政局:1980年と1993年に学ぶ内閣不信任案可決の先例
秘書です。
2011.4.14 01:30 産経新聞は「小沢氏が「内閣不信任案」への同調を示唆 菅首相に自発的退陣促す」と伝えています。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110414/plc11041401310002-n1.htm
・民主党の小沢一郎元代表は12日夜に都内の私邸で開いた側近議員との会合で、野党側が6月22日の国会会期末に向け検討している不信任案への同調を示唆しました。首相に自発的退陣を促す狙いがあるとみられます。
・産経新聞が引用している、伝わるところの小沢氏の発言は以下の通り。
「菅直人首相(党代表)を退陣させるためには内閣不信任案可決しかない」
「党代表は両院議員総会で辞めさせることができるが、首相は不信任案を可決させることでしか辞めさせられない」
「今こそ国民のために行動しなければならない」
「東北地方では投票所がないから、当分選挙ができない。首相が解散を打つことはできない」
・内閣不信任案を衆院の過半数(239議席、欠員2を除く)で可決させるには、民主党会派(306議席)から80人程度が造反する必要があります。衆院の小沢グループ(約90人)が同一行動を取れば可決できますが、慎重論もあります。
→1980年の1993年の内閣不信任案可決の歴史に学びましょう。
【1980年、大平内閣不信任決議案可決】
5月16日、社会党提出の大平内閣不信任決議案が衆院本会議で自民党内の福田派、三木派など反主流議員69人が欠席したため、賛成243票、反対187票で、可決される。
同17日 政府、自民党は党役員会で19日に衆院を解散し、総選挙を6月22日に参院選挙と同日に行うことを決定
http://www.ohira.org/cd/nenpu/nenpu_31.html
【1993年、宮沢内閣不信任案可決】
6月18日 宮澤内閣不信任案が可決(自民党羽田派34名、他派閥議員5名が賛成、病欠を除く16名が採決に欠席)し、衆議院を解散
http://www.secj.jp/s_library/seiji_chronology_2.htm
→1980年も1993年も、与党党内の造反(賛成又は欠席)により内閣不信任案は可決しています。
2011.4.14 01:30 産経新聞は「小沢氏が「内閣不信任案」への同調を示唆 菅首相に自発的退陣促す」と伝えています。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110414/plc11041401310002-n1.htm
・民主党の小沢一郎元代表は12日夜に都内の私邸で開いた側近議員との会合で、野党側が6月22日の国会会期末に向け検討している不信任案への同調を示唆しました。首相に自発的退陣を促す狙いがあるとみられます。
・産経新聞が引用している、伝わるところの小沢氏の発言は以下の通り。
「菅直人首相(党代表)を退陣させるためには内閣不信任案可決しかない」
「党代表は両院議員総会で辞めさせることができるが、首相は不信任案を可決させることでしか辞めさせられない」
「今こそ国民のために行動しなければならない」
「東北地方では投票所がないから、当分選挙ができない。首相が解散を打つことはできない」
・内閣不信任案を衆院の過半数(239議席、欠員2を除く)で可決させるには、民主党会派(306議席)から80人程度が造反する必要があります。衆院の小沢グループ(約90人)が同一行動を取れば可決できますが、慎重論もあります。
→1980年の1993年の内閣不信任案可決の歴史に学びましょう。
【1980年、大平内閣不信任決議案可決】
5月16日、社会党提出の大平内閣不信任決議案が衆院本会議で自民党内の福田派、三木派など反主流議員69人が欠席したため、賛成243票、反対187票で、可決される。
同17日 政府、自民党は党役員会で19日に衆院を解散し、総選挙を6月22日に参院選挙と同日に行うことを決定
http://www.ohira.org/cd/nenpu/nenpu_31.html
【1993年、宮沢内閣不信任案可決】
6月18日 宮澤内閣不信任案が可決(自民党羽田派34名、他派閥議員5名が賛成、病欠を除く16名が採決に欠席)し、衆議院を解散
http://www.secj.jp/s_library/seiji_chronology_2.htm
→1980年も1993年も、与党党内の造反(賛成又は欠席)により内閣不信任案は可決しています。