国民総力戦:医療現場を支えよう!医療スタッフを支援しよう!医療関係者にガソリンを! | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

国民総力戦:医療現場を支えよう!医療スタッフを支援しよう!医療関係者にガソリンを!


窮迫する医療現場 原発事故 追い打ち
河北新報 3月21日(月)6時13分配信

 東日本大震災が各地の医療現場に深刻な影を落としている。宮城県内ではライフラインの停止や物資の供給難で、水や医薬品、食料が欠乏する中、病院内に患者があふれる。停電、断水の施設で多くの入院患者を抱え、窮地に立つ病院もある。福島県浜通りでは、東京電力福島第1原発(大熊町、双葉町)の事故で病院や福祉施設が「陸の孤島」と化し、人、物資ともに不足する。各地の現場で「限界が迫っている」との声が上がる。

>◎宮城 水・医薬品・食料・燃料 物資欠乏危機的に

 石巻市の石巻赤十字病院は震災後、食料、水、医薬品が著しく不足した。16日までに40人近い赤ちゃんが生まれたが、断水で、もく浴も満足にできなかった。阿部雅昭企画調整課長は「健康に影響が出かねないが、水不足で体を清める程度しかできない」と話す。

 402床は被災者で埋まった。あふれた患者は、1階の受付前に設置された30床ほどの臨時病床で、治療を受けている。
 医療機関が集中する仙台市内でも、診察に支障が出ている。
 宮城野区の東北厚生年金病院は、断水や停電、変電設備の損傷のため、医療機器が使用できない状態が続く。約380人の入院患者の退院、転院を余儀なくされている。

 エレベーターも使用不能で、病院内の移動にも影響が出ている。順次、患者を救急車に乗せて、電気、水道が通じている青葉区や山形県内などの医療機関に搬送した。

 予約のあった患者への投薬に対応しているが、医薬品の供給が不十分で、3日分しか処方できない。八島信男事務局長は「入院患者の食事も1日2食で、まきで調理している。早く病院機能を復旧させたい」と語る。
 津波被災地から離れた県南の内陸部も、一時孤立状態に陥った。

 柴田町の仙南中央病院は、老朽化した病棟の柱にひびが入るなど倒壊の危険が生じ、入院患者100人が近くの体育館で避難生活を送る。
 鈴木健院長は「体育館の暖房用の灯油や食料、ガソリンが不足し、震災後4日間ほど危機的な状況が続いた」という。19日も職員が、トイレ用の水をくむため、近くの川に通った。

 精神科専門の同院の入院患者は、精神疾患や重度の認知症を抱え、手厚いケアの必要な患者が少なくない。鈴木院長は「現在もガソリンスタンド周辺で渋滞が起き、物資調達や職員の出勤に支障が出ている。最低限の物流、搬送ルートを確保してほしい」と訴える。

◎多賀城・仙塩病院入院患者死亡12人に 停電・断水転院進まず

 多賀城市の仙塩総合病院は東日本大震災で津波の被害に遭い、一時孤立状態となった。現在も停電、断水が続く中、転院も思うように進まず、震災後、20日午前までに12人の入院患者が亡くなった。病院を運営する医療法人宝樹会の鈴木寛寿理事長は「寒い中で家族の面会も少なく、患者のストレスは大きい。亡くなった方々には気の毒なことをした」と苦悩する。

 津波で建物は1階部分まで浸水し、地下の電源や自家発電設備が使えなくなった。当時、病院には200人の入院患者がいたが、水が引いた12日午後まで外部との行き来ができなかった。
 病院の窮状が報道されてから仙台市や利府町の病院、介護老人保健施設などが患者の受け入れを開始。18日ごろから転院が本格化したが、現在も52人の患者が入院している。発電設備など施設の復旧は進んでおらず、患者をケアする上で不安定な状況が続く。

 市内全域で断水が続く中、医療に使える水が市から提供されたり、食料などの救援物資が届くようになったりしたが、暖を取る手段は湯たんぽや毛布などに限られる。

 鈴木理事長によると、震災後に亡くなったのはいずれも80代以上の重篤患者で、停電が続く院内の寒さや震災のショックなどが死期を早めた可能性もあるという。

 病院は来春、利府町に一部機能を移転する予定だった。鈴木理事長は「もっと早く移転できていれば」と悔やむ一方、「転院させたくても家族と連絡が取れない患者もいる。そういう方は引き続き病院でケアするしかない」と厳しい表情で語った。

◎福島 人手不足、看護綱渡り 

 福島第1原発から30キロ圏内の屋内退避地域に含まれる南相馬市原町区の「大町病院」には、19日朝まで約150人の患者がいた。医師5人、医療スタッフ十数人で対応してきたが、人員不足によって限界になり、19日と20日、前橋市などに患者79人を搬送した。

 病院付近にはヘリコプターの発着地がなく、搬送には救急車を使う。
 県内では、原発事故を受け、避難する人が増えている。事務職の男性は「看護師はへとへと。いま一番必要なのは交代スタッフだ」と語る。
 原発の南、いわき市では物資難に陥っている。同市で屋内退避地域(原発から20~30キロ)に入るのは北部のごく一部だが「いわき市は危ない」との噂が立ち、物資が調達しにくいという。

 松村総合病院は、津波で調理室が使えなくなった系列病院にも食事を提供する。医療スタッフの分までおにぎりが回らず、カップラーメンを分け合って食べている。阿部真弓事務局長は「行政には、患者とともに医療スタッフへの支援もお願いしたい」と言う。

 いわき市立総合磐城共立病院は、ガソリン不足で通勤できないスタッフが日に日に増え、働いているのは全体の半分の約350人だけになった。うち100人は自宅に帰れず泊まり込んでいる
 退院や転院で入院患者を半分以下の約260人に減らし、外来は重症者に限定して負担を軽減している。上遠野裕美総務課長は「いる人で何とか踏ん張っているが、今がぎりぎりだ」と訴える。

 南相馬市原町区の特別養護老人ホーム「福寿園」も、食料不足で危機に陥っていた。横浜市の医療法人社団「愛優会」が窮状を知り、受け入れを申し出たため、入所者約220人と職員ら約40人が20日までに横浜市に避難した。

 「1日2食でしのぎ、20日にも食料がなくなる状況だった。ぎりぎりで避難できた」と福寿園の男性職員(34)。愛優会の担当者は「厳しい状況を知り、横浜市や神奈川県に相談したが動いてくれなかった。居ても立ってもいられず、独自の判断で迎えに行った」と話した。 .

岩手―高速道、一部再開へ ライフライン情報21日
2011年3月21日15時43分朝日新聞
 一般車両の通行が禁止されていた東北道の一関インターチェンジ(IC)―碇ケ崎IC(青森)間、東北道に連結する秋田道の北上ジャンクション(JCT)―北上西IC間、釜石道の花巻JCT―東和IC間、八戸道の安代JCT―南郷IC間が、22日午前10時から解除されることとなった。東日本大震災以降、これらの区間の通行は消防、自衛隊などの緊急車両に限定していたが、警察庁が緊急交通路の指定を解除すると21日に発表した。宮城県内の国道398号も対象から外す。


署内に怒声、医療関係者に緊急通行許可下りず
読売新聞 3月21日(月)14時35分配信

 岩手県内陸部の警察署。交通課の窓口で、「被災者の命を見捨てるんだな」という鋭い声が響いた。

 声を荒らげたのは緊急通行車両の申請に訪れた医療関係者。被災地で必要な薬を届けたいという。

 結局、許可は下りなかった。

 この警察署では、地震後、緊急通行の許可を求め、医療、行政関係者の申請が殺到、1週間余で数百枚が発行された。

 「緊急」の文字が記された「標章」があれば、通行規制区間への進入が可能だ。同時にガソリンスタンドでの給油を優先的に受けられるため、被災地への支援や連絡に往復するためのガソリン確保をと、申請する人が後を絶たない。

 一方で、岩手県内では徐々に通行規制が解除され、主な道路では東北道のみになった今、緊急通行許可は、高速道を使った長距離移動を除いて下りなくなった。

 しかし、ガソリン不足は深刻で、盛岡市や近郊では、ガソリンスタンドの行列が数キロの長さになることもある。奥州市内では、ガソリンを節約するために車内で眠るのに石油ストーブで暖を取っていた男性が一酸化炭素中毒死する事故も起きた。

 許可証へのニーズは高まるばかりだ。ある警察署幹部は「助けたい気持ちは痛いほどわかる。でも、今の制度のままでは車の給油を目的に許可は出せない」と苦しい胸の内を明かした。