまでも経済問題としてとらえていました。

ところがその後、選挙向けに、新自由主義者が格差を拡大させたというプロパガンダが定着し、いまでも菅総理はその選挙向けプロパガンダの呪縛から解かれていないのが現状ではないでしょうか。誤った原因分析では、正しい解決策を見出すのは不可能でしょう。

菅総理が新自由主義者とレッテルを張る小泉首相や竹中大臣が政権の座を去ったのは2006年9月。民主党政権下の雇用状況の悪化は新自由主義者の責任でしょうか?新自由主義陰謀説で2009年政権交代以後の雇用情勢をどう説明するのでしょうか?経済的現象を政治的な陰謀説で説明し、解決策を見出そうとしても難しいことでしょう。