国民総力戦:燃料不足今週末解消見通し・日本製紙撤退せず・震災孤児実態把握へ(河北新報) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

国民総力戦:燃料不足今週末解消見通し・日本製紙撤退せず・震災孤児実態把握へ(河北新報)

燃料不足週末にも解消 塩釜港から大量供給 宮城県見通し
2011年03月23日 河北新報


 村井嘉浩宮城県知事は22日、塩釜貞山油槽所(塩釜市)からガソリンなどの安定供給が可能になっ
たとして、「早ければ今週末にも燃料不足は解消される」との見通しを明らかにした。
 石油連盟によると、県内で1日に必要な燃料(2009年度実績)は、ガソリン3600キロリットル、軽油2050キロリットル、灯油1850キロリットルの計7500キロリットルとなっている。
 震災で多くの工場が稼働しておらず、当面は需要量の5~6割あれば十分と分析。21日から塩釜港に燃料2000キロリットルを積んだタンカーが毎日入港しており、逼迫(ひっぱく)した状況は改善されるとみている。
 さらに県などは5000キロリットルを積んだ大型タンカーの接岸に向け、塩釜港のがれきの撤去を急ピッチで進めている。海上保安庁が早ければ23日にも点検する予定で、接岸可能になれば燃料供給は一気に安定する見通し。
 塩釜貞山油槽所から県内の各ガソリンスタンド(GS)へ運搬するタンクローリーの不足も懸念されたが、石油大手2社が今週末、大幅増車することにしており、燃料供給ルートの支障も解消される見通しだ。
 村井知事は「今週末から来週にかけて、県内のGSに燃料が行き渡るはずだ。不要不急以外は車での外出を控えるなど、もうしばらくは辛抱してもらいたい」と話した。


日本製紙「撤退せず」 宮城2工場復旧急ぐ
2011年03月23日 河北新報
 日本製紙グループ本社は22日、東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市と岩沼市にある日本製紙の宮城県内2工場について、早期復旧を目指す方針を明らかにした。2工場は操業を停止中。復旧時期に関しては「めどは立っていない」と説明した。
 グループ本社によると、津波被害を受けた石巻工場は構内に土砂や家屋のがれきが流れ込み、建屋内は浸水した。製品の在庫はほぼ全損となったとみられるという。
 詳しい調査はこれから行う方針。同社は「(生産にかかわる)主要設備の傷みはなさそう。ただモーターなどは塩に弱く、使用は厳しいかもしれない」との見方を示した。
 岩沼工場は建屋の天井と側壁の一部が崩壊した。製品の在庫は半分程度が被害を受けているようだという。
 グループ本社広報室は「主力の石巻、岩沼両工場が早く復旧しなければ、会社自体が立ち行かなくなる」と説明。地元で工場撤退という風評が広がっていることに触れ、「工場の外形は残っており、何が何でもやっていく」と復旧と事業再開を目指す方針を強調した。
 石巻市の亀山紘市長は「石巻地方の経済再生は水産業と製造業の動向が鍵を握っている。中核企業である日本製紙が石巻で事業継続するかどうか不安だったが、地域の復興に向けて大きな勇気をもらった」と歓迎した。



制服警官、被災地へ派遣 7道府県から120人
2011年03月23日 河北新報


 東日本大震災の被災地で防犯活動に携わるため、7道府県の警察本部が制服警官計約120人とパトカー約50台を岩手、福島両県に派遣する。23日中に現地入りする見通し。
 警察庁によると、被災地の犯罪件数は多くないが、22日には津波で外壁が損壊した宮城県気仙沼市の信用金庫で、金庫室の現金4千万円が盗まれていたことが判明。
 避難所に身を寄せる住民には「制服警官を見ると安心する」との声があり、派遣は治安の維持だけでなく、市民の不安を和らげる狙いもある。
 福島県へは大阪府警と愛知、静岡両県警から、岩手県へは北海道警と秋田、埼玉、神奈川の各県警から派遣される。宮城県では18日に警視庁と埼玉県警の警察官計63人が到着。既にパトロールを始めている。
 警察庁の22日午後11時現在のまとめで東日本大震災の死者は9199人、家族が警察へ届け出た行方不明者数は1万3786人で、計2万2985人。1896年の明治三陸地震(2万1959人)を上回り、明治以降の自然災害では関東大震災に次ぐ2番目の被害規模となった。



厚労省、震災孤児の実態把握へ 応援派遣で人海戦術

2011年03月23日 河北新報


 東日本大震災で被災し、親が死亡したり行方不明になっている子どもたちについて、厚生労働省は23日、全国の自治体から応援を派遣し、本格的な実態調査に乗り出すことを決めた。被災地の自治体はいまだに混乱し自力での調査は困難。身寄りも居場所もない子どもたちへの支援を急ぐため、自治体の枠を超えた協力態勢をつくる。
 阪神大震災では、100人以上が孤児となったとの調査もある。同省は「今回の震災の被害は広範囲で、親と子が離れた時間帯だったこともあり、より多くの子どもが親を失ったのではないか」と懸念する。
 厚労省によると、一部地域では児童相談所職員などが避難所を1カ所ずつ回り、親や親戚が亡くなったり行方が分からなくなった子どもはいないか、確認を進めている。
 だが、津波被害の激しかった沿岸部では、行政機能の喪失や、残っても犠牲者の身元確認や物資の調達、避難所運営などの対応に追われる混乱が続き、どこに何人いるか、各自治体とも把握し切れていない。
 これを受け厚労省は、被災していない全国の自治体を対象に、児童福祉司や児童指導員、保育士などの派遣を要請。すでに55の自治体から計約400人の応募があった。今後、被災地側が求める人数や時期に合わせ順次派遣する。
 ただ、交通インフラが損なわれた上、ガソリン不足などの事情により、調査には時間がかかるとみられる。同省担当者は「子どもたちを引き受けてくれる施設や里親まで見つけるにはさらに時間がかかるだろう」と危機感を強めている。


立ち往生、路線バスの無線 孤立集落の声届ける 宮古
2011年03月23日 河北新報

一時孤立した重茂半島で地元消防団の災害対策本部となった路線バス=宮古市重茂


 東日本大震災で2日間孤立した宮古市重茂(おもえ)半島。地元の消防団は、立ち往生した路線バスを現地災害対策本部に使用し、備え付けの無線で外部と連絡を取り合った。

 11日の津波で半島の太平洋側の集落から北に通じる橋が崩落。山田町へ抜ける南側の道路も決壊し、姉吉、千鶏(ちけい)、石浜、川代の4集落は孤立状態となった。無線機を積んだ消防のポンプ車も津波をかぶって使用不能になり、外部への連絡手段を完全に失った。
 この時、宮古市消防団第25分団の目に留まったのが、宮古駅前発川代行きの路線バス。千鶏から石浜にさしかかったところで地震に遭い、避難してきた住民を乗せて高台の定置網置き場へ避難し、津波の被害を免れた。
 分団は「バスの無線を外部への連絡に使わせてほしい」とバスの運転手に要請。快諾した岩手県北バスの宮古営業所は半島の別の待機所にいたバスに“中継局”になるよう連絡、他のポンプ車の無線を経由して市消防本部に情報を伝えた。
 50人乗りのバスは分団の「南地区災害対策本部」になり、安否確認や物資不足、死傷者数、被災状況などを本部へ送り続けた。車内は電気が付き、暖房もあることから、けが人の収容場所としても利用。13日に海上自衛隊が小型ボートで石浜に到着するまで、バスは住民の命綱となった。
 中村卓郎分団長(56)は「地区の施設が壊れ、バスだけが唯一、災害対策本部を置ける場所だった」と振り返る。
 重茂半島の人々の生活を支える路線バス。大震災でもしっかり住民約400人の声を届けた。
(野内貴史)


避難所いま
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1065/index.htm

石巻市蛇田中(宮城)/被災者自ら炊き出し
2011年03月23日

炊き出し研修でおにぎりを握る被災者の女性ら=22日午前10時30分ごろ、石巻市蛇田の裏区会館


<住所>石巻市蛇田金沼20の1
<避難者数> 680人(21日午後5時現在)
<避難地区>石巻市の東前沼、新東前沼、新埣寺、湊、大門町など

 「今後の炊事は被災者自身で行おう」。そんな思いから、避難所で暮らす女性15人が22日、近くの集会所で炊き出しの研修を受けた。
 講師役はファミリーレストランの店員ら。プロパンガスを使った大型炊飯釜の扱い方の手ほどきを受け、住民20人と一緒におにぎり約1500個を握った。米研ぎを1回にして、水を節約するのも大切なポイントだ。
 これまでは差し入れを受けるだけだったが、23日に校舎内でおにぎりを作り始める。参加した小野寺文さん(51)は「避難所生活が長引きそうなので、可能な限り自活したい」と話した。
 21日には川崎市のサッカークラブの小学生から、励ましの手紙計23通が届いた。「わたしたちはおおえんしています。早く町をなおして元気よくくらしてください」
 子どもなりに津波被害の大きさに心を痛めた様子が、ひしひしと伝わってきた。
 蛇田中は地域外からの避難者の割合が高い。電気に次いで水道が復旧。携帯電話も通じるようになった。地元の被災者は徐々に帰宅している。

  ◇  ◇

●羽賀礼子さん(50)=石巻市吉野町3丁目
 多くの方々に支援していただき感謝している。命があっただけでも幸運。不安なことは多いが、前向きに暮らしていく。
●阿部敏明さん(48)=石巻市川口町1丁目
 姉の行方が分からなくて気をもんでいる。食べ物があまりなく、精神的にもつらいが、避難所は優しい人が多い。
●菅原勝子さん(64)=石巻市築山3丁目
 長男と連絡が付かない。人づてに元気でいるとは聞いたが心配だ。ガソリンの供給が増えれば捜しに行けるのだが…。
●朝倉功さん(70)=石巻市門脇浦屋敷
 車が津波に流されて移動の手段がない。免許証や保険証もなく、途方に暮れている。近くに行政の窓口があれば助かる。
●石森啓子さん(45)=石巻市谷川浜中井道
 祖父が行方不明で心配だ。仮設住宅を早く建ててほしい。知人が住んでいる牡鹿半島に支援物資を届けてほしい。
●佐々木てる子さん(70)=石巻市水明町2丁目
 食べ物が不足している。着の身着のままで来たので、肌着類もない。きょう明日を生きることしか考えられない。
●佐藤匠さん(31)=石巻市大門町4丁目
 避難所のスタッフの方々にとても良くしてもらっている。子どもや高齢者を優先して支援物資を回してほしい。
●菅井智さん(49)=石巻市大門町4丁目
 温かいご飯が食べたい。義理の両親が逃げ遅れてしまい、ショックを受けている。家族で励まし合って頑張りたい。
●阿部佳祐君(15)=石巻市大門町1丁目
 家は住める状態でなくなった。一刻も早く仮設住宅で安心して暮らしたい。余震が起きると不安で眠ることができない。
●桜井美沙さん(20)=石巻市門脇捨喰
 家族は無事。犬も助かったが少し神経質になっているようだ。新しい携帯電話が使えるようになり、ほっとしている。
●大嶋加奈さん(14)=石巻市松原町
 仮設住宅を早く建ててほしい。学校の制服もかばんも教科書も津波に流されてしまい、これからどうなるのか心配だ。
●小山正子さん(33)=石巻市三ツ股3丁目
 3カ月の赤ちゃんがいるので衛生面が不安。哺乳瓶も1本しかない。大人は我慢できても子どものことを思うと大変だ。
●山内里子さん(62)=石巻市門脇明神
 自宅は2階まで水に漬かった。中はぐちゃぐちゃ。外のがれきが邪魔で家の片付けが進まない。早く撤去してほしい。
●大森あずなさん(17)=石巻市築山3丁目
 近所の人が祖母と飼い犬を避難させてくれた。家は住める状態ではなく、ペットと住めるアパートを探したい。
●木村忠男さん(76)=石巻市門脇町4丁目
 足の悪い私を隣に住む橋本さんが車で避難させてくれた。ところがその後、彼は自宅に戻り安否不明に。心配だ。


気仙沼市民会館(宮城)/不自由な生活に一息

2011年03月23日

湯に漬かり、ほっとした様子の横田さん=22日午前11時ごろ、気仙沼市笹が陣の気仙沼小校庭


<住所> 気仙沼市笹が陣4の2
<避難者数> 400人(22日午前10時現在)
<避難地区> 気仙沼市の幸町、内の脇、仲町、弁天町、川口町など

 市民会館近くの気仙沼小校庭に自衛隊が風呂を設け、22日朝から避難住民たちが利用している。
 気仙沼市内の脇3丁目の自動車販売業横田瑞夫さん(69)は「久しぶりの風呂。気持ち良くて生きていると実感した」。行方不明の妻と長女を案じる毎日だが、この時ばかりは笑顔を見せた。
 震災1週間後から電気や水道が復旧し、暖房も入るようになった。食事も3食出るようになり、避難住民は比較的落ち着いた生活を送っている。
 約10人の市職員が世話に当たるが、住民も食事の分配や掃除を買って出る。トイレの水が出なかったときは、近くの気仙沼中のプールからバケツリレーをして水を運んだ。21日からは六つある部屋ごとに班長を決め、連絡事項を部屋の住民に伝えている。
 1日3回の食事の分配を手伝うという同市港町の酒店経営鈴木友博さん(59)は「避難所内は高齢者が多く、自分は若い方だ。やれることをやりたい」と話す。
 朝のラジオ体操も日課に。避難住民は力を合わせて不自由な日々を乗り切ろうとしている。

 ◇ ◇

●斉藤栄子さん(73)=気仙沼市河原田1丁目
 湿疹のようなものができ、かゆくて仕方がない。自衛隊にもらった少しばかりの薬を薄く塗って我慢している。
●塩田のり子さん(59)=気仙沼市幸町2丁目
 避難所に居る限り、温かい食料もあり安心。先を考えると、ずっと住み続けられるのかどうか不安になる。
●山口晶さん(52)=気仙沼市太田1丁目
 妻と小学6年の息子の家族3人が無事だったのは何より。気掛かりなのは、連絡の取れない知り合いがいること。
●小野寺裕二さん(52)=気仙沼市潮見町2丁目
 配給の食事はとてもありがたいが、冷めているので温かいものが食べたい。下着や靴下も、新しいものが欲しい。
●杉村孝衛さん(77)=気仙沼市仲町2丁目
 1年半前に右足を骨折し、人工骨を入れている。パイプイスを並べた簡易ベッドに寝ており、痛みが出てつらい。
●熊谷せつ子さん(63)=気仙沼市幸町3丁目
 体調が優れないので、新鮮な野菜が食べたい。みんなが気持ちよく生活できるよう、こまめに掃除をしている。
●猪狩よし子さん(75)=気仙沼市幸町1丁目
 左足の2本の指がしもやけになり、ふやけてひどい状態。でも薬がない。温めるための湯たんぽが欲しい。
●近野進一さん(68)=気仙沼市幸町1丁目
 自宅は津波の被害でヘドロが20センチほどたまったまま。水道や電気が復旧しない限り、片付けもできない。
●畠山つや子さん(67)=気仙沼市内の脇2丁目
 食事はきちんといただけている。世話をしてくれる市職員たちが親切で、頑張ろうという勇気をもらっている。
●猪狩和子さん(65)=気仙沼市内の脇1丁目
 夫と2人、どうにか無事だった。避難所での食事は心配はないが、ライフラインがいつ復旧するのか気掛かりだ。
●佐藤房子さん(34)=気仙沼市内の脇1丁目
 津波と火災で自宅を失った。携帯電話の電波が通じず、車に給油できずにいる。早く親戚の肉声が聞きたい。
●熊谷ハシメさん(78)=気仙沼市幸町3丁目
 避難所は食べ物に恵まれありがたい。ただ血圧の薬が少なくなった。夫も手術直後なので薬不足が不安だ。
●内海拓男さん(63)=気仙沼市内の脇
 仕事場を借り、今月中にも表具師の仕事を再開させる。取引先が道具の支援を申し出てくれた。前を向くしかない。
●村上まつえさん(75)=気仙沼市幸町3丁目
 息子の会社が津波で流された。今後の不安は尽きないが、共に避難したご近所さんと少しでも楽しく過ごしたい。
●小野寺洋一さん(42)=気仙沼市幸町4丁目
 避難所の食事は足りてきた。むしろ自宅暮らしの人の方が不足している。同じ被災者だから、分かち合いたい。
●小山英悦さん(63)=気仙沼市幸町2丁目
 自衛隊が開設したお風呂に入った。お湯に漬かったのは被災後初めて。大きな湯船でゆったりでき、最高だった。