「憲政の常道」論について学習しよう! | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

「憲政の常道」論について学習しよう!

秘書です。
2011/04/18-23:30時事通信の「小沢氏との連携否定=谷垣自民総裁」より。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol

・自民党の谷垣禎一総裁は18日夜、FMラジオの番組で、民主党の小沢一郎元代表が菅政権への批判を強めていることについて「われわれが民主党の液状化の中に手を突っ込んで、さらに液状化させることは今あまりやるべきでない」と述べ、菅直人首相を退陣に追い込むための連携に否定的な考えを明らかにしました。

・一方、谷垣氏は、首相が退陣した場合の政局の展開に関し「民主党の中で(後継首相に)誰を選ぶかで行き詰まるとき(もあり得る)。最大野党に政権を渡したことも戦前にあった」と述べ、民主党の下野もあり得るとの見通しを示しました。

→谷垣総裁が指摘したのは「憲政の常道」論ですね。ここで憲政の常道論について学習しましょう。

・1948年10月15日に首相に就任した吉田茂は、同年11月15日の衆議院における施政方針演説で、

「現内閣は、疑獄事件によって辞職せる芦田内閣の後をうけて出現いたしました内閣であります。首班指名の当時、私を支持せられたものは百八十有余であって、二百有余の白票を投ぜられた現衆議院において首班の指名を受けたる少数党内閣であります。この少数内閣は、まず信を国民に問うがために冒頭解散することが政治の常識であり、またわが国朝野の與論となっておるのであります。」

と述べています。

・また、1954年12月10日に発足した鳩山一郎政権は、民主党と左右両社会党の早期の衆議院解散についての合意に基づく選挙管理内閣であり、1955年1月22日の施政方針演説で鳩山首相は

「過ぐる第十九回国会以来の国会の実情及び吉田内閣退陣から現内閣の成立に至る政治情勢から見まして、国民の意思が正しく国会の勢力分野に反映されておらないことは明白であります。よって、政府は、この見地に立って、民主主義のルールを尊重し、信を国民に問うべく、近く衆議院を解散して公明な選挙を行い、もって国民の神聖な審判を仰ぎたいと考えております。」

と述べています。

・野党に政権交代した後に解散するというのは戦前の「憲政の常道」の延長として理解できます。

・1924年の加藤高明内閣成立から1932年の犬養毅内閣崩壊までの8年間は政党政治の時代においては、元老・西園寺公望の奏薦に基づく首班指名の後に総選挙が行われ、総選挙では首班指名を得た党首の党が第一党の地位を得るのが一般的でした。

・首相の病死や狙撃入院の場合は後継総裁が、通常の総辞職の場合は野党総裁が奏薦されて組閣後に総選挙を行うことが憲政の常道とされました。

・なお、1924年の加藤高明総裁は総選挙の結果に基づき首班奏薦が行われました。

(参考)
升味準之輔(1988)『日本政党史3 政党の凋落、総力戦体制』東京大学出版会、pp.6-7.
村井良太(2009)「近代日本における多数主義と「憲政常道」ルール-政権交代をめぐる制度と規範-」日本政治学会『年報政治学2009‐Ⅰ 民主政治と政治制度』木鐸社、pp.13-39.