国民総力戦:任務遂行 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

国民総力戦:任務遂行

県出身の冨岡総括隊長が心境
3月22日東奥日報

 東京電力福島第1原発3号機に放水活動を行った東京消防庁ハイパーレスキュー隊。放射性物質の恐怖にさらされる隊員を支えながら、自ら現場に向かい、決死の作業に立ち向かった県人がいる。総括隊長の冨岡豊彦さん(47)=風間浦村出身=だ。21日、本紙の取材に対して「まだ事故が収まっているわけではない。非常に心配している」と心境を語った。

 冨岡さんは同村蛇浦中-大間高校-国士舘大出。現在、東京消防庁第6方面隊の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)総括隊長。今回、現場状況確認の責任者として任務に当たった。

 冨岡さんらは18日午後、原発から約20キロ離れた指揮本部に到着した。その後、自ら特殊災害対策車に乗って現場に突入し、風向きや通れる道などを確認。屈折放水塔車による放水を決断した。

 しかし、敷地内のがれきに阻まれ、車でホースをつなげることができず、結局、放射線防護服を身に着けた隊員20人が、長さ約800メートルの送水ホースのうち350メートルを手作業で接続した。

 屋外での接続作業は約15分間。別の隊員が放射線量を測定する中、被ばく覚悟の任務遂行だった。

 危険な任務をくぐり抜けたハイパーレスキュー隊の一部は19日夜に帰郷。都内の東京消防庁内で記者会見に臨んだ冨岡さんは「非常に難しい危険な任務。国民の期待をある程度達成できて、充実感でほっとしている」と振り返った後、「訓練とは違うが、このメンバーなら何とかクリアできると確信した。一番大変だったのは隊員。残された家族には申し訳ない。この場でおわびとお礼を申し上げたい」とおえつをこらえながら語った。


東日本大震災 ヘリで灯油搬送 宮城

2011年3月22日(火)8時0分配信 産経新聞 

 東日本大震災で大きな被害を受け、孤立している石巻市の離島、網地島に向けて海上自衛隊は21日、灯油などの救援物資を搬送した。

 21日午前9時ごろ、海上自衛隊の護衛艦「くらま」から200リットル入りの灯油缶3本をヘリコプターで搬送。同隊によると、この量で島の住民が約1週間は暖房用として使えるという。

 海上自衛隊第二護衛隊群司令の淵之上英寿海将補は「陸とのアクセスが整備されておらず、必ずしも万全の態勢ではないが、被災者が不具合なく安心して生活できるように力を尽くしたい」と話した。

 網地島は震災の影響により定期船が運休。ライフラインの復旧も進んでいない。島の住民約500人が自宅や公民館で避難生活を送っており、暖房用の燃料確保が課題となっている。


自動車各社、現地支援はいつ届く?
未曾有の危機にもどかしさも
3月22日 日経ビジネスオンライン

「輸出前のパトロールがどっかに置いてなかったか?」

 東北・三陸沖を震源とする大震災が起こってから2日後の3月13日日曜日。横浜市の日産自動車本社では災害対策本部の会議が開かれていた。テレビには津波に根こそぎさらわれた被災地の映像が次々に映し出されている。「何とか、物資の支援もできないか」。志賀俊之・最高執行責任者(COO)が話し始めた時、冒頭の声が会議室の一角から上がった。

 パトロール――。日産が海外向けに販売している大型のSUV(多目的スポーツ車)だ。砂漠や荒れた道の多い中東やアフリカで人気がある。日産の人気ミニバン「エルグランド」よりもさらに一回り大きいクルマと言えば、その大きさの想像がつく人もいるだろう。がれきが点在する被災地で、人や物資を送り届けるには「もってこい」のクルマだ。


緊急時でも役所に「陳情」

 しかし、ほどなく問題も明らかになった。このパトロールは50台ほど見つけられたものの、もともとの納入先は国際連合となっていた。国連が不平を言っているということではない。クルマの装備が海外仕様になっているので、法規上はそのままでは日本の公道を走ることが認められていない。

 「緊急時だから、何とかこのまま日本の公道を走れるよう許可してほしい」。震災から6日目の17日。日産の職員は国土交通省に「陳情」へ赴いた。

 日産はほかにも、横浜本社に備蓄していた毛布1000枚、マスク5万枚、1リットル入りの消毒液300本を被災地に送る用意をしている。連携しているのは、経済界やNGO(非政府組織)、政府がかかわる国際的なNPO(非営利組織)法人「ジャパン・プラットフォーム」だ。この組織が各地のNGOなどと連携し、被災者へ物資を届ける橋渡し役になってくれる。

 しかし、18日時点では「ガソリンの調達が難しく、輸送手段をなかなか確保できない」(ジャパン・プラットフォーム)。物資は用意したのに、届ける手段がないというのは、もどかしい限りだ。

 グローバルな物流網を持つ自動車メーカーですら、被災地に直接、物資を届ける手段となると、ノウハウがない。

配送先が分からない

 富士重工業は工事現場などでガソリンを入れて動かす発電機を約40台、投光器を約60台、浸水した家屋から泥水などを吸い出す排水用ポンプを約120台、河川水などきれいな水を汲み上げるためのポンプを5台を被災地に送ることを決めた。これらを生産している埼玉製作所(埼玉県北本市)に在庫としてあったものだ。

 しかし、現地に送るのは簡単ではない。「配送先がどこになるかの指示がこない」。18日時点では埼玉製作所に、発送予定の小型発電機がパレットに載った状態で置かれていた。発送の準備を整えたのは3月14日。日産と同じジャパン・プラットフォームによる被災地への配分を今か今かと待っている状態だった。

 富士重工は北関東にある寮や社宅に200人以上が入れるだけの空き部屋がある。ここに被災した販売店の従業員を受け入れる準備も進めている。災害対策本部の中村俊雅・総務部長は、「販売店の従業員をこちらで受け入れることで、これから被災地に建設される仮設住宅をできるだけ現地の人に使ってもらえるようにしたい」と狙いを語る。

 ホンダも富士重工と同じく、小型の発電機を約1000台、被災地に送る。燃料にガソリンを使う製品が500台で、残りの500台はカセットコンロに使うガセットガスで発電する「エネポ」という商品だ。「携帯電話機の充電やパソコンの電源として利用してもらえると思う」(ホンダ)。交換用のカセットガスも5000本確保した。岩手県と宮城県、福島県、茨城県がそれぞれ設けた対策本部に直接連絡し、各地域の物流拠点まで運びこむとしている。

 さらに14日以降、全国の販売会社を通じて数百台規模のオフロードバイクや「スーパーカブ」をかき集めた。ただ、運転手やガソリンの不足により現地に送るのはこれから。被災地で実際に役立つのは少し先の話になりそうだ。

東北地方に完成車工場などの関連会社があるトヨタ自動車は、自前の便で現地に救援隊および救援物資を送っている。地震発生翌日の12日と13日に救援隊を派遣。食料や毛布、医薬品、おむつなど生活物資を積んだトラックや給水車、救援隊を乗せたマイクロバスなどが14日には東北地方に到着した。その後も順次、送り込み、17日までにトラック15台、給水車6台を現地に送り込んだ。グループ企業の工場を含め、被災地の生活を支援するためだ。

救援隊も寝る場所がない

 救援隊の第1陣は50人。しかし津波の被害が甚大だったこともあり、難しい面も出ている。

 「当初は宿泊施設が確保できていたのだが、ここに来て難しくなりつつある。そのため被災した工場に泊まらざるを得ない者も出始めた。第2陣を送ろうにも、ままならない状態」。トヨタの救援隊に加わったグループ企業の関係者はこう打ち明ける。

 地震発生から時間がたつにつれて、大きな被害を受けた地域から逃れてきた被災者や、救援に向かった関係者などが、少しでも安全な場所に集まり始めている。今回の震災は、特に津波による被害で復旧に時間がかかっていることに加え、燃料不足による交通手段の問題などもあって、事態が複雑になっているようだ。


電気自動車に期待?

 想定を超えるガソリン不足により一部で期待が集まっているのが、電気で動く電気自動車(EV)だ。三菱自動車はEVの「アイ・ミーブ」を35台用意し、18日夜から岩手、宮城、福島の各県にある販売会社に輸送し始めた。無償貸与で「避難所を行き来する行政の職員などに使ってもらいたい」(同社)。とりあえず被災地に近い販売会社まで運び、販売会社の職員が現地のニーズを聞いて貸与先を見つける。

 日産自動車も日産レンタカーが保有するEVの「リーフ」を50台、全国から集めた。18日夜から被災地への輸送を始め、無償で貸し出す方針だ。

 全国に物流網を持つ自動車メーカーですら、今回の大震災では身動きがとれなくなった。それでも各社は支援物資を用意し、現地の人々をすぐにも助けられるように、懸命の努力を続けている。


【大船渡】オランダから捜索隊 救助犬とともに

(2011.3.22)岩手日報

 オランダの民間災害ボランティア組織に所属する4人が21日、大船渡市大船渡町で行われている捜索活動に加わった。世界中の災害現場で活動しているメンバーが救助犬と共に被災現場を歩いた。

 4人は自衛隊や消防、消防団らが作業するエリアで捜索。救助犬4匹を伴い、津波で壊された家屋やがれきの中を歩いて回った。

 米国のハリケーンカトリーナ被災地や中国・四川大地震など世界各地の現場で活動しているという4人。25日まで市内に滞在する予定だ。

 エドウィン・ドウマさん(47)は「地震と津波のダメージがとても大きい。見たことがないほどの惨状だ」と語った。

 同市内ではこれまで米国、英国、中国の国際援助隊も捜索活動に加わった。

【写真=救助犬を伴って活動するオランダ民間災害ボランティア組織のメンバー=21日午後2時15分ごろ、大船渡市大船渡町】



被災ペット、行き場なく 動物病院は満杯

3月22日 岩手日報

 飼い主と共に被災した犬猫などのペットが、行き場に困るケースが急増している。宮古市では動物病院などが避難所で受け入れられないペットを保護しているが、ほぼ満杯状態。避難所では、ペットの存在が飼い主の癒やしとなっている一方、動物との共同生活が住民間で問題を起こすことも少なくない。被災動物の保護は今後も増えることが予想され、受け入れ態勢の拡充が急がれる。

 宮古市宮町のグリーン動物病院には21日、市内で衰弱していたところを保護されたシバイヌが運び込まれた。田口庸蔵院長(62)は血液検査や点滴後、回復するまで保護することにした。犬には首輪の跡があり、津波で避難する際に飼い主が逃がしたことも考えられるという。

 同病院では、犬猫30匹やオウムなどの鳥を保護。部屋はいっぱいで、スタッフ3人が毎日世話をする。ほとんどが避難所に連れて行けなかったペットだ。

 宮古市では同病院など3カ所で、被災動物を飼い主が元の生活に戻るまで保護。田口院長は「今後は震災で飼い主を失ったペットの保護も増える。被災した沿岸で受け入れるのは難しく、全県で里親を探していく必要がある」と指摘する。

 避難所でも、ペットの扱いは悩ましい問題だ。約370人が避難する宮古小では、犬と一緒に体育館内で生活する飼い主が10人ほどいる。避難間もないころは興奮してほえたり、校内でふんをするなどし、ほかの住民から苦情が相次いだという。

 そのため学校側や住民代表は、外に出た犬は体を洗うなど衛生面に気を付けることを飼い主と確認。主に小型犬だったこともあり、今は共同生活を容認している。

 同校の川上良治副校長は「大災害の後だけに、ペットを心の支えにする飼い主から引き離すことはできない。話し合いを重ねて、共生の形を考えるしかない」と理解を求める。

【写真=保護されたシバイヌを診療する田口庸蔵院長(左)。このような被災動物の受け入れが課題となりそうだ=21日午前11時すぎ、宮古市・グリーン動物病院】