1142年前の大津波、地元は「知恵」に基づき想定。しかし、行政等の「知識」では想定外。 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

1142年前の大津波、地元は「知恵」に基づき想定。しかし、行政等の「知識」では想定外。

秘書です。
1142年前の大津波。
地元に伝わる「知恵」は「想定」していました。
しかし、行政・東電の科学技術で武装された「知識」では「想定外」とされていました。
教訓は、想定外のことを想定するのは「知識」よりも「知恵」が勝るということ。
なぜか?「知識」は、個人の立場や組織に伴う自己利益によって操作可能だからではないでしょうか。
震災後、合意形成のベースを、知識から知恵へ。


「島の言い伝え、命救った」=1142年前の大津波-石碑建て継承・宮城
2011/04/23-05:39 時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011042300025

・両岸から大津波が押し寄せ、島の中央でぶつかった-。日本三景「松島」の東端にある宮城県東松島市の宮戸島。平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋岸で起きた大地震「貞観地震」をめぐり、島民の間にはこんな言い伝えが残されている。

・ぶつかったとされる場所(標高約10メートル)には石碑が建っており、そこより下は危険とされていた。東日本大震災で約1000人の島民は石碑より高台にある市立宮戸小学校などに一斉に避難。津波は浜辺の集落の大半をのみこんだが、石碑の手前でとどまり、犠牲者は数人にとどまった。「先人の言い伝えが命を救った」。近くに住む観音寺住職の渡辺照悟さん(80)はしみじみと語った。

・複数の島民によると、貞観地震では津波で多くの人が命を落としたとみられ、言い伝えは島民の間に浸透。大きな地震が起きると高台に逃げる習慣が身に付いていた。周辺の地名は「二ツ橋」とされており、「二つの津波がぶつかる姿を橋に見立てたのでは」と指摘する声もある。

・今回の津波で多くの犠牲者を出した近くの同市野蒜でも似たような話があった。カキ養殖業高橋勲さん(68)は1960年のチリ地震の際、潮が大きく引いた浜でピチピチと跳ねる魚を発見。手ですくおうとしていたところ、1896年の明治三陸地震の津波を知る長老が「大津波の前兆だ。早く逃げろ」と叫び、助かった。

・高橋さんは「海辺の言い伝えを知っていた漁師は今回も助かった」と振り返る。渡辺さんは「経験を後世に残すため、『平成の石碑』を並べて建てようか」と話した。


「明治三陸」「貞観」が合わさった可能性 東大地震研
2011年4月19日19時3分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0419/TKY201104190399.html

東日本大震災:先人は知っていた 仙台平野、歴史街道浸水せず 津波経験生かし整備か
毎日新聞 2011年4月19日 東京夕刊
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110419dde041040014000c.html

特集ワイド:レベル7の「原発震災」 予想された「想定外」 科学技術過信の果て
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110418dde012040061000c.html
毎日新聞 2011年4月18日 東京夕刊

【地震】「1000年前の地震考慮せず失敗した」
(04/16 15:14)ANNニュース
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210416024.html

文部科学省の地震調査委員会で委員を務めていた研究者が、「日本の地震評価は失敗した」とアメリカで開かれた地震学会で報告しました。

 名古屋大学大学院の鷺谷威教授は2001年から4年間、文部科学省の地震調査委員会で海溝型地震を研究する部会の委員でした。
 鷺谷威教授:「過去400年のデータにとらわれて、1000年単位で評価できなかった。1000年前のデータを考慮に入れなければ、その可能性はゼロになってしまう」
 鷺谷教授はこのように述べ、文部科学省による地震評価に疑問を呈しました。そのうえで、過去400年に限ってみても、地中に蓄積されたひずみが、これまでに起きた地震ですべて解放されていないことに注意するべきだったと指摘しています。東日本大震災をめぐっては、これまでに別の研究者が869年に大津波を引き起こした貞観地震の存在を指摘していましたが、地震評価や福島第一原発の安全対策には十分に反映されなかったことが分かっています。

大震災「想定できたはず」=東大教授、政府予測を批判-英科学誌に寄稿
2011/04/14-04:01 時事通信
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011041400035

・「世界の地震活動と東北地方の歴史が考慮されていれば、東日本大震災は想定できたはずだ」とするロバート・ゲラー東大大学院教授(地震学)の寄稿が14日、英科学誌ネイチャー電子版に掲載された。

・政府の地震調査研究推進本部が行ってきた地震予測などを批判する内容となっている。

・ゲラー教授は、日本で1979年以降に10人以上が死亡した地震が起きたのは、同本部の予測で発生確率が比較的低いとされる場所だったと指摘。予測が誤った理論に基づいていると主張した。

・一方、世界各地のプレート沈み込み部分でマグニチュード9以上の地震が起きていたことや、東北地方に大津波をもたらした貞観地震(869年)、明治三陸地震(1896年)を紹介した上で、「特定の時期、震源やマグニチュードを予測できなくても、3月11日の地震は『想定』できたはずだ」と訴えた。

巨大津波を予測していた男-活断層・地震研究センターの宍倉博士
2011年 4月 11日 9:21 WSJ日本版
http://jp.wsj.com/Japan/node_219865

研究成果を生かせなかった…」貞観地震の研究者
2011.3.28 19:28 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032819290055-n1.htm
 「貞観地震の再来だ」。東日本大震災が起きた今月11日、超巨大地震のデータを目の当たりにした産業技術総合研究所の宍倉正展さんは「背筋が凍りつくような恐ろしさを感じた」と振り返る。宍倉さんらは宮城、福島両県のボーリング調査などから、869(貞観11)年に東北地方を襲った巨大地震・津波の実態を解明し、「いつ、再来してもおかしくない」と警鐘を鳴らしていた。だが、日本の災害史上最大規模の地震・津波は、研究成果を防災に生かそうとする途上で襲ってきた。

 「なぜ今、起きてしまったのか。1千年単位の長い周期のうち、たった数年待ってくれれば、防災対策を立てられたのに…」

 産総研で海溝型地震歴研究チームを率いる宍倉さんは、声をつまらせる。

 貞観地震の研究に着手したのは平成16年。宮城、福島県の沿岸の地層をボーリング調査で解析し、貞観地震の津波が運んだ砂の層の分布から津波の到達域を特定。太平洋沖を震源とする巨大海溝型地震が、大規模な津波を起こしたことを突き止めた。

 岩手県や茨城県ではボーリング調査による津波堆積物の特定が難しく、海水は砂層よりも内陸まで到達していたはずだ。「それを考慮すると、貞観地震の規模はマグニチュード(M)8・3より大きい」と推定。ボーリング調査では、東北地方は500~1千年の間隔で、繰り返し巨大津波に襲われていることも判明した。

 直近の巨大津波は、貞観か室町時代(14~16世紀ごろ)で、「いずれにしても、いつ起きてもおかしくない状態にある」と結論づけていた。

 「防災に生かさなくてはいけない」

 政府の地震調査研究推進本部に報告した成果は「海溝型地震の長期評価」に盛り込まれ、4月にも公表されるはずだった。推進本部は今年に入ってから大きな被害が予想される自治体に赴き、貞観地震再来の危険性を説明。しかし、自治体の防災担当者は「そんな長い間隔の地震は、対策を練っても仕方がない」と、鈍い反応だったという。

 「研究者自身が説明しなくてはだめだ」。宍倉さんは今月23日に、福島県の防災担当者に直接説明する予定だった。「絶対に、対策の必要性を理解してもらわなければ」と意気込んでいた矢先の3・11-。

 研究成果を防災に生かせなかったことが無念でならない。「1千年スケールの災害が起こり得ることを、行政の人たちも分かったと思う。同じ思いはもうしたくない」と、宍倉さんは声を振り絞った。

(伊藤壽一郎)