国民総力戦:1人も置き去りにしない国民総力戦の展開を! | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

国民総力戦:1人も置き去りにしない国民総力戦の展開を!

家族住むマチ、人の気配消えていく… 福島県いわき市・本社記者ルポ
2011年03月19日 16:20 共同通信

 東日本大震災で大きな被害を受け、東京電力福島第1原発事故の恐怖にもおびえる福島県いわき市。「怖いけどガソリンがないから逃げられない」「置き去りにされるのでは」「病院が閉まって薬がもらえない」。住民が悲痛な声を上げていた。避難者が増え街から人の気配が消えていく一方、給水所はマスクを付けポリタンクを持つ人であふれ、ガソリンスタンドには車が列をつくる。記者が生まれ育ったマチで、不安の終わりがいつか分からぬ戦いが今も続いている。
(整理部・西山将弘)

 福島第1原発から南に約40キロ離れたいわき市好間町。記者の祖父母宅に両親、親せき計8人が身を寄せていた。避難させるため17日、山形から現地に向かった。


 約6時間かけ、同日午後7時ごろ到着。明かりがともる住宅はまれで、道路を走る車も少ない。「人は住んでいるんだろうか」。明らかに「何か」が違う。ようやく祖父母宅に着いたが、車を降りて外に出るのも一瞬、ためらわれた。

 翌日午前9時ごろ、避難する祖父母の薬を手に入れるため、叔父と病院へ向かった。ガソリンの目盛りを気にしながら、10分ほど車を走らせる。病院は閉まっていた。長期分の薬が入手できないと避難は難しい。「こういう時こそ開いててほしいのに…」。叔父が嘆く。さらに15分ほど走って同市平地区の開いていた病院に飛び込み、何とか薬を手に入れた。不安の中、市民のために使命を果たす医者もいたのだ。

 同原発20キロ圏内の楢葉町から市内の避難所に移った会社員佐藤和良さん(56)が、院内で80代の母親の乗った車いすを押していた。「ガソリンがないし、寝たきりの高齢者が2人いるから逃げられない」と表情を曇らせる。「避難所以外の一般の人もつらい。みんな頑張るしかないんだ」とも。苦しくても他人のつらさを共有する気持ちに胸が熱くなった。

 震災の後、いわきでは断水が続いている。病院近くの市水道局本庁舎に設置された、15口ある給水蛇口は、多くの人が並んでいる。水を詰めたポリタンクを車に積んでいた近くの男性会社員(46)は「水をもらうにも車のガソリンが惜しい。毎日生きるのが綱渡りだ」。その上に、原発の恐怖がのしかかる。市水道局の担当者の懸念も、給水のため病院や避難所を回るのに必要な燃料の不足だ。

 両親と姉らを東京都へ連れ出すため車で駆けつけた義兄の協力もあって、18日正午前、家族全員がいわき市から出ることができた。

 午後4時すぎ。山形市にたどり着き、放射線量測定検査で全員の無事を確認した。その時、初めてみんなの表情がゆるんだ気がした。ようやくほっとできたが、いわき出身者として、大震災への恐怖は深く心に刻み付けられたままだ。古里に戻れる日は、いつになるのだろうか。


東日本大震災:川崎市の一時避難所で炊き出し/神奈川
2011年3月19日 神奈川新聞 
東日本大震災の被災者の一時避難所として使われている川崎市体育館(同市川崎区富士見)で19日、炊き出しが行われた。
 川崎市民の有志が食材を持ち寄り、朝食におにぎり、昼食には豚汁とご飯が避難者に振る舞われた。福島100+ 件県の南相馬市から一家で避難してきた会社員の男性(43)は「温かい食事を提供してもらいありがたい。支援してくれる人たちの優しさが伝わってくる」とほっとした様子。小学6年生の長男(12)も「豚汁はおいしい」と笑顔だった。

 同体育館が計画停電の区域に該当し、十分な暖房設備がないことなどから、市は同日、正式な受け入れ先として、とどろきアリーナ(同市中原区等々力)に避難所を設置。同体育館に身を寄せていた避難者は、バスや車でアリーナに移動した。市によると、アリーナは計画停電の区域外で、シャワーも利用可能。200人まで避難者を受け入れることができるという。問い合わせは電話044(200)3651。

東日本大震災:横浜市が「たきがしら会館」で被災者受け入れ開始/神奈川
2011年3月19日 神奈川新聞
 横浜市による被災者の受け入れが19日、同市磯子区の「たきがしら会館」で始まった。市の職員3人が常駐し、24時間態勢で最大約300人、3カ月程度を目安に受け入れる。避難所開所後すぐに20人ほどが訪れ、福島県などから来た被災者は「気分が楽になった」と安心した表情を浮かべていた。

 介護などの必要がなく、自立した生活のできる人が対象。和室や会議室、ホールなど9カ所を開放する。布団は貸し出されるが、食事や日用品などの支給はなく、避難者が用意することになる。また、25日まで毎日30分程度、市消防局が被ばく線量のスクリーニングも行う予定という。

 同会館にはシャワーしかないが、大人100円、子どもは無料で近隣の銭湯6軒を利用できるよう、市浴場協同組合磯子支部が支援を決めた。またこの日は、近くの住民から差し入れもあり、被災者らは温かいもつ煮込みを頬張っていた。

 福島県いわき市から妻(35)と長女(2)と車で避難してきた会社員男性(38)は、インターネットで受け入れを知った。母親が人工透析治療のため、横浜市内の病院に入院することになったため市に問い合わせたという。「いわき市から離れるほど気分が楽になった。娘の安全を考えて、車中泊覚悟で来た。親切な対応に、ありがたいの一言です」とほっとしたように話していた。

 問い合わせは同会館電話045(752)4050。

被災地の高齢者続々 横浜の介護老人施設
2011.3.19 22:20 産経新聞

福島県南相馬市から避難所となった施設に到着した高齢者=19日夜、横浜市旭区
 東日本大震災を受け、福島県南相馬市の特別養護老人ホーム入所者ら約220人が19日夜、避難所となった横浜市旭区の介護老人保健施設に到着した。

 入所者はバス6台で7時間以上かけて移動。施設職員約60人に助けられ、車椅子やストレッチャーで施設に入った。

 施設関係者は「レンタルなどでベッドを増やしたが足りない。共用スペースなどに布団を敷くしかない」と話した。

 また神奈川県茅ケ崎市内の障害者施設は18日夜、福島県いわき市のグループホーム入所者ら11人を受け入れた。ホームに被害はなかったが、医薬品や食料の調達が困難になり、車で避難した。


福島県飯館村の住民「離れられて安心」 栃木に集団避難
2011.3.19 22:14 産経新聞

避難所の体育館で説明を受ける福島県飯館村の住民=19日夜、栃木県鹿沼市
 福島県飯館村の住民約300人は19日、栃木県鹿沼市に集団避難した。福島第1原発から約150キロ離れ、ひと安心しながらも今後の生活を心配していた。

 午後6時40分ごろ、7台のバスが鹿沼市の体育館に到着。車内では女性たちが肩を震わせ、抱き合う姿もあった。

 和牛農家の志賀ウメさん(82)は牛舎に牛20頭を残したまま。「しょうがなかった。原発から離れることができて、やっと安心した」と話した。

 福島県南相馬市の自宅が地震で損壊し、飯館村の避難所に身を寄せていたという主婦松本昌子さん(39)は「息子2人の健康が心配だった。本当は帰りたいけど」。小学生になる次男(6)の新品のランドセルは自宅に置いたままだ。「楽しみにしていたのに…」と言葉をなくした。